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2010 年 3 月 1 日

その442 『富美子の足』の隠居と『夢の浮橋』の父

カテゴリー: 小説・作家 — みよこ @ 5:23 PM

加藤医師の件に戻る前に、『富美子の足』を読んで、『夢の浮橋』の父について、見過ごしがたい共通点あるいは相違点を見つけたので列記してみたい(引用文:谷崎潤一郎文庫, 六興出版, 昭和53年)。

〔死に至った病〕

○『富美子の足』の隠居

糖尿病と肺結核

○『夢の浮橋』の父

腎臓結核

〔足の愛で方〕

○『富美子の足』の隠居

隠居がモデル台の代りに使った竹の縁台には、今度のことで始(ママ)めて座敷のまん中へ持ち出されたのではなく、彼は前からしばしば密閉した部屋の内でその縁台にお富美さんを腰掛けさせ、自分は犬の真似をして彼女の足にじゃれ着いたことがあるのだそうです。

○『夢の浮橋』の父

夏の夕暮れには床を池に差し出して父と母と三人で夕餉をしたためたり、涼を納れたりした。時には檜垣の茶屋から料理を持って来たり、どこからか仕出し屋の職人が材料を運んで来て、あのだだっ広い台所で包丁を使ったりすることもあった。父は添水から流れ落ちる水の下まで歩いて行ってビールを冷やした。母も床から足を垂らして、池の水に浸していたが、水の中で見る母の足は外で見るよりも美しかった。母は小柄な人だったので、小さくて丸っこい、真っ白な摘入れのような足をしていたが、それをじいっと水に浸けたまま動かさず、体中に浸み渡る冷たさを味わっている風であった。

〔寝付くまで〕

○『富美子の足』の隠居

七里が浜の別荘の方へ引き移ったのでした。表向きの理由は、糖尿病と肺結核とがだんだん重くなって来るので、転地をしなければならないという医者の勧告によったのですが、実は世間の人目を避けて、お富美さんと誰憚らずふざけ散らして暮らしたかったのでしょう。しかし、別荘の方へ移ると間もなく、隠居の病勢はいよいよ昂進して来たので、表向きの理由はやがて実際の理由らしくなってしまいました。病気に対してはかなり気の強い人で、糖尿病だというのに大酒を呷ったりするのですから、悪くなるのはあたりまえでした。それに糖尿病よりは肺病の方が日増しに心配な状態になり、夕方になると三十八度の熱が毎日つづくようになりました。以前から少しずつ痩せ始めていた体は、急にげっそり衰えて、半月ばかりの間に見違えるほど窶れてしまい、お富美さんとふざけ散らすどころの騒ぎではなくなって来たのです。

○『夢の浮橋』の父

父が意地にも起き上がる元気がなくなり、全く病床の人となったのは八月に入ってからであった。もうその時は全身に浮腫が来ていた。加藤医師は毎日か隔日ぐらいに欠かさず来た。病人の衰弱は日を追うて募り、起き上がって物を食べる意欲もなく、母は片時も枕頭を離れなかった。

〔病床の様子〕

○『富美子の足』の隠居

病勢が募るにつれて老人は次第に気むずかしくなり、食事の際などに料理に味の付け方が悪いと云っては、小間使いのお定を捉まえてしばしば叱言を云いました。
(中略)
「またそんな分からないことを云っているんだね……喰物がまずいのはお定のせいじゃありゃあしない。自分の口が変わってるんじゃないか。病人のくせに勝手なことばかり云っているよ。――お定や、かまわないから打ッちゃっておおき。そんなにまずいなら喰べないがいい。」
あまり隠居が焦立って来ると、お富美さんはいつもこう云って怒鳴りつけました。彼女に怒鳴り付けられると、ちょうど蛞蝓が塩を打っかけられた如く、老人はすうッと消えてしまいそうに眼を塞いで大人しくなります。そんな時のお富美さんは、まるで猛獣使いが猛り出した虎やライオンを扱うような工合なので、傍で見ている者はハラハラせずにはいられませんでした。
わがままで手の附けられない老人に対して、いつの間にやらこれほどの権威を振るうようになっていたお富美さんは、その頃時々病人を置き去りにしたまま別荘を明けて、何処へ姿を消すのだか半日も一日も帰って来ないことがありました。
(中略)
別荘は隠居とお富美さんの外に、この小間使いのお定と、飯炊きのおさんどんと、風呂番の男と、都合五人暮らしでした。お富美さんは今も云うようにろくろく病人の世話をしませんでしたから、看護の役を勤めた者は重(ママ)にお定一人だったのです。医者は看護婦を置くように勧めましたけれど、隠居は決して承知しませんでした。なぜかというと、――隠居は未だに、じっと床の上に倒れたきり起きも上がれない体でありながら、未だに例の秘密な癖を止めなかったので、看護婦がいれば楽しみの邪魔になると思ったのでしょう。この事実を知っている者は、当の相手、――美しい足の所有者たるお富美さんと、かく云う僕と、それからお定と、三人だけでした。
(中略)
医者の予言したとおり、今年の二月になって隠居は遂に危篤の状態に陥りました。しかし意識は割り合いにハッキリしていて、時々思い出したように妾の足のことを云いつづけるのでした。食欲などはまるでなくなっていましたけれど、それでもお富美さんが、たとえば牛乳だとかソップだとかいうようなものを、綿の切れか何かへ湿して、足の趾の股に挟んで、そのまま口の端へ持って行ってやると、病人はそれを貪るが如くいつまでもいつまでも舐っていました。このやり方は、最初隠居が考え附いたので、病が重くなってからはずっとそういう習慣になっていました。そうして食べさせなければ、誰が何を持って行っても一切受け附けませんでした。たとえお富美さんでも手を使わないで足でやらなければ駄目だったのです。

○『夢の浮橋』の父

「看護婦をお雇いになったら」と加藤氏はすすめたが、母は「私がします」と云って他人には触らせなかった。それはまた父の希望でもあるらしかった。三度の食事の世話、といっても、ほんの一と口か二口食べるだけであったが、母はいろいろ考えて、父の好物の鮎の鮨や鱧の鮨を取り寄せては与えた。(中略)ときどきアルコールを薄めて全身を拭いてやる必要もあった。そういうことに母はいささかの骨身も惜しまず、何もかも手ずからした。病人は母以外の者が手出しをすると苦情を云ったが、母のしてくれることには一言の不平も述べなかった。癇が亢って些細なことも耳につくらしく、庭の添水の音をさえ喧しいと云って、止めさせた。(中略)たまに親戚や知人が見舞いに来たが、それらの人にも会いたがらなかった。母は夜昼休む暇もなかったが、よくよく疲れると、手伝いに来ていた私の乳母が代りを勤めた。私は母にこんな我慢強い、辛労に耐える一面があるのを知って驚いた。

私はかなり早い時期から、『夢の浮橋』の父と「母」の間にはもしかしたら夫婦関係はないのではないかと疑っていたのだが、その疑いがいよいよ濃くなった。「母」はあくまで足を愛でる対象であり、夫婦関係の対象ではなかったのではないだろうかと。
さらに言えば、『富美子の足』の隠居とお富美さんと定との関係は、『夢の浮橋』の父と「母」と乳母の関係と同じなのではないだろうか。
そうなると、武の父は誰なのか、それどころか、糺の出生にも何か秘密がありそうだし、もっと言えば、「生母」のお腹の中で一緒に亡くなった糺の弟か妹は誰の子だったのかということになる。

最後に乳母が言った「そういうことなら、もう一度ちっさいぼんちゃんのお相手をさせていただきましょう」という一見何も問題ないように思える一言に、重大な意味が含まれているように思う。

ちなみに糺は最後に署名をしているが、その名前は乙訓糺(おとくにただす)である。この手記で、彼はいったい何をお得に正したのだろうか。さらに、その意味は「お得に正す」だけに止まるのか。これが解ければ、『夢の浮橋』の全体像が見えてくるように思う。

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