詩2編。。。
ツイッターをやっています。
須川さんに勧められて始めて、かれこれ10か月くらいでしょうか。
先日、そのツイッターの自分のフォロワーさんの一人が、TLで『祝婚歌』のことを書かれてました。
どこかで聞いたことがあると思い、リンク先へ。
あ~これこれ^^; 思い出しました。
有名ですよね。
これの英語版があれば、カリのテキストにするのやけど~って思いつつ、あちこち検索かけたものの、全くもってダメ**
全文の一部をどなたかが英語に訳されてるのはありましたけど。
その『祝婚歌』の英語版を求めてネットサーフィンしいているときに、とてもシンプルで、とてもあったかく優しい詩に出会いました^^
その詩を載せておられたブログの管理人さんに了承を得たので、リンク先を載せておきます。
ちなみに、そのブログは、リンクもさせていただきました。
Good News Collection
↑ のブログの中に書かれてありますが、この詩は、『ふたり World of Elegance』 (詩 中山恵子 写真 稲越功一 福武書店 1986年刊)という本からの引用です。
手に入るのかな~
さて、『祝婚歌』
全文は。。。
『祝婚歌』
二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派過ぎないほうがいい
立派過ぎることは
長持ちしないことだと
気づいているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気づいているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そしてなぜ 胸が熱くなるのか
黙っていても二人には
わかるのであってほしい
(『贈る歌』(吉野弘著 花神社 より)
二つの詩を何度も読み返して思ったことがあります。 人間、イイとこもあれば、困ったとこもある。
見ててアブナッカシイな~って思えることもあれば、さすが!って、快哉を叫ぶようなものを備えている人もいる。
四六時中、愚痴と文句ばかりの人もいれば、自分のことはどうするの?ってくらいに、あの人のため、この人のためって、いつも誰かの世話にいそしんでいる人もいてる。(亡くなった、うちのオカンがそうでした)
もちろんそれは、西欧風の二元論ではなくて、云ってみれば東洋風の一元論。
つまり、コインの裏表という「形」ではなく、シンプルにいえば、丸い球体のなかから、あれが出たり、これが出たりするっていうもの。
裏表っていう形では無いと思うんです。
だから、自分が日頃心がけているのは、「そのひと」を少しでも全体で観るようにするっていうこと。
自分にとって嫌なことがあったからって、それがその人の「全部」ではない、「一部」に過ぎないって理解すること。
そうしていると、さらにその人のことが見えてくることがあります。
その代わり、結構長い時間かかりますけどね~(~_~;)
でも、それがまた楽しいって云えば語弊ありでしょうか?
人間は限られた時間を生きている。
生れて、成長して、社会にでて、いずれは死んでいく。
それが人間。人間だけじゃなくて、生きとし生けるものは、みんなそうです。
ユゴーが云うてました。
「人間は刑期を定められていない死刑囚」
生きていく過程で、突然目の前に大きい山、小さい丘が出てくることがある。
そんなとき、出てきたものやから、消えるまで待っていよう・・・じゃ、何も変わらない。
山も丘も、しんどくても、面倒でも、歩いて登って頂上まで行ってみたほうが、自分の来し方を振り返ったときに、とてもよく見えるし、そして、行く先の概観も目にすることが出来る。
そして、登るとき、一人ではなくて、誰かが傍にいれば、どれだけ心強いかわからない。
介添えをするわけではない。
でも、時々、休憩するのにしゃがみ込んだりしたとき、ふと振り向いたときに、話しかけられる相手がいたら、それだけでも心が和むもの。
人間は、決して一人で生きているわけではないのやし。
あ~、また長々と書いている**
今日も夕焼けがキレイです。
脈絡無きは我に有り・・・ってか。
この続きはまたどこかで^^;

