その438 『夢の浮橋』加藤医師の件(2)
各資料について詳しく見ていく前に、加藤医師の登場場面をさらっておくことにする。
1. 「母」の健康診断(医師の名前はない)
医師の健康診断では、母は心臓に多少の欠陥はあるけれども、分娩に差し支えるほどのものではなく、大体において達者な体質だということで、その年の五月に男の児を生んだ。お産は自宅で行われ、私の部屋になっていた六畳の茶の間が産室にあてられた。
理由があってあえて名前を出さなかったのかもしれないが、これから示す記述からも加藤医師と考えて差し支えないと思う。
2. 野瀬家との関係(これは加藤医師と関係ないように思えるが、一応入れておく)
父の代になってからも、盆暮にはこの家の当主や女房が、毎年新鮮な野菜を車に積んで挨拶に見えた。殊にこの家の加茂茄子と枝豆は市中では得られない品だったので、私の家ではその荷車が着くのを楽しみにしていた。私の方からも、秋にはしばしば茸山へ招かれて、親子三人に親戚の誰彼や乳母などが一晩泊りで出かけて行ったことがあるので、私も幼い時からあの土地に馴染んでいた。
3. 加藤医師についての記述初登場
父のかかりつけの医師は寺町今出川の加藤という人で、父は最初のうちは往診を求めることはなく、「ちょっと散歩に行って来る」と、ときどきこっそり電車で診てもらいに行っていたが、私がそれを嗅ぎつけたのは今年になってからであった。
4. 糺が加藤医師に父の病状を聞く
「父は自分では膀胱炎だと云っているんですが、ほんとうにそれだけのことなんでしょうか」
私は父が病名を明らかにせず、医師へ通うのをさえ内密にしているのに疑いを抱き、ひそかに加藤医院を訪ねて院長に問うたことがあった。
「膀胱炎もあることはあるんですが、そんならあんたは、お父さんから何も聞いておいでやないのですか」
と、幼い時から昵懇にしている加藤氏は、いささか意外という顔つきで云った。
「ご承知の通り父は何事も引っ込み思案で秘密主義なので、自分の病気の状態などはなかなか話してくれないんです」
加藤氏は「そりゃ困ったな」と云って、「実は私は、お父さんの御病気の実際を、御当人にそう露骨には申し上げてないけれども、おおよそ分るように匂わしてあります。だからお父さんもお母さんも大体の覚悟はしていらっしゃるらしいのですが、なぜそのことをあなたに隠しておられるのか、私には分からない。多分あなたに、早くから無用な悲しみをさせたくないというおつもりかも知れない。しかし私には私の立場もあるから、あなたがそれほど心配しておられるのに、隠しておくのもどうかと考える。お宅と私とは昨日や今日のつきあいではなく、御先代からの関係もあることだから、ここで私が独断を以ってお知らせしても差支えないと思います」とそう云って、「こう云えばもうお察しがついたでしょうが、はなはだお気の毒ながら、お父さんの御容態はどうも芳しくないのです」と、次のようなことを打ち明けてくれた。
以後糺がまとめた説明が続くのだが、かいつまんで記述する。
- 初診時の父の訴えは、尿に血が交じって出る、排尿後に必ず不快感が伴う、下腹部に重圧感がある、常に微熱がある、等々であった
- 加藤氏はその時すでに触診によって左右の腎臓が腫れているのを認めた。尿に結核菌が混じていることも分った。氏はその方の専門ではないから大学の泌尿科へ行って検査を受け、レントゲンを撮ってもらうようにすすめた。
- 父は気が進まないらしく、億劫がって容易に検査に出掛けなかったが、加藤氏は再三すすめて泌尿科の友人宛てに紹介状を書いて渡すと、ようやく出かけた。
- 加藤氏はその友人から検査の結果を聞くことができたが、膀胱鏡で調べたところも、レントゲン写真の示すところも、加藤氏がひそかに恐れていた通り、腎臓結核で、しかも致命的な症状であることが明らかになった。
- 現在は外出も可能で、それほどの病人ではないように見えるが、いずれは寝着くようになり、長くても今後一二年の命である。
- 加藤氏は、「これはなかなか油断のならん病気ですから軽う考えてはいけませんな。これからは私の方から週に一二回伺いますから、なるべくお宅で安静にしていられる方がよろしいでしょうな」と、その時父に遠回しに警告し、なお次のような問答を遣り取りした。
「そしてこの際特に御注意申したいのは、夫婦間の交わりを慎んでいただくことですな。今のところ空気伝染の恐れはありませんから、外の家族は心配ありませんが、奥さんは気をおつけにならんと」
「とすると、やっぱり結核みたいなもんやのですか」
「まあ、そうですが、肺結核ではないのです」
「そんなら、どこの結核やのです」
「結核菌が腎臓を冒してるのです。しかし腎臓は二つありますから、一つが冒されてもそう慌てることはありません」
加藤氏が辛うじてその場を糊塗すると、父は諒承して、
「分りました、御忠告の件はその通りに致しますが、ですが体の動ける間は散歩する方が気晴らしになりますので、私の方から伺います」
と云い、その後も依然自分の方から診てもらいに来、往診に来られることを喜ばぬ風であった。 - 来る時は大概一人であったが、たまには母が附き添うて来た。
5. 父があとどれくらいの命か聞く
「先生、これで私はあとどのくらい持つもんですやろかな」
と、ある日父がひょっこりと云い出したことがあった。
「何でそんなこと仰っしゃるんです」
と、加藤氏が云うと、父は薄笑いを浮かべながら、
「お隠しにならいでもよろしいがな、私には最初からそういう予感がしてましたんや」
「何で?」
「何でや分りません、動物的な直覚とでも云うのでしょうかな、ただ何とのうそういう感じがありました。なあ先生、私は分ってますさかい、ほんまのことを云うて下さい」
父の性格を呑み込んでいる加藤氏は、父の云うことをその言葉通りに受けた。父は昔から勘の鋭い男であるから、自分の運命を疾うから予知していたのかも知れない。(中略)父の言葉に強いて逆らわず、それを婉曲に肯定する返事をした。
以上が、加藤氏が私に告げてくれたところのすべてであるが、なお付け加えて、この病気は最後に肺を冒すようになる場合が多いから、奥さん以外の方々も気をおつけになる方がよいとのことであった。
6. 父が意地にも起き上がる元気がなくなる
加藤医師は毎日か隔日ぐらいに欠かさず来た。病人の衰弱は日を追うて募り、起き上がって物を食べる意欲もなく、母は片時も枕頭を離れなかった。「看護婦をお雇いになったら」と加藤氏はすすめたが、母は「私がします」と云って他人には触らせなかった。
7. 糺の結婚式で仲人をする
仲人役を引き請けてくれたのは医師の加藤氏夫妻であった。長年観世流の稽古で喉を鍛えていた加藤氏は、この時とばかり高砂の一くさりを謡ってくれたが、その朗々たる音声を私は上の空で聞いた。
父は遺言の時、「さしあたり然るべき仲人を思い当らない」と言っていた。つまり、父は加藤氏には頼みたくなかったと思われる。
8. 母が百足に刺されて呼ばれる
加藤医師がすぐ駆けつけて応急の処置を取り、注射をつづけざまに打ったが、母の苦悶は刻々に増して行った。血色、呼吸、脈搏、等の状態は、最初に私達が考えたよりも重大な容態にあることを示した。加藤氏はつききりであらん限りの手を尽くしたが、夜が明ける頃には危篤に陥り、間もなく母は死亡した。「ショック死と考えるより外考えようがありません」と、加藤氏は云った。
次回はユーミンの記事を入れるので、その後、中河与一著『探美の夜』の妹尾君子さんが亡くなる場面について見ていくことにする。








野瀬家との関係のところで、「親子三人に親戚の誰彼や乳母などが一晩泊りで出かけて行ったことがあるので」という記述がありますが、この「親戚の誰彼」が誰であるかは徳富蘆花著『不如帰』を読むことで明確にわかる仕掛けになっていました。
ということで、これはまぎれもなく加藤医師です。
コメント by みよこ — 2010 年 3 月 25 日 @ 1:09 AM
母の健康診断をしたのは加藤医師だと思っていたが、これが大きな罠だったのかもしれない。
医師の名前は加藤氏しか出ていないのだからそう考えるのが順当に思えるが、
もし加藤氏だったら、母が妊娠してからの父の受診に夫婦間の交わりは云々というのはおかしい。
だいいち結核菌が混じているのなら、加藤氏ならば妊婦との同居さえ禁止するのではないだろうか。
それであれば、「母」の死因の説明がつく。
加藤氏は「母」の心臓の欠陥については知らなかったと。
それを糺は加藤氏が知っているようにミスリードする必要があったのだと。
コメント by みよこ — 2010 年 3 月 30 日 @ 12:06 PM
血清注射の副作用によって死に至るのはアレルギーによるものであり、血清注射と心臓疾患との関係についてはよくわからない。心臓喘息と気管支喘息との混同もあったのだろう。
たとえば谷崎の実母が丹毒で血清注射を受けたが、その際に医師が「不思議なほど心臓が強い」と言ったという谷崎の証言がある(これも随分な言い方だと思うが)。
そして血清注射により一旦症状が退いた後、再び悪化したときにも血清注射を打ったことにより、血清病によるアナフィラキシーショックが起こったものと考えられる。
http://www.yusasyo.net/1-116.shtml
また、谷崎との離婚騒動中、丁未子夫人が妹尾君子さん宛に書いた手紙に「心臓のために血清注射の一本も打てないやうなことでございますから」というものがある(秦 恒平著『神と玩具の間』より)。
つまり当時、心臓に欠陥がある人間には血清注射は禁忌であったということはいえるだろう。
コメント by みよこ — 2010 年 3 月 30 日 @ 5:56 PM