回想旅しょにち・北京

20120207 11:49



2010.3.27

家族の見送りを受けて成田を発ち、数時間後に夜の北京首都国際空港に降り立ったときの緊張を、
ありありと覚えている。

すんなり、中国の土地に足を踏み入れてしまった。
旅立ち前、両親の説得からはじまった2ヶ月の準備期間なんて、微塵も思わせないようなあっさりぶりで。

格安航空券は深夜着が多く、最初だけ予約して居たYHにまっすぐ向かった。

真夜中の北京は不気味に見えた。


公共機関はストップしていたのでタクシーに乗り込み、行き先の地図を渡す。
英語は通じなかったし、運転手のおじさんはどこか偏屈そうに見えた。

しかし途中、地図が悪かったためか、道に迷ってからすっかり打ち解け、
ああでもないこうでもないと一緒に言いながら、
YHに電話をかけたり交番に一緒に行ったり、45分のところを2時間かけてなんとか到着。
遅くなって悪いな、と、もともとの想定料金にまけてくれた。


やっと到着出来たのと、初めて接した中国人となんとか上手くやれたのとで
すっかり肩の力が抜け、へろへろとYHで受付を済ました。


このドミトリーでは、日本人の大切な友人、よしかと出会う。
同い年とは思えないバイタリティーで、動きの渦をつくるのが上手い人だった。
彼女の話はまた後ほど。

時間の経つのは早いもので。辰年女の旅語り。

20120206 22:54



地球一周の旅を終えてから丸1年とひと月が経ちました。
あっという間でもあるし、まだそれだけしか経ってないのか、とも思う。

2010年3月に出発し、アジア、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカの地を踏み、2010年12月に帰国した私は、
旅の軌跡を消化しきれぬままに、迎えてくれた友人や家族と大いに語り、すこしずつその鱗片を形成しながら、またいくつかの新たな人々の輪に加わり、新潟で3.11を経験し、衝撃と混乱の中、大学に復学。

2011年は、大きな、とても大きな渦にもまれながら、再度自分自身を再構築していくようだった。
旅の中のたくさんの美しいものを、醜いものを、優しいものを、恐ろしいものを、幸せなものを、
全身で感じて紡いでいった記憶と感情の束を、ゆっくりゆっくり、繙きながら。

学生生活最後の作品制作を終え、その未成熟さに驚きつつはあるものの、
初めて腑にすとんと落ちた作品だったといえるのは、それらの束がそのままかたちになったにすぎないものだったからかもしれない。

今あたらめて文章で旅を事細かに追うことは出来ないにしても、
書ききれなかったことや、今だから書けること、まだ整理が足りないから書いてみたいこと、
そういったものがまだまだうずうずと腑に残っているので、
また気ままに書き出そうと思う。
そんなわけで、きっと順序だてて書くことはしませんが、気の向くままに、
お読みくださいまし。

回想録本格始動です。



2011/01/19

20110119 19:12







約10ヶ月間の世界一周の旅路は、短くもなければ長くもなかった。
どこか超自然的で、毎日が新鮮で、美しくも醜くもあって、色んな人に会い色んな話をし、そしてたくさんの人と別れてきた。
友達になったり恋人になったり、家族みたいになったり、一緒に泣いたり笑ったり、怒ったり、楽しんだりした。
行動上、旅人との接点が多かったわけだけれど、旅人にも色んな人がいて、そんななかで私は全然普通で、でも、一方で全くの変わり者に見られるときもあって、何がなんだか、「普通」なんて、ないんだと思った。

アジアでは毎日とにかくその土地を歩き回り、土地の物を食べ、なるたけ土地の人々と同じ暮らしをした。
すごく新鮮でエネルギーに溢れて、生きることってのは、なんだかすごくシンプルなんだなって思った。

ヨーロッパではとにかく土地のアートに触れた。
古典だってモダンだって現代アートだって、理解するためにはその土地の歴史上の文脈だとか環境の知識が底についてまわる。本物を見ながら学べる、これ以上の贅沢はない、という旅だった。

2週間程の滞在のモロッコは唯一のアフリカだったわけだけれど、砂漠で朝を迎えたあの時の感覚は、忘れることが出来ないと思う。

NYはアメリカの多文化多人種のまち、マンハッタンを体験し、旅最終日はカナダ側のナイアガラで涙が凍った。

帰って来たときには主相は管さんになって、真央ちゃんは調子が悪くなってて(もう回復してきたようだけど)、芸能人の誰々は誰かと結婚して、もしくは離婚してて、。全然かわってない日本にがっかりしたりとかして。

世界中の人が一時でも旅人になれば、それで世界の未来は明るくなるんじゃないだろうかなんて思う。
もっと近くで、目と目を合わせて語り、その地を体全体で感じ、色んな空気を吸うこと。
わたしは、もっとたくさんの人にこれからも出会いたい。

旅で使った金額は全部込み込みで110万円程。
毎日かなりの節約を貫いて来たけど、オペラもバレエもミュージカルも見たしサッカー観戦もした。
もちろん飛行機にも乗ったし安い飲み屋でわいわいしたりもした。
こんな時代、特に日本の人に旅人が増えたら嬉しいな。

旅の中で得たことを還元してゆきたい。
わたしは日本が好きだし、日本人が好きだ。
何が出来るだろう。
何を学んできただろう。
旅をもう一度振り返りながら、考えていきたい。

最後に、旅のまえ、間、あと、応援してくれたすべての人に本当に本当に感謝したいです。
そして旅出を許してくれた両親を、なにより尊敬します。

帰国後の推敲

20101223 00:27

3月に出国して12月の帰国。
10ヶ月の旅が、終わった。

その10ヶ月の間、ずっと外国人で、観光客で、会話媒体は英語で、常に移動し続けて、日本じゃないどこかの街の文化や歴史をみて、それが日常になっていた。

いろんなことが通り過ぎて行って、出会っては別れて、再会を約束してそれが叶ったり叶わなかったり。
助けたり助けられたり。
びっくりしたり興奮したり悲しかったり怖かったり焦ったり嬉しかったり、寂しかったり。
自分の要領の悪さとか、良さとか、いいとことかダメなとことか。
毎日少なからず知らない人と会話して情報もらったりしながら、すこしずつその土地を俯瞰してゆく。
それが日常になっていたから、日本に帰って来て、すこし、戸惑う。
今までの旅が全部夢だったような、変な感じ。
家ってすごくて、帰って来て、すぐにもとの感じに馴染んでしまった。

ほんと、これは今からなんだけど、
この10ヶ月が、一体自分のなかでどんな風になっていくんだろう。
色々あったけど、でもそのいろいろが日常になってしまっていたから、いまとなっては別に普通で、ありえる話で。
だから、旅は、私の中では非日常の毎日ではなかった。

同時に、同じ目で、東京という地をみたことがあったかな、と考える。
東京を日常にしていたわたしは、日常をどうとらえていただろう。

わたしという、一個人である前に、道中、常に私はジャパニーズとして見られて来て、その上で会話をしていた。
ジャパニーズのわたしは、その地をどう見るか、何が違うか、人は、街は、文化は、宗教は。
日本に興味を持つ人はたくさんいて、その度にたくさん質問を受けるのだけど、うまく答えられなかった。
自国にたいする歴史的、文化的な外観概念の欠如はきっと、すべての日本人の旅人が抱えて来たコンプレックスだ。
個人としてよりもまず、日本人として、という意識が、日本人にはない。
何が違うのか、何が同じなのか、常に考えられさせられたのはここだから、それは、大事にしなくちゃいけない。

日本を好きだとわかった。日本は全然負けてないと分かった。それを、確固たる自信を持って誰かに伝えることくらいは
、さらっとやってのけたい。

西へ西へと進んで行ったら、東の果てについていた

20101222 10:57



やっぱり地球はまるいんだなぁ。

というわけで 帰国、 いたしました!

カナダのトロントから12時間かけて…映画何本観たことか。
とにかく、なんだかまだ実感ないです。
また、すぐにどこかに移動して行くような感覚が残っていて。
でも、帰って来たんだなぁ、とお母さんの手料理を食べてしみじみ。

さてさて、やらなきゃいけないこと、いっぱいある。
これからだなぁ。

旅の回想録も、これから書いて行きます。
良かったらひまつぶしにでもみてください。

いままで心配してみていてくれた方、たまたまのぞいてくださった方、
コメントやメッセージをいただいた方々、ありがとうございました。
ひとまずここで一区切り。



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