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2010 年 5 月 3 日

その447 『夢の浮橋』と『蘆刈』

カテゴリー: 小説・作家 — みよこ @ 6:06 AM

先日、丁未子夫人のことを調べたくて三島佑一著『谷崎潤一郎と大阪』を読んだところ、『夢の浮橋』『蘆刈』の関係について気になり、久しぶりに『蘆刈』を読み直した。
もちろん、夫婦で一人の女性に仕える理想が共通しているとか、『夢の浮橋』の第1稿で、第2の母の本名が「静」だということは知っていたが、読み直して、「これほどとは」と驚いた。『夢の浮橋』は、『蘆刈』のいわば続編だったのだ。これは加藤医師のことについてまとめる際にも重要な発見なので、ここで書いておきたいと思う。

『蘆刈』は、主人公が「まだおかもとに住んでいたじぶんのあるとしの九月のこと」、ふと思い当たって水無瀬宮址まで散歩に行くところから始まる。

冒頭には、謡曲『蘆刈』から歌が引いてある。

君なくてあしかりけりと思ふにも
  いとゝ難波のうらはすみうき

この後には「千世」という文字が出てくる和歌も登場する。まさに千代夫人と別れた後、寂しさをこらえていたころの心境から、この物語が始まる。

ここで水無瀬宮址の場所について、次のように書かれる。

山崎は山城の国乙訓郡にあって水無瀬の宮址は摂津の国三島郡にある。されば大阪の方からゆくと新京阪の大山崎でおりて逆に引き返してそのおみやのあとへつくまでのあいだにくにざかいをこすことになる。

水無瀬宮址に着いた主人公は、離宮の占めていた形勝を次のように想像する。

院の御殿は南に淀川、東に水無瀬川の水をひかえ、この二つの川の交わる一角に拠って何万坪という宏壮な庭園を擁していたにちがいない。いかさまこれならば伏見から船でお下りになってそのまま釣殿の匂欄の下へ纜をおつなぎになることもでき、都との往復も自由であるから、ともすれば水無瀬殿にのみ渡らせ給ひてという増鏡の本文と符号している。

月の出を待つあいだに夕餉をしたためておこうと饂飩屋に入った主人公は、そこの主人に月を見るために淀川へ舟を出したいと言うと、川幅が広く、まん中に大きな洲があるので、そこで渡船を乗り換える間に川の景色をご覧になってはと言われたので、露に湿った雑草の中を踏みしだきながら一人でその洲の剣先の方へ歩いて行って蘆の生えている汀のあたりにうずくまり、酒を飲みながら月を眺めていたところ、蘆の間から主人公の影法師のようにうずくまっていた男が現れ、主人公にお遊様と呼ばれる女性と男の父である芹橋慎之助とその妻になる静の話を聞かせるのだった。

蘆荻の生い茂る2つの川が合流する場所というように、谷崎が幼少時に住んでいた茅場町や真鶴館のあった霊岸島(蒟蒻島)を思い浮かべる設定から、影法師のようにうずくまっていた男は谷崎の分身であり、それを誰か関西の人の上に当てはめたのではなかいと推定する。

『蘆刈』で特に重要なシーンはここだ。

そんな場合父はあの別荘の女あるじのことを「あのお方」といったり「お遊様」といったりしてお遊さまのことをわすれずにいておくれよ、己がこうして毎年おまえをつれてくるのはあのお方の様子をお前におぼえておいてもらいたいからだと涙ぐんだこえでいうのでござりました。

男の母は、男が父にお遊様を覗きに連れて行かれる2~3年前に亡くなり、父と男は2人暮らしをしていたことになっている。ここが『夢の浮橋』の最後と重なるのだが、果たしてこの時この男の母である「静」は亡くなっていたのだろうか。この答えが『夢の浮橋』の第1稿ということになる。

第1稿では、先妻が「有為子」である。「お遊様」がニックネームであることは『蘆刈』に書かれているので、つまり、お遊様は伏見の造り酒屋に嫁いだ何年後かに亡くなり、その後身代わりに「静」が入ったということになる。つまり、この後妻が男の母であり、『蘆刈』の父は妻を通じてお遊様を、息子は母を覗きに行っていたということになる。それが、「お遊様」と「あのお方」というように呼び方を微妙に分けている所以だろう。元妻を「あのお方」と呼ぶのは不自然に思うかもしれないが、そこには父の静に対する尊敬が現れているのではないかと思う。

ということで、『蘆刈』の冒頭の和歌は、その時の谷崎の心境と男がお遊様だけでなく、妻をも譲り渡した心境を示していることになる。これは「お遊様母説」に対する答えにもなるのではないかと思う。

ただし、「お遊様」と「静」が先妻と後妻に投影されるのは第1稿までの話だ。決定稿で『夢の浮橋』の主人公の名前を変更せざるを得なくなった時、谷崎はその主役の役割を大きく変えたのではないかと推定する。それは、どちらかわからない「茅渟」に対する「特殊な性格」という表現に集約される。

決定稿では、血の継承がテーマになっているように思う。そこには、第2の母のモデルの一人である松子夫人の妹重子さんの夫が越前松平家をルーツにもつ、津山松平家の血を引く人であることから、松子夫人の入籍に際して松子夫人の実家から強請されて松子夫人の紋に家紋を変えた経緯を含めて自分の人生を投影させながら、最終的に欲しい結果、つまり武(得三)を引き取るという結果を得るための苦心が詰まっている。

ただし、『蘆刈』とのつながりがまったく途切れているわけではない。それは乳母である。乳母の家が近江になったのは決定稿で、第1稿では丹波だった。これが近江になったことで、乳母が芹橋の嫁である「静」であることを意味することができるのである。そしてその方がより謡曲「蘆刈」の筋に合うことになる。
『蘆刈』の芹橋(つまり男の父)は、滋賀県彦根市芹橋とかかわりがあると思われる。谷崎は『私の姓のこと』という随筆の中で

「江戸ッ児の多くは、近江、伊勢、三河の国の出身であるから、私の家も多分は江州商人の子孫であると考えて間違いはあるまい」

と書いていることが野村尚吾著『谷崎潤一郎風土と文学』に書かれているのだが、『蘆刈』で谷崎はその地をその芹橋に設定したのではないだろうか。また、『蘆刈』で「静」は小曾部の娘ということになっているが、現在の高槻市に古曽部という地名がある(近くに日吉という地名もある)。武は丹波の黒田村の芹生に預けられたという。高槻市は丹波の一部に当たる。ということで、武はいずれにしても乳母の実家筋または嫁ぎ先に預けられたと考えられるのではないだろうか。

『夢の浮橋』の裏の物語を解くには、これまで書いてきた『アンナ・カレーニナ』、徳富蘆花の『不如帰』を読む必要があるが、さらに、登場人物の苗字や住んでいる場所も大変なヒントになる。

人間関係のつながりは、「名前」がキーポイントになっている。つまり、そこに該当する人がどういう人であるかは関係なく、いくつかのエピソードとあとはひたすら名前をつなげてイメージを膨らませていく方法が取られているように思える。

最後に、調べているうちに挙がってきた名前や地名について、ここに列挙して置こうと思う。
結城秀康永見貞愛伏見宮貞愛親王伏見宮博恭王邦芳王
日吉神社(京都・室町仏光寺)、二条あたり等々。これらの名前が挙がってきた経緯について詳しくは、ツイログを見ていただきたい。

それから、伊吹和子著『われよりほかに―谷崎潤一郎最後の十二年』をめくっていて気づいたが、谷崎の『三つの場合』は要チェックのようだ。糺の父の亡くなり方は岡さんそっくりだし、「明さんの場合」はさらに重要だ。
さらに、「母」が「ほととぎす」の歌を記した色紙に使われている古代の手法に依った本式の墨流しの紙は、

豊臣秀吉にも、代々の徳川幕府にも重用されたこと、皇室にもたびたび献上した

ということが「無形文化財墨流の由来」という説明書の紙面いっぱいにびっしりと書かれていたと書かれている。

今回挙がってきた人名等については、糺の苗字の「乙訓」や、高木治江著『谷崎家の思い出』に出てくるシーンから端を発したものだったが、新たな発見をしていくたびに、『夢の浮橋』解明のヒントはことごとく伊吹和子著『われよりほかに―谷崎潤一郎最後の十二年』に書かれているということを実感する。

次回は、これまでの成果をもとに、乳母と加藤医師との関係を明らかにしていきたい。

1 件のコメント »

  1. 武が最初に預けられた「野瀬」家。野瀬という地名も彦根市にありました。
    黒田村の芹生も、乳母の実家筋ではなく、芹橋が生まれたところと考えれば、すべて芹橋の筋に預けられたと考えることもできます。


    コメント by みよこ — 2010 年 5 月 6 日 @ 5:51 PM

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