Archive for the '心理学/カウンセリング' Category

手ぬきブログにしました~

さいきんブログをさぼりがち…
書きたいんだけど、これっていうことを書くのには気力と時間が必要なので、超~手ぬきのブログにします。


最近読んで「面白いっ!!」と思った本。



『ラカンの精神分析』 新宮一成著 講談社現代新書

なるほど、なるほど、と思いながらグイグイ読み進めていったのですが、書評を書くほどに内容を読みこめているわけではなく…
あと2回くらい繰り返して読めば書けるかな。
書評とまではいかなくても、自分なりに深く納得できる部分など多々ありました。

ラカンについてはここで調べてね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%AB%E3%83%B3

画像も借り物という、超~超~手抜きブログでした。
が、この本は面白いのでお勧めします。


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12月の義援金チャリティーセッションは日時:12月11日(日曜日)です。
タイムテーブル:
(1)11:00-12:30
(2)13:10-14:40
(3)15:10-16:40
の3枠です。

各セッションの説明はこちらです。 
http://openpath.sakura.ne.jp/clientsneeds.htm
お申込みフォームはこちら http://openpath.sakura.ne.jp/donation.htm

申し込み締め切りまであと2日、残り2枠です。

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2005年1月~2009年4月のアーカイブ:http://plaza.rakuten.co.jp/rolfing
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楽・単でした!

精神分析は、巷の占いに近い感じがするし、お決まりの雛形の中で形式的に行なわれるからこそ効果が現れるのだろうし、信憑性が断然低い!と思っていました。
ヨーロッパでは精神分析がすでに下火となっている事情もあるし、日本では精神分析家はTVのコメンテーターとなってしまっているような傾向がどうしても見えてしまい、更には有名精神分析家のとても「いけず」な側面を目の当たりにしたこともあり、精神分析アレルギーが起きつつありました。
時代は心から身体へと移り変わっている気配を強く感じ「ノーモア精神分析」なんて思っていたときに「待て、これはすごいものだ!」と思わせてくれたのが十川幸治氏の著書でした。

ところが・・・今日は落胆しました。これほどまでに退屈で表面的で、講師の主観に満ちた講義を聞かされるとは・・・。

詳しくは説明しませんが、某福祉大学教授の精神分析の講義はお粗末過ぎました。
精神分析学の説明において自我、超自我、エスの説明を簡潔にし、リビドーには全く触れず(これらは卵型の円の中に収められていました)その上にちょこんと乗っていた知覚についての質問は逃げるように「自我への通り道」としか説明してもらえませんでした。

後半では、精神分析療法の臨床を体験してもらうという意図で参加者から質問を募ったのにもかかわらず、精神分析的なカウンセリングはほぼ行なわれませんでした。ひたすら学校批判、県が定めたという子育て支援ワーカー批判(もっとはっきり言ってしまえば質問者に対する個人的な批判であり、同様に参加していた支援ワーカー批判)となり、何ら新しい情報を得ることが出来ずに一日を終えてしまいました。とても残念でした。

7.5時間で22500円。私は学生なので15000円。お粗末過ぎます。大学の学部生の授業でも(すくなくとも私が通っている大学では)この金額以上の価値を持つ、簡潔で実践的な講義はしてくれると思います。

ロルフィングのセッションでは、私自身はインテーク(セッション前後のカウンセリング)は絶対にお座なりには行ないません。
インテークには必要充分な時間をかけます。それだけではなく、メールでの相談や雑談でも、耳を済ませるようにしてクライアントさんの言わんとすることを聞こうとします(クライアントさん以外の方のだらだらとした質問メールは一往復で勘弁していただいておりますが)。流派に関わらず対人技法が大切だということは骨身に沁みて分かっているのですが、カウンセリングを職業にしていない私ですら「時間の無駄」と思わせる教授が未だ教育者として現場に立っている「学校」とは何でしょうか。まさにこの教授が批判したその構造の中に自分がいることすら忘れている、学校教育とは?
教えるときに必要なのは資格ではなく、実践的な知識であることを再確認させられました。

ああ、疲れた。明日のセッションでリフレッシュしよう!身体、心理、どちらも大切です、どちらも受け止めたいです。
それができるように努力することが私にとっての喜びでもあります。

 

2005年1月~2009年4月のアーカイブ:http://plaza.rakuen.co.jp/rolfing

これからブログは短文にします

覚書(認知科学)。

本能、欲動、情動、感情、情感。
欲動はラカンという精神分析家が着目したこころの働き。開いている部分(孔・穴)が快/不不快で世界とつながる場所と考えた。
感情は喜怒哀楽。これはどこかで獲得して使う必要があり、生まれつき備わっているものではない。
情感は前頭葉で感じる。侘び、寂び、もののあはれとして感じられる。前頭葉の働き(情動)は脳の中でも比較的新しく発見された。

 

ばう犬は、第3作目をすでに書き始めている。共著にはならず、ばう犬単独での著書となる予定だ。
ばう犬と私とで第4作目の構想を話し合っている。第4作目は共著のかたちを取らず、これまでとは違った形式で書くつもりで準備を始めている。
出版できるかどうかは別として、アウトプットしていかないと整理がつかないので書いている。
私は修士論文の構想を考えつつ、ああでもないこうでもないと頭の中でアイディアをこね回している。

やるべきことがだんだんと多くなってきたので、ブログは短文でまとめよう、などと考えている最中。

 

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ボディワーカーとしてラポールをとる2

ラポールをとるということは、クライアントとの間に信頼関係を気づくということだ。
相互に、相手に対して共感を持つ、相手の尊厳を大切にする、ということでもある。

共感を持つためには、共通項を持つことが大切になる。
そのために、趣味の話や生活の話が必要であると、素人は勘違いしやすい。

有能なカウンセラーは、そうした会話を一切挟まずに、クライアントとラポールを気づく。
カウンセラーは、信頼を得るための努力は一切行なわない。
その場を共有し、クライアントの話を傾聴するのみだ。
何の判断も批判もせずに、黙って話を聞くカウンセラーの姿を前に、「このカウンセラーは私が話すことに耳を傾けてくれている」という信頼感をクライアントが持つ。

この場合、「話す」「聴く」というキャッチボールが両者間に生まれる。

ボディワークでは、「話す」「聴く」を身体を通して行なう。

クライアントの「その場での体験」を、クライアント自身の言葉と、ワーカーの体性感覚を使って共有しようと努力する。
クライアントの体験を理解しようとするが、それは心理的な理解ではなく、「ワーカーのからだを通して」伝わってくるクライアントの体験の理解である。
経験を積んだワーカーは、クライアントのからだを通じて、クライアントの体験をかなり高い確率で予測できる。
ボディワークは「症状の当てっこ」のようなことはしない。
クライアントの言葉を頼りに、そこにワーカーの一方的な主観が介在していないかを確かめながらセッションを進める。
クライアントは、ワーカーが、自分の体験を共に経験してくれていることを確信する。
そこに信頼感が生まれる。

この、体験の共有をゲシュタルト心理学では「図の共有」と呼ぶ。

ワーカーは、この「図」の操作によって、クライアントの状態を見極めていく。
ワーカーの立ち位置は、傾聴のカウンセラーのように絶対的に受身ではない。
クライアントの変化を促すための、ある程度の積極性は許されている。
関連記事:bau cafe

 

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ボディワーカーとしてラポールをとる

セッションを成功させられるか否かは、クライアントとラポールを気づけるかどうかにかかっている、とユニット1(ロルファー養成のための、最初のトレーニング課程)では教えられた。
とにかく大切なのは、ラポール、ラポール、ラポール。これしかない、と。

問題になるのは、「どのように」ラポールを取るかである。

ユニット1のトレーニングを担当した講師は、ロルファーでありつつも精神分析家でもあった。
だから、彼から教わったラポールの取り方は精神分析的、カウンセリング的だったと思う。
体=人間の扱いに対し、心=人間の扱いに比重がかけられており、クライアントの気持ちに対する働きかけ方や、クライアントが取りうる相互関係に対する対処法を学んだ。
思えばボディワークというよりはボディサイコセラピー的な関わり方だった。
そうした対人技法は、カウンセリングの勉強と重なるところがあり抵抗は感じなかった。また、非常に勉強になったことは確かだ。
だが、身体を通した関係性の築きが二の次になっているような収まりの悪さを感じながら、最初の何年間はセッションを続けていたことも確かだ。

今はこうしたラポールの取り方に、積極的になれない。

本来のボディワーク/ソマティックプラクティス―ロルフムーブメント、フェルデンクライスメソッド、アレクサンダーテクニークなど―に共通して行なわれるべきラポールの形成は、「身体」との対話を通して行なわれるべきではないだろうか。

各メソッドで分析方法は異なるが、ロルフィングおよびロルフムーブメントでは、クライアントの動作や姿勢のアナリシス、こちらの質問に対するコメントを統合させ、その方の身体内感覚を自分のうちでシュミレーションすることからセッションは始まる。
クライアントの呼吸や、動きの確かさ、弱さ、感情とともに見え隠れするからだの変化、クライアントにとってのからだの存在感と不在感、あることを話すときの力強さ。
こうした微細なからだの意思表示や変化を受け止め、そこから相手を理解しようとすること。
これこそが身体=人間をwholistic(全人的)に扱うボディワーカーに必要とされるラポールの築きかたではないだろうか。

こころの対処は、素人には難しすぎる。トレーニングの経験がほとんどないボディワーカーは、いたづらに立ち入るべきではない領域だ。
巷でよく知られている「精神分析的」な「心の傷」は、それ相当のトレーニングを積んだ精神分析家か、専門のカウンセラーに任せるべきだろう。
私たちボディワーカーには、突き詰めて追い続けなくてはいけない道筋が見えていると思う。

 

 

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