みよこの部屋 コメントページ

2011 年 9 月 21 日

その474 『葵の女―川田順自叙伝』(1)

カテゴリー: 小説・作家 — みよこ @ 4:46 PM

最近、私の中で、谷崎文学の特に『蘆刈』以降の作品に一番影響した人物として川田順が浮かんできた。そこで、以前から気になっていた『葵の女―川田順自叙伝』をようやく入手して読んだ。

読み始めてすぐに興奮。特に『春琴抄』『幼少時代』『夢の浮橋』については、その元ネタの1つとして貴重な資料と思われる。さらに、関西移住後だけではなく、実は大正初期の一連の作品(初子、お須賀物ともいうべき作品群)もこの人の影響を受けていたのではないかと思われる。それについてはからくりがありそうなので後で書く。

とりあえず各作品への影響についてだが、とにかく大正初期と『蘆刈』以降はほとんど影響していると言っていいと思う。その中で、先に挙げた3作品について特に書いてみたいと思う。

『春琴抄』

川田順の母について、川田順の父である川田甕江の世話になる前は随分と苦労したらしいということで、そのことを伯母に聞いたところ、次のような問答になった。

「言はばあなたのお祖母さんが苦勞させたやうなものなんです。かう言つてはすみませんが、娘の器量のいいのが自慢で、嫁入先へ行つてはずゐぶん無理を並べたと聞いてゐます。はじめは藏前の有名な太物問屋、さんさくと云ふ家へかたづけたんですが、いくらも經たないうちに取戻して、今度は芝の大きなお風呂屋さんへ嫁にやつたんです」「風呂やといふと錢湯のことですか? ひどいですな」「さうぢやないのよ。順さんも江戸のことがわからなくりましたね。風呂屋といつたつて同業の元締めで、それはたいした身代のものなんでしたよ。それを又もお祖母さんが不縁にして、あなたのお父さまのお世話になるやうな筋道になつたんです」「それぢやボクの母は人形みたいなものですね」「さやうさ。本當におとなしい人で、右といへば右、左といへば左、半日でも一日でも、いはれた方を向いて坐ってる人でしたよ。可哀さうなものさ。さんさくの奥さんで収まつてゐたら、どんなに仕合せだつたらうと思ひますね」

これには自分の出生を否定されたようで川田順は面白くなかったようだが、帰宅後書庫の抽斗から罫紙に書かれた一篇の漢文を読み返す。それは川田順の父の依頼によつて依田學海という人が起草したもので「川田少房本多氏墓碣銘」と題してある。その一部。

「姫父曰清助。母大野氏。世以商出入柳川侯邸。購辨市場。家頗富。然性好靜不喜豪華。初帰一富商。其人極俗。姫怏怏不樂。遂求離別。時父資産落。利其容色。欲更嫁大腹。姫不肯曰。寧爲名士妾。不願爲俗人妻。乃帰甕江。姫清痩而白皙。素粧澹泊」「素拙於治生。偶有所得。父母兄弟隨而持去。不毫吝惜」「明治廿六年三月一日歿。享年三十七。越三日。葬東京吉祥寺側。乃川田氏之塋域也。姫以可瞑矣」

伯母の証言と墓碣銘に書いてあることでは話が全く異なる。

さらに、伯母の証言によれば猛烈母に苦しめられた可哀想な娘であること(症例としては「一卵性母娘」)、亡くなった年齢が春琴がお湯をかけられた時と同じことから、『春琴抄』の母子の最有力モデルと思われる。「川田少房本多氏墓碣銘」はそのまま「鵙屋春琴伝」の元と考えていいだろう(特に文字を大きくした部分)。

ただし、川田順が伯母の証言を聞いたのは昭和14年のこと。『春琴抄』はそれより前に書かれているので、記述と証言の食い違いについてはまだ発生していなかった。ただ、記述の方を見ただけでも、「んー」と思うところはあるので、その信頼性については何か思うところがあったかもしれない(その証言が記述の一部分の正しさを証明すると考えることもできるけれども)。

一卵性母娘の症例としては、『春琴抄』を書く際に参考にしたと思われるスタンダール著『カストロの尼』が思い浮かぶ。さらに、『春琴抄』執筆前後からの観察の対象として、谷崎のお気に入りの女優である高峰秀子母娘がいたのではないかと想像する(高峰秀子著『わたしの渡世日記』を読むと、彼女が明らかに自らを春琴と重ねているのがわかる)。

さらに、もう一人のモデルとして、川田順の長姉に「琴子」さんという方がいらっしゃる。この人の夫は三郊杉山令吉という人だそうだが、この方は「お琴、お琴」と妻を大切にしながら、結婚前に秘密の女性があって、子供もいたそうだ。このあたりも『春琴抄』に埋め込まれているだろう。

ここでもう1つ、もっと重大なことに気づいた。

川田順の幼少期、お竹さんという方が川田順とその妹の面倒を見ていたそうだが、この方のお父様の亡くなり方が、谷崎の『幼少時代』の伯父の亡くなり方と酷似している。次に引用してみる。

お竹の父は或る年の六月の夜に千住大橋から落ちて溺死した。過失か、他殺かわからなかった。(中略)商賣は實直な兄が繼いでますます繁昌したけれども、(後略)

実は、この件については、父に失敗の責任を取らせることになった従兄の気持ちを考えると前々から不自然な感じを持っていたところに、谷崎の末弟である終平さんが『懐しき人々』で妙な書き方をしていることに最近気づいた。

それとなく、私の親父と別れの盃を交した伯父は、その夜伊豆行の船に乗って入水した。(次兄は三崎通いの船だと書いているが、訊そうにも、もう知っている人はいない。)長兄が小田原の旅館で仕事をしていてたまたま立ち会う事が出来たというが、足一本しか上らなかったが、それが佐野屋の足袋をはいていて、特別な小鉤だったので証拠となったと子供の折聞いたが本当だろうか。

その伯父は妻を非常に大切にしていたけれども、やはり愛人がいて、その娘も一人いたそうだ。大正4年8月ということで、一連のお須賀物が終わる頃にあたる。谷崎と川田順が初めて直接対面したのは昭和5年だったようだが(出典:高木治江著『谷崎家の思い出』。交友関係からみて、明治の末から大正初めには会っていてもおかしくないのだけれども。)早川の「かめや」に隠れ住んで作品を書いた時には、間接的な影響があったと思われる。

この事件も『春琴抄』に深く埋め込まれているように思う。大塩平八郎生存説や『カストロの尼』の恋人が生きていた件と絡めて。晩年に足を悪くして寝たきりになった伯母は明治34年に亡くなっている。もう隠居して、信用のない息子の代わりに弟を置いて遠隔指導することにしたと思うのは考えすぎか。眼ならぬ足を捧げ物にして。

『春琴抄』が長くなったので、他の作品についてはまた次の記事で書きたい。

2011 年 9 月 7 日

その473 鼻たれ天狗―『瘋癲老人日記』解釈の過程から―

カテゴリー: 小説・作家 — みよこ @ 1:53 AM

都筑道夫という推理作家がいる。この人の作品に『鼻たれ天狗』というものがある。この作品には、『瘋癲老人日記』の入れ歯のシーンに引っかかって、それについて調べているうちに行き当たった。

それは、鼻が垂れ下がったというところに引っかかったことから始まった。『夢の浮橋』で、糺の父は賀茂建角身命になった。経緯はこちらをご覧いただくとして、この神様のお姿は天狗に似ている。つまり、鼻が垂れているということは、天狗の見習い、つまり、瘋癲老人は賀茂建角身命になるための見習い期間に入ったと解釈した。そこで「鼻たれ天狗」を検索した。そうしたら、都筑道夫という人の作品にぶつかったのだ。

冒頭のリンク先に全文が掲載されているが、なかなかエッチだ。だけれども、これが老人の入れ歯のシーンに実に見事に嵌まった。そのシーンの表す意味が、この作品によって鮮やかに浮かんできたのだ。このシーンでは、その前に何度か繰り返されるピンキースリラーどころではないことが起き、さらにそれだけでは済まない大きなことが起きている。『瘋癲老人日記』のクライマックスの1つだろう。

『鼻たれ天狗』は昭和57年の作品なので、もちろん谷崎がこの作品を意識したわけではないだろうけれども、この話は元々が民話のようなので、あるいはその民話の方を活用したのかもしれない。

ところが、話はこれで終わらなかった。谷崎終平著『懐しき人々―兄潤一郎とその周辺』を読み返したところ、冒頭近くの颯子に大坪砂男の要素(刀剣が大好きで、兎に角刃物に吸い寄せられる人で、婦人の着物や紳士のシャレた身の回廻りの品物の陳列窓は素通りできない)を見つけたのだ。そこで再び大坪砂男を調べたところ、「門人に都筑道夫がいる」と書いてあるではないか。で、都筑道夫を改めて調べたところ、なんと昭和4年7月6日に、現在の文京区関口にあたるところで生まれている。佐藤春夫のお膝元で、しかも昭和4年にだ。この時の私の興奮、わかるでしょ(^^)

そこで今、都筑道夫の自伝的エッセイである『推理作家の出来るまで』という本を読み始めているのだが、なんと、この人が生まれた頃、近くに渡辺温が住んでいたのだそうだ。渡辺温という人と谷崎との関わりについてはリンク先や谷崎の『春寒』(私はまだ通して読んでいないので、近いうちに読みたい)を読んでいただくとして、もう何というか、数珠繋ぎにいろいろ出てきたのだ。

ややっ! ということで、今度は高木治江著『谷崎家の思い出』を確認したところ、昭和4年の6月末に千代夫人の不在がほのめかされていた。その直前には千代夫人唯一の相聞歌や「坪田」という美男が来るという情報に反応する千代夫人の様子が書かれていたりもする。んー。終平さんは、千代夫人が2ヵ月くらいの子供を流産したと書いているけれども、果たしてどうだったのだろうか。流産しなかったと考えれば、大坪砂男との突然の破局、大坪砂男の突然の「女狂い」(兄弟の支援付き)の理由が見えてくる気がするのだけれども、それは今のところ私の想像でしかない。

昭和初年の岡本時代、谷崎の周囲では結構子供が生まれている。その中には「ねぬなはたた(て)じ」を実行していると思われるものもあるし、谷崎の妹の末さん(伊勢さんと合わせて『夢の浮橋』の第二の乳母のモデルと思われる。『瘋癲老人日記』では佐々木看護婦と油谷の奥さんにあたる。)の産んだ子は谷崎の弟である精二さんに引き取られている。となれば、『夢の浮橋』で無いことにされた年に沢子が産んだ子はどこにいるのか(菅原伝授手習鑑参照)。谷崎の作品には、想像以上に現実が埋め込まれているのだ。

そして今日、決定的とも思える情報を見つけた。都筑道夫の推理作家としてのデビュー作に『やぶにらみの時計』という作品があるのだが、この作品は昭和36年1月に中央公論社から出版されている。この作品では主人公を「きみ」と呼んでいる。颯子が「きみ」と呼ばれるのは「猿女君」の意味だろうけれども、ここにも理由があるとすれば、あの強調振りも納得できるような気がする(実は話の内容にも共通点がある)。『瘋癲老人日記』は同年8月から口述筆記開始。ここまで来れば、谷崎はこの師弟を意識して埋め込んでいると言っていいのではないだろうか。

となると、谷崎はなぜこの作品にこの師弟を埋め込んだかということになる。大坪砂男だけならばまだわかるけれども、都筑道夫が入る理由がない。『やぶにらみの時計』のトリックが『瘋癲老人日記』に活用できると思ったというだけではどうにも弱い。

実はもう1つ、『瘋癲老人日記』の舞台となっている老人の部屋や庭の四阿につながる、県犬飼橘三千代という歴史上の人物が浮かんでいるのだが、この人物に行き当たったのも、やはり高木治江著『谷崎家の思い出』からだった。これについてはまた後で書きたいと思う。

ということで、今回は『推理作家の出来るまで』の下巻をパラパラ見ていて見つけた一節を書いて締めたいと思う。家庭がうまくいかなくて悩んでいる知人に対して都筑道夫が「そんなにつらいのなら、奥さんと別れてしまえばいいじゃないですか」と言ったときの大坪砂男の言葉だ。

「きみ、そんな無責任なことを、いうもんじゃない。奥さんにも感情もあれば、意志もある。悩みもするんだ」

(中略)

大坪さんに、つよい調子で叱られたのは、あとにも先にもそのときだけだから、いまでも思い出す。

もう、誰を思い浮かべて言っているか、わかりすぎるほどわかるではないか。この一節を読んだとき、涙がブワッと膨らんできた。

2011 年 9 月 1 日

2011年8月 Carry on

カテゴリー: 思い出の壁紙 — みよこ @ 12:01 PM

Carry on

正解

「Carry on」 5名 難しいながらも比較的多くの方に正解していただきました。ありがとうございました。

その他の回答

「雨に消えたジョガー」、「クロームの太陽」、「灼けたアイドル」等の回答がありました。

ヒントの表示 7名

※ここで表示した○名という数字は、スペルの書き換え等のために続けて回答された分を差し引いた数字です。



2011年8月 Carry on

歌詞情報:Carry on 松任谷由実 歌詞情報 - goo 音楽

アルバム:TEARS AND REASONS

tcさん

あー、残念!一発目で正解だったのに頭文字が小文字でした。
それからドツボに入って最後はヒントに頼りましたとさ(^^;。

cygnusさん

この曲にはバルセロナオリンピック マラソン 谷口選手、給水で転倒して脱げてしまった靴を履くために戻っていった姿がオーバーラップする。そして、" SHANGRILA III ~ドルフィンの夢~ " オーラスの熱唱、忘れられない。あらからもう4年、続けていたら今年IVがあったはず。真夏の気怠い午後、未だにさめない熱気を感じる。

Dさん

ばばさん

今月も難しかったです~

夕映えに向かって走ってるから リフレインかな。。とか

この曲はアケイシァツアーの巨大ちょうちん(笑)が印象的で
記憶に残ってます。

ayaさん

この曲で思い出すのは、私にとって初めてだった逗子。2000年のVol.15です。

薄紫、青が混じりあったようなライトの色。モニターにはモノクロの映像。
映ったのは、まず空、流れる雲。
やがて、モニターには、ユーミンの、メンバーの、映像がオーバーラップして映りだす。
いつしか、バックの鉄塔を照らすライトは、歌詞の世界そのままに、虹の七色に変化する。
端から順に赤、橙、黄、黄緑..
モニターに映るユーミンの表情が、すごく..良かった。
汗でぬれた髪が、顔にはりついても。少し荒い息をふっと吐いた時も。
歌声も、すごく心に染み入る感じがした。

ラストに2階ステージ中央に現れたユーミン。
その左右から、バンドメンバー、コーラス、ダンサー..が2人ずつ出てきて。ユーミンの両側で立ち止まりユーミンに向けて。
あるペアは空手の礼を。あるペアは親指を立ててサインを。
あるペアは腰振りダンス?を。ガッツポーズを..

・・と上記、昔、自分のサイトにUpしていたレポからのコピーだったりいたしますが(^^;;;

あらためて、読み返して、その時の映像と感動がよみがえってきました。

「金の炎が燃える場所へ」走りつづけているのは、ユーミン。
この歌は、ユーミンにこそ贈りたい。
そんなこと、感じたことを思い出しました。

みよこの思い入れ

まさにユーミン、今の私たち、そして日本に贈りたい曲ですね。

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