さいきんブログをさぼりがち…
書きたいんだけど、これっていうことを書くのには気力と時間が必要なので、超~手ぬきのブログにします。
最近読んで「面白いっ!!」と思った本。

『ラカンの精神分析』 新宮一成著 講談社現代新書
なるほど、なるほど、と思いながらグイグイ読み進めていったのですが、書評を書くほどに内容を読みこめているわけではなく…
あと2回くらい繰り返して読めば書けるかな。
書評とまではいかなくても、自分なりに深く納得できる部分など多々ありました。
ラカンについてはここで調べてね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%AB%E3%83%B3
画像も借り物という、超~超~手抜きブログでした。
が、この本は面白いのでお勧めします。
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12月の義援金チャリティーセッションは日時:12月11日(日曜日)です。
タイムテーブル:
(1)11:00-12:30
(2)13:10-14:40
(3)15:10-16:40
の3枠です。
各セッションの説明はこちらです。 http://openpath.sakura.ne.jp/clientsneeds.htm
お申込みフォームはこちら http://openpath.sakura.ne.jp/donation.htm
申し込み締め切りまであと2日、残り2枠です。
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MSaito on 12 月 5th 2011 in 心理学/カウンセリング, 思想

話し相手を欲しがる若者、離れたところに座った女性に読み聞かせたのは新聞の下段にある新刊案内の広告文字。
ニーチェに関する著書らしい。
『神』
『ニヒリズム』
『ニーチェ』
『発狂する』
『以前に』
など、どうやって身体で表現するのだろう、と思ったがいざ役者がそれをパントマイムのような子供のころに見たTV番組の言葉を発せず相手に何かを伝えるゲームみたいな動作で相手に伝えているのをみるとなるほどこの動作でその言葉かと納得する。
身体で表現され、身体に落とし込まれた表象を頭の片隅に置いたまま発する言葉は、そうしようと意識せずとも身体をある形にある動作に変化させる。
その言葉は身体から離れ空中に発せられるがその中には身体動作が確実に潜んでいる。
演劇の身体性とは果たしてそういうものだろう。
やわらかい、にく。
というセリフでは
に、く↑
と「く」の音と同時に身体が少しばかり浮く。
恋人同士の言葉とは、二人以外の誰かが聞いてもさっぱりその意味が分からないからこそ二人の間の秘密度が高まり比例して親密度が高まるもので、言葉とはある事物を表す以上の役割を持っていることがよくわかります。
言葉が伝わる喜び、言葉の意味を共有できる喜び、これは会話をすることの本質なのでしょう。
本の値段で笑い合えるのがその証拠だとも言えるでしょう。
得てして賢い方たちの話し言葉というのは、名称や動作/表象/意味/隠喩などが適切に使い分けられ万人にわかりやすい、または特定の人のみにわかるように発せられているものだなと感心します。
話題が反れてしまいましたが、劇団U・フィールドのラストステージは2時間10分という尺の長さも去ることながら、劇団員一人ひとりの熱のこもりようといい、見応えのあるステージでした。
太田省吾のテキストは突っ立っていては伝わらない、もっと身体性のあるものだという井上弘久氏の言葉を今更ながら理解できたような理解できないような気持ちで舞台を思い返しますが、きっとそれぞれに思うところを持ち続ければよいのだと思うことにします。
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MSaito on 11 月 15th 2011 in 思想, 日々考えたこと
先日、武術家同士の往復書簡が書籍になったものを読了しました。
それを読み、お互いに尊重の気持ちがあれば、意見を行きかわすことが仲たがいを産んだり相手を軽視することに直結するわけではないという信頼の元に、このブログを書くことにしました。
そのブログは認知症のクライアントさんのテストの話から始まり、姿勢が悪くなると視野が狭くなり、他人へのおもいやりが無くなりがちになると書かれてありました。
文章力があり、さらっと読ませつつも説得力があり、読んで「なるほどな」と思った読者の方も多いかと思います。
でも、きちんと読むと…疑問がわいてきました。相手の方の連絡先も分からずなので、ブログに思うところを書くことにしました。
ブログはまず認知症のテストについて触れています。前頭葉の空間認知領域の障害により、相手の視点に立つという「視点取得」の機能が失われてしまうとありますが、これは脳科学の分野を基礎にしての書き出しと思われます。
ブログはその後、ゆっくりした対人での動きの練習やメンタルプラクティスで視点取得の能力が高まる、と続きますが、視点取得は空間把握の能力ですので、筆者の方がおっしゃるような「人と対面しての運動やメンタルプラクティス」で向上されるのは「社会的視点取得」ではないのか?と考えたりします。(ここで脳科学的仮説から心理学的仮説へとスリップしているような?)
空間把握能力を高めるためには、自己を起点とした空間を認識させるような環境との関わり合いが重要だと思えます。それならば、筆者の方の提案にあるエクササイズやプラクティスはソーシャルスキルトレーニングに近いものであり、患者さんにとってプラスな安心感などの心理的要素の高まりが期待できそうです。内容から考えるとこれは全体的に心理学的仮説についての記述かと思われます。
そうなると、前頭葉の「視点取得」の働きと心理的共感とを混同していらっしゃるのでは?という疑問がぬぐいきれなくなります。
ブログはその後、「姿勢が悪くなると前頭葉の空間認知領域は減少していき、それが原因で相手の身体感覚を感じ取る能力に劣る」としていらっしゃるのですが、空間認知の領域と、相手の身体感覚を感じ取る領域とは同じなのか、という問題が出てきます。
それ以前に、「相手の身体感覚」とは感じ取れるものなのでしょうか。
身体感覚を感じ取る…。
相手の動きの動線を感じ取るのではなく、身体感覚を感じ取る。
例えば相手がどれほどの重さを感じているのかとか、手を広げるときの努力がいかほどのものなのか、感じ取れるものでしょうか。
「身体感覚を感じ取る」という部分を「心理的変化」や「痛み」等と心理に基づいた記述にしてもらえれば腑に落ちます。
相手が痛みを感じると、観察している側の脳の部位が活性化される説もありますが、発火が起こるのは相手の痛みに関連する領域ですし、発火が起こる条件として、観察される側の行動が能動的であるときに発火が起こるとされています。(ちなみにこれはミラーニューロンを援用した仮説となります。以前の二つの仮説とはまた別の仮説の援用です)
もうひとつ、これはデータに基づいて記述しているのかどうか、お仕事がら明確にする必要があるでしょう(社会に対して影響の大きなお仕事だと思われます)。
果たして視野の狭さ=空間認知領域の働きの低下 なのでしょうか。
空間認知領域を高めるためには開眼よりも閉眼が適しているという報告もありますし、認知運動療法では閉眼が基本のようです。そうであれば、視野が狭くなることと空間認知領域の働きに関連があるというこの記述の信ぴょう性が低くなります。
最後の締めくくりとして「『相手の立場に立つ』つまり、『視点取得』の能力を高め、大事にする。そうする事でリアリティが見えてくるんだと思います。」とあります。
ここでまた心理的な作用と脳神経系の働きとの混同が見られます。
ネットの世界や読書に没入することでリアリティに偏りがでる、とするのが筆者の方の考え方ようですが、一連の高論を拝読すると疑問を消せません。
あちこちいろいろなワークショップに参加しては未消化のままにあるより、じっくりと書籍にあたることも必要でしょう(一つの流派の考えも技術も、一日二日のワークショップで他人に提供できるほどに簡単にわが身となるものでしょうか)。
かと言って、机上の議論ばかりしているいわゆる「研究家」の言説は一向に説得力がありません。
ネットの世界や読書への没入は、もしかしたら一般論ではなく特定の人を想定しての発言かも知れませんが…
あちこちからの論説の寄せ集めで武装をしてもつじつまが合わなくなってしまいます。
拝読したブログに関してコメントを書きたいと思ったのも、私自身が同じような間違いを指摘されつつ、古臭くなってしまった技術と理論を新たなものにしていきたいと努力しているという経緯があってのことです。
同じような考えを持つ紳士的/淑女的な方から、いろいろなご意見を伺いたいと思う今日この頃です。
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MSaito on 7 月 3rd 2011 in ボディワーク, ロルフィング, 思想
今日は終日お休みをいただいていますが、セッションが無いだけで仕事をしています。
2011年2月14日からスタートした「ティーチャーズインテンシブ」もあと残り1日となりました。
教える立場にいる方(ティーチャー)を対象に、ソマティクスの考えに基づきながら関連分野の理論背景を元に、クラスを活性化していくためのコツをお伝えしています。
理論が理解できれば応用が効くので、理論は2時間のうちの半分を使って説明します。
あとの半分は実践のための練習。触察が入ったり、実際にからだを動かしていただいたりしています。
第一回目は、主体、一人称、そしてソマティクスについてお伝えしました。
一人称で観察される自己と三人称で観察される自己の違いは、体性感覚を使った自己観察が用いられるかどうかの違いでることを説明しました。一人称的(ソマティクス的)観察がパフォーマンスの向上、武術に関わる知覚の向上、芸術性を持って環境を唱える鍵となることをご理解いただいたのは2か月前です。またソマティクスに関連する現象学のターム(専門用語)の説明も加えました。
第二回目は、運動制御のメカニズムに関して学習しました。
感覚によって姿勢制御や動作の生成、バランスの変化が起こることを学びました。
また、運動の難易度は、運動の自由度と可動域によって決定されるため、自ずとできる動作と出来ない動作があることもお伝えしました。
自由度が増すことにより、異なる感覚情報の統合が起こり、新たな動作の習得が起こります。
第三回目からは運動学習と運動制御の両方について学びました。
パフォーマンスの習得とは、運動学習のひとつです。また、どのように、つまり英語で言う how の処理を行うのが運動学習でした。
運動学習は結果を指すのではなく、「一連のプロセス」を指しており、そのプロセスとは実践・経験を通じて得られるものである」と考える事ができます。
身体制御が難しいのは、生理学的、運動学的観点から理論づけをすると、人間の身体が横紋筋で構成されているからでもあるということもお話ししました。
第四回目は、神経システムについてお話ししました。可塑性とパフォーマンスの関連を学びました。また、パフォーマンスを向上していくための条件と具体的な7つの方法、それを裏付けるデータをお渡ししました。
課題の持ち方や感覚モダリティの変化により、認知スキーマが変化しますが、パフォーマンスを変えていくためには欠かせない要素となります。
第五回目はコーディネーションについてお話ししました。コオーディネーションは日本語で協応性と訳されています。
コオーディネーショントレーニングと言われている言葉は、通常では脳神経系を中心とした制御的なものとして捉えられていますが、同時にスキルや調整力、巧緻性などといった言葉に置き換えられるような意味合いを持っています。
テーマは体幹だったので、インナーマッスルを「触れて誘導する」ことができるよう筋の機能の理解と触察を練習していただきました。正しく動くと非常に疲れる事を実感していただけたようです。
さて、六回目は何をテーマにしようか?終結としてふさわしいのはなんだろうと考えています。
今回は部位ごとに区切ってクラスを進めてきたので理論と実践を対応させるのが難しく、また理論もボディワークに関連するとはいえ専門分野ではないことから、改めて勉強する必要に迫られたりと忙しい毎日です。
でも、ボディワークはそもそも他分野の影響を受けながら発達してきた分野なので、こうして新しい理論を取り入れ進化させていくことが理にかなっていると思います。
ロルフィングの創始者であるアイダ・ロルフも出会った治療家や思想家に刺激を受け、そこから知識を取り入れ「アイダロルフ式」を確立してきたのですから。
ただし、アイダ・ロルフの提唱したストラクチュアルインテグレーションはよくあるような「技法の寄せ集め」ではありませんでした。
重力と筋膜を理論の柱とした新しい技法として創始され、アップデートを重ね、現在に至っています。
さて、先日お知らせしました「義援金チャリティーセッション」5月21日分の申し込みは終了とさせていただきました。お申込みいただきました皆様、ご検討いただきました皆様、どうもありがとうございます。
次回は6月19日(日曜日)です。受け付け開始日は後ほどブログにお知らせいたします。
6月もどうぞよろしくお願いいたします。
2005年1月~2009年4月のアーカイブ:http://plaza.rakuten.co.jp/rolfing
MSaito on 4 月 18th 2011 in カルチャー・勉強会・セミナー, ボディワーク, ロルフムーブメント, 思想
ツイッターを使い始めて、早くもツイートが920を越えました。酔っ払ってツイートして、恥ずかしくて削除したこともあるので、もしかしたら+10近くのツイートをしているかもしれません。
自分を触発してくださりそうな方を見つけてはフォローしていました。多くの方はフォロワーの数を気にするようですが、私はフォローする方のツイート内容が気になるタイプです。自分がフォローする側に立ったときには、その方の自己紹介文が気になります。
スピリチュアル、とあると大抵(申し訳ないながら)スルーします。
スピリチュアルなことに対しての抵抗はないのです。ただ、自分のスピリチュアル世界と一般的なスピリチュアル観が一致しないことが多いので、距離を置いている感じです。
TL管理をしているから読む機会はほぼなくなるとしても、フォロワーの人数を増やすためのようにしてフォローしたくないので、そのままにしておくことがほとんどです。
さて、ボディワークに関連して修士論文を進めていることもあり、こんなツイートに素朴な疑問が湧きました。
「何が実際に起きているのかを認識してそれを直接コントロールすることに到達することを学ぶことが成功と失敗を偶然ではなく行為にするのだ。by モーシェ フェルデンクライス」
自由が丘でフェルデンクライスメソッドを教えているfeldenwayさんという方のツイートです。
サイトウから→@ 質問させて下さい。「認識してそれを実際にコントロールする」各分野が注目するだろう一文ですが、具体的にどう認識させるかの定式はあるのでしょうか。キネステーゼとはまた別の説明が必要になると思うのですが…
フェルデンウェイさんから→@ 議論をふっかけるつもりはまったくないのですが、キネステーゼをどう定義するか?その定義にしたがって考えると各分野が注目する一文を実践にいかせるのか?から始めると140字でお答えするのはきついですね(^_-)-☆
サイトウから→@ キネステーゼはすでに哲学用語として確立されているのはご存知かと思いますが、、フェルデンキクライスの独自の解釈があるのですか?議論に発展する必要もない単純な質問でしたが困らせてしまったようですね(..)
サイトウから→@ 大変失礼しました。フェルデンキクライス→フェルデンクライスでした。リハビリ、スポーツ、武道等の文献でもキネステーゼの定義は統一されていると思います。その上で新たな考察が出されているはずです。ですが、どうぞお気になさらず。ありがとうございました。
フッサールは「キネステーゼ感覚は、本来的には局所付けられた感覚ではない」としています。
また、「キネステーゼ感覚はその局所づけを根本的には、本源的に局所付けられた感覚である触覚の絡みあいに負っている。したがって、運動と視覚だけに制限されて触覚のない主体は、自分で動かしている手を見ても、その手が自分の身体の一部であることを理解しないはずである。」と著書の中で述べています。
だから、あれ?認識してコントロールって簡単に出来るものなんだろうか?と素朴な疑問を抱いたわけです。
キネステーゼを援用するなら更に必要な作業が増えるわけだし、何か定式があるのだろうか?と興味シンシンで質問してみたのです。もちろん、フェルデンクライスメソッドのレッスンは何度か受けていますが、その体験からは答えがでなかったので・・・。
このツイートを読んでいたモーシェ・フェルデンクライスの著書の翻訳者である安井武さんからツイートがありました。
@FeldenInfo:フェルデンクライスがキネステーゼの概念を意識していたかどうかは分かりませんが、彼のATMの土台にはキネステーゼの具体化がある、というのが私の…⇒
安井さんはボディワークの主たるフェルデンクライスメソッド、アレクサンダーテクニーク、ロルフィングとも相反する時期があったけれど、これからはお互いに交流を持っていきましょう、とツイートしてくださいました。
フェルデンクライスメソッドのプラクティショナーの方たちとも交流を持たせていただいているので、今回のツイートが " vs." 的な要素がないか少々心配でしたが、心配無用だったようです。
安井さんがツイートしてくださったように相互交流が実現できたら、本当に素晴らしいことだと思います。
ちなみに私自身は、フッサールやメルロ・ポンティとは違うアプローチで問題解決の糸口が見えると思っています。
同じ現象学でも身体を努力の立場から考えた思想家や、観念論を唱えた思想家がボディワークに(多分、フェルデンクライスが実践するのであろうリハビリテーションにも)深い洞察を与えてくれるのではないかと思いつつ、進まない論文を無理やり進めています。
2005年1月~2009年4月のアーカイブ:http://plaza.rakuten.co.jp/rolfing
MSaito on 9 月 5th 2010 in ボディワーク, 思想