その467 『瘋癲老人日記』再読
先月のCD以来いろいろ気になり、『瘋癲老人日記』を読み返している。もう何度も読み返し、さらに細かいところをチェックしている。
小説を読み返したときに最初に思ったのは、『瘋癲老人日記』はどうやら『夢の浮橋』の後日譚らしいということだった。当初は『夢の浮橋』の経子の商家の嫁時代が、舞台を変えて書かれたのかと思ったが、どうもそれだけではないことに気付いた。なんと、瘋癲老人の父母が亡くなった年が、『夢の浮橋』の糺の父と経子の亡くなった年と一致しているのだ。
さらに読んでいくと、細かなところで妙に『夢の浮橋』と絡んでくる。特に、颯子と浄吉が二人で友人の結婚式に出かけるシーンがあるのだが、この時の颯子の衣装が異常なのだ。色味がどうもねぇ。なにやら夕顔のような色合いなのだ。これはどうやら結末の大きなヒントになりそうだ。
作品中には随所に、というか、作品中で使用される言葉、登場人物の食べ物や表情の表現、幅、図、歌舞伎や映画の演目、薬や煙草の種類、虫も含めた動植物、最後に付けられた日記等も含めて、すべてに謎やヒントが埋め込まれている。当然「助六」はその最たるもので、物語全体を担っている。また、老人の家が「本所割下水」から「狸穴」に引越したということから、落語「化け物使い」が導き出されてきたが、これも物語全体の筋から最後のドタバタに大いに活きている。老人が五子のことを「狸奴」とか「古狸」(ツイッターでは誤って、というか思い込みで「子狸」と書いてしまった)とか言っているのは、種明かしだろう。実際、「助六」と「化け物使い」を頭に入れてこの作品を読むと、メチャクチャ笑えるドタバタ劇になる。
また、老人の夢に登場した「母」の簪と、城山五子の2人の子供の名前なども注目だ。私はここから「旗本退屈男 謎の珊瑚屋敷」を思い浮かべた。
『夢の浮橋』の方のベースは日本の神話が中心だったように思うが、『瘋癲老人日記』では、さらにわかりやすさを求めたのか、ギリシャ神話も絡めている。日本神話とギリシャ神話には、とても似ているお話があるのね。今のところ、この作品に使われているもので私が確認できているギリシャ神話のお話は2つだ。
『瘋癲老人日記』は、『夢の浮橋』の謎解きの役割もしている。『瘋癲老人日記』の各種の謎を解いていけば、親戚関係のつながりも見えて、系図の方も、よりわかりやすいものを作ることができると思う。
例によって、この作品を読んでいる最中にいろいろつぶやいた。それについては、ツイログをご覧いただければと思う。
最後に、作品中で使われている「颯子」が活けたことになっている花に添えられた和歌を引用しておく。
吾か背子(せこ)はいつく遊(ゆ)くらむおき津ものなはりのやまを氣布(けふ)か古ゆらん
もともとの和歌の作者および解説はこちらのサイトが詳しい。
老人には、佐々木看護婦による審判が既に済んでいるのに、生き残ってしまったものだから、その後はP剤とQ剤による審判が続くのね。








