シャドウと向き合う
あの人のこういうトコロがどうしてもムカつく!
こういうトコロがどうしても嫌い!
の『こういうトコロ』は自分のシャドウ(影)の投影なんだそうです。
心理学的に言うと。
シャドウというのは、無意識に潜む、自分で意識出来ていない己の姿。
自分で認められていない性格、あるいは想いのイチ部分。
気づいていないということは、
その影のキャラクターは制御できずに暴れる可能性があり、
自分のシャドウに気づいて、意識の中に統合していくことで
より成熟した自分に成長して行くことができる、そうです。
あることがあって、シャドウに向き合う日々でした。ここ数日。
自分の中にある、シャドウが見えた時には
「キャ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!うっそ〜〜〜〜〜〜〜ん!!
私って最悪〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
とグワ〜〜〜〜〜ン!と落ち込み。
気づいていないのは私だけで、
いままでその負の部分をぶつけてしまっていたであろう
私とつきあってくれている周りの人達への
お詫びの気持ちやら、恥ずかしいという気持ちやら、感謝の気持ちやら
もちろん自分を責める気持ちやら
いろいろが込み上げて、まとまりのつかないカオスな状態でしたが。
間違えたり、傷ついたり、あるいはうっかり誰かを傷つけてしまう
そういうダメな部分もありながら。
そういう私もまとめて、ちょっとづつ成長しながら
一歩一歩あるいて行くしかないんだよなぁ、と自分にOKを出せる私に戻りました。
それは、悪い所を見て見ぬ振りをする、のとは全然違う感覚で。
自分の未熟さを抱える、もうひとりの大人の私。
魂の修行に来ているのだから完璧じゃなくて当たり前、
失敗に気づいたら、次はもう少しよくやれるように
頑張っていこう!という自分に対して母のように励ます目線。
自分を責めていると、光の方に進む力は湧いて来ないから。
その段階までくるとあんなに気になっていたあの人の『こういうトコロ』も
まるで気にならなくなって、愛すべき人間らしさに思えます。
そして、私の目の前に現われて憎まれ役をやってくれ、
そのおかげで自分のシャドウに気づけた、
すごく縁のある人なんだよな〜という深い愛情すら感じる(笑)
嫌な人、嫌なこと、ほんとにありがとう(笑)
世界は自分の鏡ってこういうことだね〜。

YOGAの夜
暑すぎず寒すぎず
風もなく
家族は皆、早々と寝静まり
私ひとり珍しく夜更かししていて
野良猫たちの抗争の雄叫びもなく
スナック化した近所のお寿司屋さんからのカラオケの音もなく
そこから出てくる千鳥足のおじさんの姿もなく
水分を含んだ空気は、花と緑の匂いが混ざって
青いような甘いような不思議な香りで
波の音だけが、南から湿った空気にのって聴こえてくる。
こんな風に、夜空の下でヨガをするのに最適な晩は
実は、そう頻繁にはないから
最高にいい波を見つけたサーファーが海に向かうような気持ちで
私はテラスに出る。
ゆっくり身体をのばしながら、指先から足先まで意識を移す。
厚い濃紺の雲の向こう側に、
白く光っているはずの月を想う。
空気のつぶつぶが細かくなってきて
虫たちのささやき声がクリアーに聴こえる。
身体と空気の境界線が薄くなり
溶けて混ざり合う。
微細で透明な流れが、私のからだの内と外とを
∞のかたちで循環する。

みんな ちがって みんな いい。
絵画療法の前のカウンセリングの基礎が2期目に入っています。
前回からずっとわたしに映し出されているテーマは
「みんな ちがって みんな いい」
の訓練。

聞かせてもらう言葉は私の世界を映し出す鏡。
私の感じるところは、私の宇宙。
あなたの鏡はあなたの世界を映し出し
あなたの感じる、あなたの宇宙。
同じ場所で同じ音を聴いて同じ色を見ていても、それは全く違う世界かもしれない。
それは間違いでも、ダメでもなく。
あなたは今、そう感じるのね。わたしは今、こう感じるのよ。
あなたも わたしも それでいい。
チクリと違いに批判的になっているとき、わたしの中をよく見つめてみると
わたしはわたしを刺している。
わたしがわたしの在りようをそのまま抱えられる時
わたしは世界を抱えている。
わたしの目の前の「あらわれ」に、ありがとう。

五月の海の森
大好きな五月になりました。

我が家の近くの海の森のアカシアの樹々が美しく、そして魅惑的な香りを漂わせている季節です。
GWの始まりはその森で、ゆにの誕生会でした。
海と森と草原のひろ〜い場所でのサンドイッチ・パーティー。


そして昨日はアカシアの花を食べました。
それはそれは甘美で特別な味。
『家づくり花ぐらし』の方で記事にしています。
よかったら、見てね。

浜名湖音楽会photo
ちょっと時間が経ってしまいましたが、浜名湖音楽会で撮った写真たち。








