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	<title>みよこの部屋 コメントページ</title>
	<link>http://www3.atword.jp/miyokosroom</link>
	<description>ユーミンと本が好きな夫婦、マサノリ＆みよこのホームページ、「みよこの部屋」の中の一部コンテンツにコメント機能を追加するためのページです</description>
	<lastBuildDate>Fri, 03 Feb 2012 05:27:29 +0000</lastBuildDate>
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	<item>
		<title>その477　「文学としてのユーミン」―小説現代の連載から</title>
		<description>小説現代で、1月号から酒井順子さんによる「文学としてのユーミン」という連載が始まった。ヒデさんから教えていただいた。
第1回は、「ひこうき雲」について。主に『ルージュの伝言』から引いて来て、ユーミンがどういうところで育ってきたかということを解説しているような感じだったが、「面や線ではなく「点」だけを示すやり方」というのはなるほどと思った。
『ルージュの伝言』に書かれている「このときの日差しがこうだとか、波の具合がこうだとかいう意味のシチュエーション。瞬間の輝きみたいなこと」というのは、壁紙を毎月作っていて確かにそう思う。光のまたたきや風の動き、そういうものにユーミンは反応するんだなということを、毎回感じている。
第2回は、「MISSLIM」。ということは、各回アルバム毎に書かれるのね。
今回は、「海を見ていた午後」を中心に話が進められている。泣かない主人公、なぜユーミンの主人公は泣かないか、そんなことを織り交ぜながら、憧れだった「山手のドルフィン」に行った話でしめたところが、苦味が利いている。憧れながらなかなか行けなかったことで余計に憧れが強くなって……。「夢はさわらぬ方がいい」という詞を思い浮かべたわ。
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		<link>http://www3.atword.jp/miyokosroom/2012/02/03/%e3%81%9d%e3%81%ae477%e3%80%80%e3%80%8c%e6%96%87%e5%ad%a6%e3%81%a8%e3%81%97%e3%81%a6%e3%81%ae%e3%83%a6%e3%83%bc%e3%83%9f%e3%83%b3%e3%80%8d%e2%80%95%e5%b0%8f%e8%aa%ac%e7%8f%be%e4%bb%a3%e3%81%ae/</link>
			</item>
	<item>
		<title>2012年01月　Judas Kiss</title>
		<description>
   
    
     
      正解
      「Judas Kiss」　7名　難問だったと思いますが、比較的多くの方に正解していただけました。ありがとうございました。
      その他の回答
      「砂の惑星」　2名　わかります。
      ヒントの表示　3名
     ※ここで表示した○名という数字は、スペルの書き換え等のために続けて回答された分を差し引いた数字です。
  ...</description>
		<link>http://www3.atword.jp/miyokosroom/2012/02/01/2012%e5%b9%b401%e6%9c%88%e3%80%80judas-kiss/</link>
			</item>
	<item>
		<title>2011年12月　GET AWAY</title>
		<description>
   
    
     
      正解
      「GET AWAY」　10名　今回は多くの方に正解していただけました(^^)
      その他の回答
      「卒業写真」　2名　わかります。
      「制服」　1名　お、呉田軽穂作品ですね(^^)制服 松田聖子 歌詞情報 - goo 音楽
  ...</description>
		<link>http://www3.atword.jp/miyokosroom/2012/01/06/2011%e5%b9%b412%e6%9c%88%e3%80%80get-away/</link>
			</item>
	<item>
		<title>その476　『春琴抄』―系図と憑依関係―</title>
		<description>今回も『春琴抄』。前回書いた後もずーっとツイッターにつぶやき続け、早く書きたいと思いつつ、年も押し詰まってしまった。『葵の女―川田順自叙伝』についても、谷崎著『羹』、『春琴抄』との絡みで進展があったので、これについても必ず書くつもりでいる（書く書くと書きながらなかなか書かず、ついに書かないで過ぎてしまったものもあり、我ながら困ったものだと思っていますが(^^;）。
さて、今回は系図を作ってみた。これの前提として、天保8年、つまり春琴が失明した年に何が起きたかということがある。言うまでもなく、大塩平八郎の乱があった。この乱で、春琴の家は焼かれ、春琴は失明し、父母や姉妹は前後の差はあっても結局のところ亡くなったと推定。それに伴い、日野の安左衛門の兄弟が、日野に養子に行っていた佐助と共に道修町に来て、八代目の鵙屋になったのではないかと推定した。そして亡くなった人たちの魂が、生き残った春琴や佐助に入れ替わり宿り、支配していたのではないかと考えている。
系図の中の（　）内は、大塩平八郎関係や森鴎外関係、芥川龍之介関係の人物で、その登場人物に当てはまる人物を入れている。森鴎外の祖父の号が「白仙」というところと、大塩平八郎関係のみねさんと森鴎外の母が同じ名前で、森鴎外の後妻の名前がしげ女と同じなのも注目するポイントだ。芥川龍之介については、高宮 檀著『芥川龍之介の愛した女性―「薮の中」と「或阿呆の一生」に見る』を参考にした（表紙の写真の関係が、そのまま素戔嗚尊、天照大神、月読命になっている）。ちなみに、しげ女にあたる女性のことを芥川は「復讐の神」と呼び、春琴の姉にあたる女性を「月光の女」と呼んでいる。図では、妹のところにその女性の名前を入れているが、もう一人、谷レイという女性がいる。この女性は、月光の女性が自分の身代わりにと見込んだ女性（ちなみに佐助稲荷神社の宮司の養女）なので、ここでもそれが踏襲され、この二人は一体になっていると考える。
「阿波の鳴門」が引用されているところで、春松検校によって中二階から三味線を持ったまま落とされたのは春琴の姉だろう（春松検校は春琴の姉も教えたことがあると書かれている）。それが佐助に憑き、後に妹に憑いたと考える。つまり春琴の姉は、昼間は佐助の中に、夜は春琴の妹と共にいたと、今のところ考えている。
ところで、『春琴抄』は読点や句点が著しく少ないことで知られるが、ところどころを段落を示す大きな○で区切られている。この区切られたところで、春琴、佐助やその他の人物、小動物それぞれに宿る魂の組み合わせが変わっている。それが一番よくわかるところが、佐助が眼を針で突いた後の記述だ。
女中部屋から下女の使う鏡台と縫針とを密かに持ってきて寝床の上に端座し、鏡を見ながら眼を突いた佐助は、その後次のような行動に出る。
程経て春琴が起き出でた頃手さぐりしながら奥の間に行きお師匠様私はめしいになりました。もう一生涯お顔を見ることはございませぬと彼女の前に額ずいて云った。
起き出でた頃ということだから、この時佐助が目指したのはしげ女だろう。とはいえ、来迎仏が実際に現れるまでは少し間があったので、その間にいたのは誰だったか。その存在の感情が「鵙屋春琴伝」での表現につながるのではないかと思っている。そしてついに包帯で包んだ顔に二た月前までのお師匠様の円満微妙な色白の顔が鈍い明りの圏の中に来迎仏のごとく浮かんでこの段落が終わる。
ところが、次の段落では、春琴が佐助に「佐助痛くなかったか」と言う（佐助が自ら目を突いたという前提で言っていると思われる）が、それに対してこの佐助は、
御霊様に祈願をかけ朝夕拝んでおりました効があって有り難や望みが叶い今朝起きましたらこの通り両眼が潰れておりました
と言うのだ。先ほどの段落と、微妙につながらなくはないか？
ただ、この時の佐助が言っていることは、嘘ではないだろう。佐助には、春琴の姉と、もう一人（二人）が住んでいる。春琴の姉が抜けた後の昼間の佐助にしてみれば、まさに「朝起きたら」ということだったろう。
両方の段落の春琴と佐助を同じ人物として考えることもできないことはないが、ならばなぜそこに○が入るか、「来迎仏」という言葉がなぜその区切りの直前に入るかということを考えてみる必要があると思う。そう考えながら、さらに系図を見ながらいろいろな場面を思い浮かべると、春松検校が入った春琴が「お腹の子の父親に対してもすまぬこと」と言ったりしたことや、いろいろなことに合点がいくのではないだろうか。
春琴の失明と佐助の失明の関係、さらには鴫沢てる女の失明についても、また新たな視点で見えてきた。ということで、場面ごとの魂の入れ替わりに注意しながら読んだ結果を次の『春琴抄』の記事で書こうと思う。
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		<link>http://www3.atword.jp/miyokosroom/2011/12/31/%e3%81%9d%e3%81%ae476%e3%80%80%e3%80%8e%e6%98%a5%e7%90%b4%e6%8a%84%e3%80%8f%e2%80%95%e7%b3%bb%e5%9b%b3%e3%81%a8%e6%86%91%e4%be%9d%e9%96%a2%e4%bf%82%e2%80%95/</link>
			</item>
	<item>
		<title>2011年11月　Josephine</title>
		<description>
   
    
     
      正解
      「Josephine」　3名　さすがに難しかったようです。バラの実だとわかっていた人もいらっしゃったのですが……。
      その他の回答
      「りんごのにおいと風の国」　3名　赤い実をりんごととらえたのですね。季節的にも合っているし(^^)
      ヒントの表示　7名
     ※ここで表示した○名という数字は、スペルの書き換え等のために続けて回答された分を差し引いた数字です。
   ...</description>
		<link>http://www3.atword.jp/miyokosroom/2011/12/01/2011%e5%b9%b411%e6%9c%88%e3%80%80josephine/</link>
			</item>
	<item>
		<title>2011年10月　破れた恋の繕し方教えます</title>
		<description>
   
    
     
      正解
      「破れた恋の繕し方教えます」　6名　今回は、すぐわかった人とそうでない人と分かれたようです。
      その他の回答
      「輪舞曲 ＜ロンド＞」　2名　なるほど。
      ヒントの表示　4名
     ※ここで表示した○名という数字は、スペルの書き換え等のために続けて回答された分を差し引いた数字です。
  ...</description>
		<link>http://www3.atword.jp/miyokosroom/2011/11/02/2011%e5%b9%b410%e6%9c%88%e3%80%80%e7%a0%b4%e3%82%8c%e3%81%9f%e6%81%8b%e3%81%ae%e7%b9%95%e3%81%97%e6%96%b9%e6%95%99%e3%81%88%e3%81%be%e3%81%99/</link>
			</item>
	<item>
		<title>その475　『春琴抄』―主役を支配する存在―</title>
		<description>『葵の女―川田順自叙伝』の続きを書くつもりでいたが、その間に『春琴抄』の私の中での解釈に進展があり、それを突き詰めていたら1ヵ月以上経ってしまった。まだ最終的な詰めまでは行っていないが、その構造についてはある程度見えてきたので、とりあえずそれを書いてみたいと思う。『葵の女―川田順自叙伝』については第2回で『幼少時代』との絡みを書くつもりでいるが、これについても少し進展があった。特に「おふく」さんと「おきん」さんという名前について。「おふく」さんは言わずと知れた谷崎の初恋の人だが、谷崎の友人の証言や中河与一著『探美の夜』などを読むと、どうも途中からの谷崎の態度が冷たすぎる。その謎が見えたような気がした。『探美の夜』のおふくさんは2名のおふくさんを意図的につなげたのかもしれない。
おっと、続きはまた後日ということで、今回は『春琴抄』ね(^^)
前回の日記以降、ツイッターに延々と『春琴抄』についてつぶやいていた。つぶやきながら、調べたサイトをはてなブックマークに上げていった。まずはそれらを見ていただきたい。
お湯かけ事件の展開に直接つながる菊池寛『下郎元右衛門―敵討天下茶屋』-陰陽師的日常という記事を発見して、菊池寛著『仇討小説全集』の該当小説を読む等、大きな発見はさまざまあったが、ターニングポイントは、春琴が時々「顔色」を変えることに気づいたことだった。ツイッターでは2回と書いているが、実際はもう少し頻繁に顔色を変えている。この「顔色を変える存在」がすべての悲劇の元だった。
そこで、顔色を変えたシーンをいくつか挙げてみる。

佐助と結婚させられそうになった時
家が貧しいために白仙羹を一と折でお目こぼしを願った弟子の話を聞いた時
梅見の宴で利太郎に手を引かれたか何かがあった時

これらの顔色は、いずれも春琴に憑依する存在によるものだ。
顔色については、あらかじめ伏線がしっかり張ってある。当時の旧家に育った男女の見た目について論じた部分だ。若い男女のことを論じているようにみせて、実は若い人と中年以降の顔色の違いをあらかじめ読者に示しているのだ。
その時ふと疑問に思ったのが、梅見の宴の時、佐助はあれだけちょいちょいお酒を注がれながら、別室で食事をして、食後も呼ばれるまでのつもりで待っていたことだった。書かれ方から言って、どう見ても春琴が狙われているとしか思えないではないか。それなのに佐助はのんびりと待っていたのだ。これはおかしい。
ここで菊池寛の作品が生きてくる。つまり、佐助はお酒を飲みすぎてしまったのだ。ただ、春琴がセクハラされたというのは違うと思う。佐助が「顔色でそれと悟った」のは、佐助が来るのが遅いので、少し離れていた「春琴に憑依する存在」が慌てて止めたのだ（逆に言えば、佐助を支配する存在は、利太郎が春琴を連れて行くことを望んでいたと考えられる）。
私の考えでは、鵙屋時代の春琴には春松検校他が、佐助には「一番下の妹の乳母」他が憑いていたのではないかと思う。それらの組み合わせが流動的に推移しながら、梅見の宴からお湯かけ事件で大きく変わるのだ。
その流れをつかむのに決定的だったのが、船場の御霊神社を見つけたことだ。佐助が失明した時、春琴に対して「御霊様に祈願をかけて朝夕拝んでいた効があった」と説明していたところから見つかったのだが、『夢の浮橋』にしても『瘋癲老人日記』にしても、大黒様と恵比寿様系統が、最後に天児屋命と一体化して終わる。この境内の図を見れば、誰が東宮かすぐにわかる。梅見の宴の総大将は東宮だ。また、「末社」には松ノ木神社と大黒社がある。この写真を見れば、その意味が一目でわかるだろう。春琴と佐助の墓のつりあいと同じなのだ。さらによく見ると、「文学」というところにしっかりと「春琴抄」と書いてあるではないか。このサイトを見つけた時は本当に嬉しかった。つまり、梅見の宴では、東宮が末社を引き連れて春琴の手を引きに来たのだ。
「鵙屋春琴伝」には、春琴が「一番下の妹の乳母」に故意に失明させられ、佐助は「偶然」（佐助が春琴に言うには「御霊様に祈願をかけて」）見えなくなったと書かれている。この小説の登場人物にとって、自然に眼が見えなくなるのと、故意に見えなくするのでは価値が大きく異なるのだ（とはいえ、当時の佐助の中身と針箱の持ち主を考えると、佐助の「祈願の功があった」と言うのもまるきりの嘘とも言えないかもしれない）。私が読んだ限り、今のところ「自然に」眼が見えなくなったとはっきり言えるのは、鴫沢てる勾当だけだ。この人の眼が見えなくなったのは、たぶん雲雀が飛んで行ったまま帰らなくなった翌月、7月の24日だと思う。このあたりは『古事記』の記述を自分の誕生日と重ねたと思われる。『古事記』は谷崎の一連の作品を通して影響を与えていると思われるので、青空文庫の現代語訳古事記をあらためてじっくり読んでいる。 </description>
		<link>http://www3.atword.jp/miyokosroom/2011/10/29/%e3%81%9d%e3%81%ae475%e3%80%80%e3%80%8e%e6%98%a5%e7%90%b4%e6%8a%84%e3%80%8f%e2%80%95%e4%b8%bb%e5%bd%b9%e3%82%92%e6%94%af%e9%85%8d%e3%81%99%e3%82%8b%e5%ad%98%e5%9c%a8%e2%80%95%ef%bc%881%ef%bc%89/</link>
			</item>
	<item>
		<title>2011年9月　月夜のロケット花火</title>
		<description>
   
    
     
      正解
      「月夜のロケット花火」　10名　今回は多くの方に正解していただきました。ありがとうございました(^^)
      その他の回答
      「永遠が見える日」等の回答がありました。
      ヒントの表示　2名
     ※ここで表示した○名という数字は、スペルの書き換え等のために続けて回答された分を差し引いた数字です。
   ...</description>
		<link>http://www3.atword.jp/miyokosroom/2011/10/01/2011%e5%b9%b49%e6%9c%88%e3%80%80%e6%9c%88%e5%a4%9c%e3%81%ae%e3%83%ad%e3%82%b1%e3%83%83%e3%83%88%e8%8a%b1%e7%81%ab/</link>
			</item>
	<item>
		<title>その474　『葵の女―川田順自叙伝』（1）</title>
		<description>最近、私の中で、谷崎文学の特に『蘆刈』以降の作品に一番影響した人物として川田順が浮かんできた。そこで、以前から気になっていた『葵の女―川田順自叙伝』をようやく入手して読んだ。
読み始めてすぐに興奮。特に『春琴抄』や『幼少時代』『夢の浮橋』については、その元ネタの1つとして貴重な資料と思われる。さらに、関西移住後だけではなく、実は大正初期の一連の作品（初子、お須賀物ともいうべき作品群）もこの人の影響を受けていたのではないかと思われる。それについてはからくりがありそうなので後で書く。
とりあえず各作品への影響についてだが、とにかく大正初期と『蘆刈』以降はほとんど影響していると言っていいと思う。その中で、先に挙げた3作品について特に書いてみたいと思う。
『春琴抄』
川田順の母について、川田順の父である川田甕江の世話になる前は随分と苦労したらしいということで、そのことを伯母に聞いたところ、次のような問答になった。
「言はばあなたのお祖母さんが苦勞させたやうなものなんです。かう言つてはすみませんが、娘の器量のいいのが自慢で、嫁入先へ行つてはずゐぶん無理を並べたと聞いてゐます。はじめは藏前の有名な太物問屋、さんさくと云ふ家へかたづけたんですが、いくらも經たないうちに取戻して、今度は芝の大きなお風呂屋さんへ嫁にやつたんです」「風呂やといふと錢湯のことですか？　ひどいですな」「さうぢやないのよ。順さんも江戸のことがわからなくりましたね。風呂屋といつたつて同業の元締めで、それはたいした身代のものなんでしたよ。それを又もお祖母さんが不縁にして、あなたのお父さまのお世話になるやうな筋道になつたんです」「それぢやボクの母は人形みたいなものですね」「さやうさ。本當におとなしい人で、右といへば右、左といへば左、半日でも一日でも、いはれた方を向いて坐ってる人でしたよ。可哀さうなものさ。さんさくの奥さんで収まつてゐたら、どんなに仕合せだつたらうと思ひますね」
これには自分の出生を否定されたようで川田順は面白くなかったようだが、帰宅後書庫の抽斗から罫紙に書かれた一篇の漢文を読み返す。それは川田順の父の依頼によつて依田學海という人が起草したもので「川田少房本多氏墓碣銘」と題してある。その一部。
「姫父曰清助。母大野氏。世以商出入柳川侯邸。購辨市場。家頗富。然性好靜不喜豪華。初帰一富商。其人極俗。姫怏怏不樂。遂求離別。時父資産落。利其容色。欲更嫁大腹。姫不肯曰。寧爲名士妾。不願爲俗人妻。乃帰甕江。姫清痩而白皙。素粧澹泊」「素拙於治生。偶有所得。父母兄弟隨而持去。不毫吝惜」「明治廿六年三月一日歿。享年三十七。越三日。葬東京吉祥寺側。乃川田氏之塋域也。姫以可瞑矣」
伯母の証言と墓碣銘に書いてあることでは話が全く異なる。
さらに、伯母の証言によれば猛烈母に苦しめられた可哀想な娘であること（症例としては「一卵性母娘」）、亡くなった年齢が春琴がお湯をかけられた時と同じことから、『春琴抄』の母子の最有力モデルと思われる。「川田少房本多氏墓碣銘」はそのまま「鵙屋春琴伝」の元と考えていいだろう（特に文字を大きくした部分）。
ただし、川田順が伯母の証言を聞いたのは昭和14年のこと。『春琴抄』はそれより前に書かれているので、記述と証言の食い違いについてはまだ発生していなかった。ただ、記述の方を見ただけでも、「んー」と思うところはあるので、その信頼性については何か思うところがあったかもしれない（その証言が記述の一部分の正しさを証明すると考えることもできるけれども）。
一卵性母娘の症例としては、『春琴抄』を書く際に参考にしたと思われるスタンダール著『カストロの尼』が思い浮かぶ。さらに、『春琴抄』執筆前後からの観察の対象として、谷崎のお気に入りの女優である高峰秀子母娘がいたのではないかと想像する（高峰秀子著『わたしの渡世日記』を読むと、彼女が明らかに自らを春琴と重ねているのがわかる）。
さらに、もう一人のモデルとして、川田順の長姉に「琴子」さんという方がいらっしゃる。この人の夫は三郊杉山令吉という人だそうだが、この方は「お琴、お琴」と妻を大切にしながら、結婚前に秘密の女性があって、子供もいたそうだ。このあたりも『春琴抄』に埋め込まれているだろう。
ここでもう1つ、もっと重大なことに気づいた。
川田順の幼少期、お竹さんという方が川田順とその妹の面倒を見ていたそうだが、この方のお父様の亡くなり方が、谷崎の『幼少時代』の伯父の亡くなり方と酷似している。次に引用してみる。
お竹の父は或る年の六月の夜に千住大橋から落ちて溺死した。過失か、他殺かわからなかった。（中略）商賣は實直な兄が繼いでますます繁昌したけれども、（後略）
実は、この件については、父に失敗の責任を取らせることになった従兄の気持ちを考えると前々から不自然な感じを持っていたところに、谷崎の末弟である終平さんが『懐しき人々』で妙な書き方をしていることに最近気づいた。
それとなく、私の親父と別れの盃を交した伯父は、その夜伊豆行の船に乗って入水した。（次兄は三崎通いの船だと書いているが、訊そうにも、もう知っている人はいない。）長兄が小田原の旅館で仕事をしていてたまたま立ち会う事が出来たというが、足一本しか上らなかったが、それが佐野屋の足袋をはいていて、特別な小鉤だったので証拠となったと子供の折聞いたが本当だろうか。
その伯父は妻を非常に大切にしていたけれども、やはり愛人がいて、その娘も一人いたそうだ。大正4年8月ということで、一連のお須賀物が終わる頃にあたる。谷崎と川田順が初めて直接対面したのは昭和5年だったようだが（出典：高木治江著『谷崎家の思い出』。交友関係からみて、明治の末から大正初めには会っていてもおかしくないのだけれども。）早川の「かめや」に隠れ住んで作品を書いた時には、間接的な影響があったと思われる。
この事件も『春琴抄』に深く埋め込まれているように思う。大塩平八郎生存説や『カストロの尼』の恋人が生きていた件と絡めて。晩年に足を悪くして寝たきりになった伯母は明治34年に亡くなっている。もう隠居して、信用のない息子の代わりに弟を置いて遠隔指導することにしたと思うのは考えすぎか。眼ならぬ足を捧げ物にして。
『春琴抄』が長くなったので、他の作品についてはまた次の記事で書きたい。
 </description>
		<link>http://www3.atword.jp/miyokosroom/2011/09/21/%e3%81%9d%e3%81%ae474%e3%80%80%e3%80%8e%e8%91%b5%e3%81%ae%e5%a5%b3%e2%80%95%e5%b7%9d%e7%94%b0%e9%a0%86%e8%87%aa%e5%8f%99%e4%bc%9d%e3%80%8f%ef%bc%881%ef%bc%89/</link>
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	<item>
		<title>その473　鼻たれ天狗―『瘋癲老人日記』解釈の過程から―</title>
		<description>都筑道夫という推理作家がいる。この人の作品に『鼻たれ天狗』というものがある。この作品には、『瘋癲老人日記』の入れ歯のシーンに引っかかって、それについて調べているうちに行き当たった。
それは、鼻が垂れ下がったというところに引っかかったことから始まった。『夢の浮橋』で、糺の父は賀茂建角身命になった。経緯はこちらをご覧いただくとして、この神様のお姿は天狗に似ている。つまり、鼻が垂れているということは、天狗の見習い、つまり、瘋癲老人は賀茂建角身命になるための見習い期間に入ったと解釈した。そこで「鼻たれ天狗」を検索した。そうしたら、都筑道夫という人の作品にぶつかったのだ。
冒頭のリンク先に全文が掲載されているが、なかなかエッチだ。だけれども、これが老人の入れ歯のシーンに実に見事に嵌まった。そのシーンの表す意味が、この作品によって鮮やかに浮かんできたのだ。このシーンでは、その前に何度か繰り返されるピンキースリラーどころではないことが起き、さらにそれだけでは済まない大きなことが起きている。『瘋癲老人日記』のクライマックスの1つだろう。
『鼻たれ天狗』は昭和57年の作品なので、もちろん谷崎がこの作品を意識したわけではないだろうけれども、この話は元々が民話のようなので、あるいはその民話の方を活用したのかもしれない。
ところが、話はこれで終わらなかった。谷崎終平著『懐しき人々―兄潤一郎とその周辺』を読み返したところ、冒頭近くの颯子に大坪砂男の要素（刀剣が大好きで、兎に角刃物に吸い寄せられる人で、婦人の着物や紳士のシャレた身の回廻りの品物の陳列窓は素通りできない）を見つけたのだ。そこで再び大坪砂男を調べたところ、「門人に都筑道夫がいる」と書いてあるではないか。で、都筑道夫を改めて調べたところ、なんと昭和4年7月6日に、現在の文京区関口にあたるところで生まれている。佐藤春夫のお膝元で、しかも昭和4年にだ。この時の私の興奮、わかるでしょ(^^)
そこで今、都筑道夫の自伝的エッセイである『推理作家の出来るまで』という本を読み始めているのだが、なんと、この人が生まれた頃、近くに渡辺温が住んでいたのだそうだ。渡辺温という人と谷崎との関わりについてはリンク先や谷崎の『春寒』（私はまだ通して読んでいないので、近いうちに読みたい）を読んでいただくとして、もう何というか、数珠繋ぎにいろいろ出てきたのだ。
ややっ！　ということで、今度は高木治江著『谷崎家の思い出』を確認したところ、昭和4年の6月末に千代夫人の不在がほのめかされていた。その直前には千代夫人唯一の相聞歌や「坪田」という美男が来るという情報に反応する千代夫人の様子が書かれていたりもする。んー。終平さんは、千代夫人が2ヵ月くらいの子供を流産したと書いているけれども、果たしてどうだったのだろうか。流産しなかったと考えれば、大坪砂男との突然の破局、大坪砂男の突然の「女狂い」（兄弟の支援付き）の理由が見えてくる気がするのだけれども、それは今のところ私の想像でしかない。
昭和初年の岡本時代、谷崎の周囲では結構子供が生まれている。その中には「ねぬなはたた（て）じ」を実行していると思われるものもあるし、谷崎の妹の末さん（伊勢さんと合わせて『夢の浮橋』の第二の乳母のモデルと思われる。『瘋癲老人日記』では佐々木看護婦と油谷の奥さんにあたる。）の産んだ子は谷崎の弟である精二さんに引き取られている。となれば、『夢の浮橋』で無いことにされた年に沢子が産んだ子はどこにいるのか（菅原伝授手習鑑参照）。谷崎の作品には、想像以上に現実が埋め込まれているのだ。
そして今日、決定的とも思える情報を見つけた。都筑道夫の推理作家としてのデビュー作に『やぶにらみの時計』という作品があるのだが、この作品は昭和36年1月に中央公論社から出版されている。この作品では主人公を「きみ」と呼んでいる。颯子が「きみ」と呼ばれるのは「猿女君」の意味だろうけれども、ここにも理由があるとすれば、あの強調振りも納得できるような気がする（実は話の内容にも共通点がある）。『瘋癲老人日記』は同年8月から口述筆記開始。ここまで来れば、谷崎はこの師弟を意識して埋め込んでいると言っていいのではないだろうか。
となると、谷崎はなぜこの作品にこの師弟を埋め込んだかということになる。大坪砂男だけならばまだわかるけれども、都筑道夫が入る理由がない。『やぶにらみの時計』のトリックが『瘋癲老人日記』に活用できると思ったというだけではどうにも弱い。
実はもう1つ、『瘋癲老人日記』の舞台となっている老人の部屋や庭の四阿につながる、県犬飼橘三千代という歴史上の人物が浮かんでいるのだが、この人物に行き当たったのも、やはり高木治江著『谷崎家の思い出』からだった。これについてはまた後で書きたいと思う。
ということで、今回は『推理作家の出来るまで』の下巻をパラパラ見ていて見つけた一節を書いて締めたいと思う。家庭がうまくいかなくて悩んでいる知人に対して都筑道夫が「そんなにつらいのなら、奥さんと別れてしまえばいいじゃないですか」と言ったときの大坪砂男の言葉だ。
「きみ、そんな無責任なことを、いうもんじゃない。奥さんにも感情もあれば、意志もある。悩みもするんだ」
（中略）
大坪さんに、つよい調子で叱られたのは、あとにも先にもそのときだけだから、いまでも思い出す。
もう、誰を思い浮かべて言っているか、わかりすぎるほどわかるではないか。この一節を読んだとき、涙がブワッと膨らんできた。 </description>
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