その453 『鴨東綺譚』(その1)
7月下旬、ラブレターズのご愛読者様から昭和31年2月末から週刊新潮に連載された『鴨東綺譚』を送っていただいた。この作品は、モデル問題のために6回目で第一部完ということにして中断されたものだが、読み進むうちに、この方がなぜこの作品を送ってくださったかがよくわかった。この作品は『蘆刈』と『夢の浮橋』の間を埋める作品だったのだ。
それについては後で書くとして、この作品を読んでまず第一に感じたのは、ヒロイン奈々子のモデルに対する谷崎の並々ならぬ好意である。血筋が谷崎の求める像にピッタリで、浮気者で、底抜けに明るくお人よしで、何を言われても傷つかない(と谷崎は誤解した)、しかも自分をモデルに作品を書いてくれと言ってくれる彼女こそ、谷崎の作品の理想的なモデルと思ったのだろう。彼女の面白さに引き込まれた谷崎の筆致は止まるところを知らず、そのためにいたずらに彼女や周囲の人間を苦しめ、中断のやむなきに至った。
とは言っても、谷崎は彼女そのものを描きたかったわけではなく、京都を含め、関西の中・上流家庭を通して、『卍』以来谷崎が描きたかった世界を表現したかったわけで、少しずつその布石は打たれていた。ただ、彼女を知る人にはどうしてもモデルは彼女以外には考えられず、その行動のすべてが彼女そのものに思えてしまったであろうことは想像に難くない。そのため、たとえモデルの反対が無くても、いずれは行き詰ったであろう気はする。
それにしても、谷崎は女性について単純に考え過ぎるところがあるように思う。自分でも何かで「おめでたいところがある」と書いているが、実際、かなりのものだ。
ヒロインは作品の中でこういうような言葉を時々発する。
「何とでも云つて頂戴、私平氣よ」
これを乾という作家は言葉通りに受け取っているのだが、この後には(だからそれ以上言わないで)や(私の知らないところで言われている分には)が続くのであり、決して平気なわけではないのである。
その感情は、彼女の行動にもだんだん現れてくる。京都の中に話を聞いてもらえる人がいない彼女は、当初、彼女の内にあるものを乾に向かって吐き出していたが、それが次第にその妻である「光子」に向かい、それもどうも違うと思い始めたのか、家には上がらなくなってくる。たぶん余計なことを話すのは良くないと思い始めたのだろうが、それでも吐き出し切るまでは止まらないので、相変わらず長話になってしまうのだけれども。
彼女の態度の変化には、さらにもう一つの要因も想像できる。谷崎は、もしかしたら彼女の変化の理由をそちらの方に解釈していたのかもしれない。
ところで、先ほど「光子」が出てきたが、奈々子の夫がかなり不気味に描かれており、この人物が「綿貫」を彷彿とさせる。和田青年の件で中途半端に終わってしまった『卍』が読者の頭に浮かぶことも、谷崎には想定済みだっただろう。
実は、「光子」という名前はこの作品や『卍』だけに出てくるのではない。私の知る限りは、明治44年の『少年』、大正11年の『永遠の偶像』にも光子が登場する。それらの光子に共通するのは、絵に描かれたり、彫刻にされたりしていること。それから、当初は男性の意のままに振る舞っていたのが、知恵をもって男性を征服し、男性のコントロールから脱する女性ということだ。
また、偶像化した時点で谷崎にとってこの女性の価値は極点に達しており、その後の女性はそこからずれていくのみである。あるいは小説のモデルとして対するのでなければそれでも良いが、小説家である谷崎がその後も小説のモデルとして対したい相手の場合には、もはや「上がり」であり、いずれは別れるか、別れられなければ一緒に滅ぶしかない存在となるのである。
『鴨東綺譚』は昭和22年頃が舞台なので、その頃の松子夫人は、谷崎にとって、あるいはそういう女性になっていたのかもしれない。
次回は、この作品が具体的にどのように『蘆刈』と重ねられ、それが『夢の浮橋』につながったかを書こうと思う。








