みよこの部屋 コメントページ

2010 年 2 月 24 日

その441 『富美子の足』

カテゴリー: エンターテインメント, 小説・作家 — みよこ @ 8:35 AM

TBSの日本文学シネマで、谷崎の『富美子の足』が加藤ローサの主演で放送された。
原作は谷崎潤一郎文庫の第1巻に入っているので随分昔から持っていたのだが、なぜかまだ読んでいなかったので、この機会に読んで、そのうえでドラマも見た。ちなみに1981~1983年の全集の場合は第6巻、『潤一郎ラビリンス』では4の「近代情痴集」に入っている。

原作は大正8年に書かれたものだが、青年が谷崎先生に自分の体験をぜひ小説にしていただくべく書いた手紙という形式になっている。そのためか、第一印象は『卍』のような感じを受けた。
一通りの説明が済むと、谷崎が幼少時に母と経験した2回の地震の時に母がかかりつけのお医者や実家で足を拭いた時の肢体を富美子の上に表現したと思われるシーンが実に詳細に記述される(原作ではそれは種彦の田舎源氏で、絵はたしか国貞であったと記憶していると書かれる草双紙を手本に富美子にその肢体を真似させており、ドラマでは実際に草双紙に印刷されている絵も登場した)。谷崎の母はこの草双紙を意識してそういうことをしたのだろうか。

老人が、富美子にその肢体をさせることを説得するシーンがすごい。まるで『われよりほかに―谷崎潤一郎最後の十二年』に描かれる晩年の谷崎そのもののようなので、引用してみる。

すると隠居は、今度はお富美さんに向って三拝九拝せんばかりに哀願して、煽てるやら賺かすやらいろいろの御機嫌を取りながら、何卒縁台へ腰をかけて足を拭いてくれろと頼むのです。(勿論そう云って頼んでいる間でも、顔はにこにこと笑っていましたが、眼だけはますます物凄く血走っていました。)(中略)そんなポオズをすることはモデルに立つ人の方でもかなり困難なわけで、おそらくこの姿勢を三分とはつづけていられまいと思ったからです。にも拘らず、わがままなお富美さんが案外たやすく隠居の願いを聴き入れて、いやいやながら縁台に腰を据えたのは、――それにはきっと何かしら深い理由があるのだろうと、僕はひそかに推量しました。もしお富美さんがどこまでもいやだと云って承知しなかったら、隠居の気違いじみた眼の色はいよいよ募って来て、ついにはその気違いが眼ばかりでなく、何等かの言動となって発作を起こしはしなかっただろうか?――それを恐れたためにお富美さんは我を折ったのではなかろうか? 僕には何となくそういう風に考えられました。

ところで、このお話は隠居が富美子に額を踏まれながら、無限の歓喜の中に息を引き取るところで終わるのだが、これは晩年の『瘋癲老人日記』を思わせる。

『瘋癲老人日記』の老人は当初亡くなる予定だったが、松子夫人、重子夫人、千萬子さんの反対により、死なないことになったという経緯がある。

伊吹氏は、『瘋癲老人日記』は当初谷崎の生涯の親友でありパトロンであった笹沼源之助氏への手向けのつもりで書かれたのではないかと書いている。さらに颯子のモデルは本当に千萬子さんなのだろうかという疑問も示している。松子さんなのではないだろうかと。
初めてそれを読んだ時には、特に松子夫人についてはそれは少し頑なではと思ったが、笹沼氏については「瘋癲=ぶーちゃん」かと妙に納得が行った。実際『富美子の足』にも笹沼氏の追悼文集に寄せた谷崎の『「撫山翁しのぶ草」の末尾に』という一文に描かれる笹沼氏の性質を思わせる記述が出てくる。『幼少時代』によると、笹沼氏は谷崎の性教育係でもあったらしいので、もしかしたらそのあたりの性質もある程度共通していたのかもしれない。

松子夫人については、確かに「さつこ=まつこ」で語呂は合うし、松子夫人との結婚に際して親友の笹沼氏まで遠ざけたことへのお詫びと考えれば何となく辻褄は合うかなとも思う。でもよく考えてみると、松子夫人よりもこの場合は千代夫人の姉「初子」とみる方が自然なのではないだろうか(ちなみに『富美子の足』は、谷崎が元芸者である初子さんの経営している「嬉野」という店によく出入りしていた頃が舞台と思われるが、富美子のモデルは千代夫人も含む三姉妹すべてのように思う)。

『夢の浮橋』の第2の母の経歴に妹尾君子さんの経歴が投影されていることはこれまでも何回か書いてきたが、谷崎の女性遍歴をテーマにした『探美の夜』を読むと、千代夫人の姉である初子さんと妹尾君子さんのキャラクターが非常によく似ているのだ。しかも、「さつこ=はつこ」でこちらも語呂が合う。『夢の浮橋』を書いた後の流れとしても、その方が無理がないように思うなぁ。

ドラマの方は加藤ローサのテンションが演出の関係なのかもしれないがやたら低いまま一本調子で進み、お富美さんを隠居の理解者として描くためか、最後には何やら語らせていたが、それを見ながら「お富美さんはそんなこたあ語りゃあしないよ」と思った。でも、加藤ローサの顔や足は結構原作に近いなあと思った。
また、私がドラマを見る前に他の人がつぶやいているのを読んだところ、文章はいいけど、映像にするとかなりきついかなと思ったが、意外にきれいに撮れていて、夫なども「幸せな死に方だよな。金持ちだからこそできる死に方だけど。子供たちに周りを囲まれて泣かれるより、若いお姉ちゃんに踏まれながら死ぬ方が、そりゃいいに決まっている」と好感触だった。

それから、原作を読んだとき、病床についた隠居の様子が『夢の浮橋』の父親と酷似しているのに気付いた。これは糺の語らないところを補う資料になるかもしれない。

その440 Y MODEコンサート映像オンデマンド配信(Aパターン)

カテゴリー: ネットワーク, 苗場 — みよこ @ 4:35 AM

Bパターンに続いて、今回はAパターンの感想を書いてみたいと思う。といいつつ、その439では、Bパターンと書きながら、Bパターン独自の曲については何も触れていなかった(^^; そこで、A、B各パターン独自の曲についてから書いてみる。

Aパターンは「潮風にちぎれて」「雨のステイション」「グループ」「最後の春休み」、Bパターンでは、「真冬のサーファー」「TUXEDO RAIN」「グループ」「Good luck and Good bye」が歌われた。私の好みとしては、どちらかというとAパターンかな。ああ、でもBパターンの「TUXEDO RAIN」や「Good luck and Good bye」も好きだなぁ。結局どちらも好きということになるのだけど(^^) 並べてみると、それぞれ同じようなテーマでどちらを選ぶかという感じで選曲しているみたいね。

で、Aパターンの話だが、リクエストコーナーの選曲から、どうやら2月10日の映像のようだ。
この日のゲストはホリケンとビビる大木。リクエストコーナーで登場し、途中まで司会をしていた。

リクエストの1曲目は、「消息」
結構おじさんにみえる人だったが、話の感じから50くらいかしら。年齢が近い感じがした。

2曲目は「ANNIVERSARY」
夫婦で登場。非常に仲が良く、聴いている間ずっと手を握り合い、顔を見合わせていた。手を握り合っているところは、アップで映し出された。

3曲目は「Happy Birthday to You」
13歳の子が出てきて、「お父さんの誕生日なので」と言えとお母さんに言われたとのこと(^^)

インターネット配信を見てすぐ書けばよかったのだけど、時間が経ってしまい、忘れていることが多いのが残念。
今年の苗場レポはインターネット配信についてだけだが、皆様のお部屋からは実際に苗場に行かれた方々のページに行け、詳細なレポートを読むことができるので、そちらの方もぜひご覧いただきたい。私もじっくり読ませていただきたいと思っている。

2010 年 2 月 20 日

その439 Y MODEコンサート映像オンデマンド配信(Bパターン)

カテゴリー: ネットワーク, 苗場 — みよこ @ 1:33 AM

30周年目の苗場が終わった。この記念すべき年に残念ながら行けなかったが、その分、ネットで鑑賞させていただいている。今回は、Y MODE(サイトは3月8日17:00までオープン)で15日まで配信されたBパターンのライブ映像について書きたい。

セットリストはヒデさんのところで確認していただくとして、映像の中からいくつか取り出して感想を書いてみたい。

リクエストコーナーの選曲から、どうやら2月8日の映像のようだ。そこで、そのリクエストコーナーから書いてみる。

まずは「海を見ていた午後」
いくぶん年齢が高めの方だったが、リクエストする曲がことごとく「松ランク」。ユーミン曰く、松任谷さんと武部さんがユーミンの曲を松・竹・梅とランク付けしているそうなのだが、このリクエストコートナーでは「より梅な曲が喜ばれる」ということで、この時もあらかじめそれをユーミンが言っていた。そのそばからこういう事態になったわけで(^^;
まず最初に「海を見ていた午後」、さすがにこれはということでユーミンが「他にない?」と言うと、「ひこうき雲」(^^;
「振っても出てきそうにないから、あなたのリクエストなら何でも歌います。「海を見ていた午後」「ひこうき雲」以外なら(爆)。」と言われて「春よ、来い」
さらにもう一声と言われて「守ってあげたい」。これにはさすがにユーミンも「もうこの辺で勘弁してやろうか」ということで「海を見ていた午後」に決まった。

選曲の時点であまりエピソードは期待できないと思っていたら、そうでもなく、これがいい話だった。毎年奥様の誕生日にドルフィンに行って、それから決まったコースをデートするのだそうだ。いいねぇ。こういうの。年齢が行っているからこその、今年の苗場のテーマにもピッタリはまったようなお話だった。

次が「セイレーン」
Tシャツの着方がおしゃれとユーミンが褒めていた、なかなかおしゃれな感じの30代。サーファーなのかな。この方の年齢はユーミンが一度でピタリと当てていた。

最後が「冬の終り」
これはまことにリクエストコーナー向きだということで、こちらもエピソードを期待したが、残念ながらこの方はユーミンファン歴はそれほど長いわけではなく、どちらかというゆずのファンのようで、出てくる話がことごとくゆず絡み(^^;
年齢当ては、最初「おっ若い」と言っていたのに、ステージに上がったとたん、意外に行っていたりしてということで、なんとユーミン、2つばかり上を言ってしまう。女の子相手にちょっと失敗(^^) 年齢は難しいわね。

今回のコンサートは30回スペシャルということで、「思い出深いシーンを思い出深い曲と共にお送りしたいと思います。」というユーミンの言葉で始まった。
私も聴きながらいろいろなことを思い出したわ。特に、当時セットとしてドライヤーが置かれた「甘い予感」。「竿おやじ」3人が、ドライアーを頭にかぶりながら雑誌を読んでいたんだけど、「私信じない」のところでその雑誌を投げたのよね。
今回はドライヤーはなく、ものすごーく地味な演出だったけど、1人1人に女性コーラス+かほりんがついてメイクをして、その後いよいよ「告白」へ。客席の中からのシュプレヒコールは盛り上がったねぇ。

それから、市川さんの「私の司会はどうでしかい?」もよーく覚えている。市川さん本人も、緊張でなまってしまい、客席がどんびきしているのがわかったと言っていたが、いやー、衝撃だったわよ、あの時は。でも、なんだか温かい感じがしてね。ますますファンになったわよ。

市川さんの後は、コーラスや田中さんが酔っ払って出てくる演出があったが、田中さんの酔いっぷりが素晴らしかった。ずーっと後ろ向きのままなのだが、あのソフトな声で、「おれはベースの田中だ!」とクダを巻いているときと電話がかかってきた時の落差など、すごい演技力だなぁと思った。

アンプラグドは「心ほどいて」。ファラウェー隊だわね(^^) あれからすっかり定着したのよね、アンプラグド。

で、もっとも印象に残ったのが、新曲「ダンスのように抱き寄せたい」。「あなたとなら それでいい ずっと踊るのこのまま」には思わず涙が…。
後でマサノリに話したら、「ウンウンウン」ってニコニコしながらうなずいていたわ。

何しろねぇ、昨年のアルバムを聴いたときから勝手に心配していたものだから(^^; 最近はそれらの勝手に感じていた影も雲散霧消しているのを感じていたところにこの曲ですっかり嬉しくなったわ(^^)

ところで、この曲は映画「RAILWAYS」の主題歌ということだが、映画の内容に共感して作ったそうだ。時間は平等、若い時のままじゃいられないんだと思ったとき初めて見える景色を歌にしたとのこと。

そういえば私も短大の頃、将来どういう形でも、谷崎の研究を続けていきたいと思っていたことがあって、それが一時すっかり忘れていたのが、谷崎の生誕100周年で思い出し、さらに没後40年で再度熱が上がって今に至っている。ただ調べるだけでなく、ネットが発達したことで、こつこつと発表することもできるし、良い時代になったものだ。まあ、谷崎のことは、調べるにつれて良いことばかりではなくなってきつつあるのだけど… それでも一応は突き詰めてみたいかな。どういう結果が現れて来たとしても。

ところでこの映画には百恵友和の次男も出ているのね。ご両親によく似てるわね(^^) 長男はお父さんのバンド分野を受け継いで、次男は俳優を受け継ぐ。いい息子たちだわよね(^^)

さて、話はコンサートに戻るが、メンバー紹介は何回目からの出演ということも併せて紹介。最後にユーミン自ら「1回目からの参加、ヴォーカル・松任谷由実」とコール。
ラストはセットを指差し「これからもずっとやります。ほら、骨をうずめる墓場があるでしょ。」という言葉と共に「経る時」で締めた。

2010 年 2 月 15 日

その438 『夢の浮橋』加藤医師の件(2)

カテゴリー: 小説・作家 — みよこ @ 5:21 AM

各資料について詳しく見ていく前に、加藤医師の登場場面をさらっておくことにする。

1. 「母」の健康診断(医師の名前はない)

医師の健康診断では、母は心臓に多少の欠陥はあるけれども、分娩に差し支えるほどのものではなく、大体において達者な体質だということで、その年の五月に男の児を生んだ。お産は自宅で行われ、私の部屋になっていた六畳の茶の間が産室にあてられた。

理由があってあえて名前を出さなかったのかもしれないが、これから示す記述からも加藤医師と考えて差し支えないと思う。

2. 野瀬家との関係(これは加藤医師と関係ないように思えるが、一応入れておく)

父の代になってからも、盆暮にはこの家の当主や女房が、毎年新鮮な野菜を車に積んで挨拶に見えた。殊にこの家の加茂茄子と枝豆は市中では得られない品だったので、私の家ではその荷車が着くのを楽しみにしていた。私の方からも、秋にはしばしば茸山へ招かれて、親子三人に親戚の誰彼や乳母などが一晩泊りで出かけて行ったことがあるので、私も幼い時からあの土地に馴染んでいた。

3. 加藤医師についての記述初登場

父のかかりつけの医師は寺町今出川の加藤という人で、父は最初のうちは往診を求めることはなく、「ちょっと散歩に行って来る」と、ときどきこっそり電車で診てもらいに行っていたが、私がそれを嗅ぎつけたのは今年になってからであった。

4. 糺が加藤医師に父の病状を聞く

「父は自分では膀胱炎だと云っているんですが、ほんとうにそれだけのことなんでしょうか」

私は父が病名を明らかにせず、医師へ通うのをさえ内密にしているのに疑いを抱き、ひそかに加藤医院を訪ねて院長に問うたことがあった。
「膀胱炎もあることはあるんですが、そんならあんたは、お父さんから何も聞いておいでやないのですか」
と、幼い時から昵懇にしている加藤氏は、いささか意外という顔つきで云った。
「ご承知の通り父は何事も引っ込み思案で秘密主義なので、自分の病気の状態などはなかなか話してくれないんです」
加藤氏は「そりゃ困ったな」と云って、「実は私は、お父さんの御病気の実際を、御当人にそう露骨には申し上げてないけれども、おおよそ分るように匂わしてあります。だからお父さんもお母さんも大体の覚悟はしていらっしゃるらしいのですが、なぜそのことをあなたに隠しておられるのか、私には分からない。多分あなたに、早くから無用な悲しみをさせたくないというおつもりかも知れない。しかし私には私の立場もあるから、あなたがそれほど心配しておられるのに、隠しておくのもどうかと考える。お宅と私とは昨日や今日のつきあいではなく、御先代からの関係もあることだから、ここで私が独断を以ってお知らせしても差支えないと思います」とそう云って、「こう云えばもうお察しがついたでしょうが、はなはだお気の毒ながら、お父さんの御容態はどうも芳しくないのです」と、次のようなことを打ち明けてくれた。

以後糺がまとめた説明が続くのだが、かいつまんで記述する。

  • 初診時の父の訴えは、尿に血が交じって出る、排尿後に必ず不快感が伴う、下腹部に重圧感がある、常に微熱がある、等々であった
  • 加藤氏はその時すでに触診によって左右の腎臓が腫れているのを認めた。尿に結核菌が混じていることも分った。氏はその方の専門ではないから大学の泌尿科へ行って検査を受け、レントゲンを撮ってもらうようにすすめた。
  • 父は気が進まないらしく、億劫がって容易に検査に出掛けなかったが、加藤氏は再三すすめて泌尿科の友人宛てに紹介状を書いて渡すと、ようやく出かけた。
  • 加藤氏はその友人から検査の結果を聞くことができたが、膀胱鏡で調べたところも、レントゲン写真の示すところも、加藤氏がひそかに恐れていた通り、腎臓結核で、しかも致命的な症状であることが明らかになった。
  • 現在は外出も可能で、それほどの病人ではないように見えるが、いずれは寝着くようになり、長くても今後一二年の命である。
  • 加藤氏は、「これはなかなか油断のならん病気ですから軽う考えてはいけませんな。これからは私の方から週に一二回伺いますから、なるべくお宅で安静にしていられる方がよろしいでしょうな」と、その時父に遠回しに警告し、なお次のような問答を遣り取りした。
    「そしてこの際特に御注意申したいのは、夫婦間の交わりを慎んでいただくことですな。今のところ空気伝染の恐れはありませんから、外の家族は心配ありませんが、奥さんは気をおつけにならんと」
    「とすると、やっぱり結核みたいなもんやのですか」
    「まあ、そうですが、肺結核ではないのです」
    「そんなら、どこの結核やのです」
    「結核菌が腎臓を冒してるのです。しかし腎臓は二つありますから、一つが冒されてもそう慌てることはありません」
    加藤氏が辛うじてその場を糊塗すると、父は諒承して、
    「分りました、御忠告の件はその通りに致しますが、ですが体の動ける間は散歩する方が気晴らしになりますので、私の方から伺います」
    と云い、その後も依然自分の方から診てもらいに来、往診に来られることを喜ばぬ風であった。
  • 来る時は大概一人であったが、たまには母が附き添うて来た。

5. 父があとどれくらいの命か聞く

「先生、これで私はあとどのくらい持つもんですやろかな」
と、ある日父がひょっこりと云い出したことがあった。
「何でそんなこと仰っしゃるんです」
と、加藤氏が云うと、父は薄笑いを浮かべながら、
「お隠しにならいでもよろしいがな、私には最初からそういう予感がしてましたんや」
「何で?」
「何でや分りません、動物的な直覚とでも云うのでしょうかな、ただ何とのうそういう感じがありました。なあ先生、私は分ってますさかい、ほんまのことを云うて下さい」

父の性格を呑み込んでいる加藤氏は、父の云うことをその言葉通りに受けた。父は昔から勘の鋭い男であるから、自分の運命を疾うから予知していたのかも知れない。(中略)父の言葉に強いて逆らわず、それを婉曲に肯定する返事をした。

以上が、加藤氏が私に告げてくれたところのすべてであるが、なお付け加えて、この病気は最後に肺を冒すようになる場合が多いから、奥さん以外の方々も気をおつけになる方がよいとのことであった。

6. 父が意地にも起き上がる元気がなくなる

加藤医師は毎日か隔日ぐらいに欠かさず来た。病人の衰弱は日を追うて募り、起き上がって物を食べる意欲もなく、母は片時も枕頭を離れなかった。「看護婦をお雇いになったら」と加藤氏はすすめたが、母は「私がします」と云って他人には触らせなかった。

7. 糺の結婚式で仲人をする

仲人役を引き請けてくれたのは医師の加藤氏夫妻であった。長年観世流の稽古で喉を鍛えていた加藤氏は、この時とばかり高砂の一くさりを謡ってくれたが、その朗々たる音声を私は上の空で聞いた。

父は遺言の時、「さしあたり然るべき仲人を思い当らない」と言っていた。つまり、父は加藤氏には頼みたくなかったと思われる。

8. 母が百足に刺されて呼ばれる

加藤医師がすぐ駆けつけて応急の処置を取り、注射をつづけざまに打ったが、母の苦悶は刻々に増して行った。血色、呼吸、脈搏、等の状態は、最初に私達が考えたよりも重大な容態にあることを示した。加藤氏はつききりであらん限りの手を尽くしたが、夜が明ける頃には危篤に陥り、間もなく母は死亡した。「ショック死と考えるより外考えようがありません」と、加藤氏は云った。

次回はユーミンの記事を入れるので、その後、中河与一著『探美の夜』の妹尾君子さんが亡くなる場面について見ていくことにする。

2010 年 2 月 13 日

その437 『夢の浮橋』加藤医師の件(1)

カテゴリー: 小説・作家 — みよこ @ 6:14 PM

乳母の次は加藤医師について書きたい。
これに先立ち、資料として合歓亭で糺が「母」の乳を吸うシーンで読むつもりだったトルストイ著『アンナ・カレーニナ』と、妹尾君子さんが亡くなった時の様子について調べるために中河与一著『探美の夜』、そして『夢の浮橋』の構造を解き明かす資料として、谷崎が昭和5年に『春寒』というエッセイで「これは自分の今迄の全作品を通じてもすぐれてゐるものの一つと思う」と書いた、大正10年に書かれた一人称の作品である『私』(『潤一郎ラビリンスVIII 犯罪小説集』『谷崎潤一郎犯罪小説集』に入っている)と、丹治愛編『批評理論』の中から、東京大学の山田広昭教授による「テクストの無意識はどこにある――精神分析批評」を読んだ。

山田先生の批評では『夢の浮橋』が例として分析されている。先月一橋大学で開かれた研究セミナーで山田先生とお会いすることができ、この本を教えていただいた。

実は、2007年にその351で

糺が澤子と別れるときにいろいろ注文を付けられたとワザワザ記されていることと、この『春琴抄』の件とを結びつけて考えた人は誰もいなかったのだろうか。さらに、『母を恋ふる記』に出てくる「母」に繋げた人はいないのだろうか。

と書いているのだが、やはり結びつけた方はいらっしゃったのだ。それをテクストから論理的に説明する著述に出会うことができたのはとても嬉しい。特に、第2の母に心臓の疾患があることを知っていた人物が、糺と医師だけであるということを示す記述には、その頃から頭に浮かび始めた加藤医師の件と合致するものを感じ、心強く思った。

お会いしたセミナーでは、加藤医師と糺の父との会話が距離を感じさせるためなのか、いくぶん標準語らしくしているという話をさせていただいた。これは伊吹和子著『われよりほかに―谷崎潤一郎最後の十二年』に書かれていることなのだが、実際に該当個所を読むと何とも言えない距離を感じるのだ。この時、山田先生の表情がすっと引き締まり、メモをとられていた。

ここであらためてその個所を読んでみると、次のようになっている。

また、父親が二度目の妻を娶りたいと「糺」に告げるところや、遺言、青年期になった「糺」、父親の主治医である「加藤医師」の会話のあたりは、幾分か標準語らしく、間接話法めかして書きましょう、と、先生は指示された。

となっている。重要なシーンばかりだ。つまり、父と加藤医師だけでなく、糺をも含めた関係性がこの言葉の使い方に含まれていることを示しているのかもしれない。

講演者であるアンヌ・バイヤール=坂井先生とお話しができたのもとても有意義だった。研究者でもない素人が場違いなところに出て行ってどうしたものかと思ったが、勇気を出した甲斐があったというものである。

『私』は、やはり一人称の小説なのだが、語り手が犯人という構図のものだ。そして最後に結構長めに主人公が語るのだが、これが谷崎が悪人意識を持つようになって以降、生涯にわたる理論だったのかもしれない。ここでは語り手は決して嘘はついていないのだが、読者はどうしても語り手の無実を信じてしまう。語り手と彼を疑うもう1人以外の登場人物も、もしやと思いながら、そう思うことは己を賤しめることだと思い、主人公を疑わないことを選ぶのだ。つまり、『夢の浮橋』で糺が沢子について言っているようなことを読者も登場人物も考えるわけである。
ただ、『夢の浮橋』は話をもっと複雑にしている。糺は、読者がそういう心理を持っていることを十分承知のうえでこの告白を書いているのだ。

そういえば、以前『黒白』について書いたが、これもこの系列の作品だったのかもしれない。この作品では、罪をなすりつけるための人物も登場する(『春琴抄』では利太郎に相当し、『夢の浮橋』ではこれにさらに1クッション入る)が、話の流れでもはやひっくり返せない状況になり、それを拷問で告白するのでは意味がないということで中断やむなきに至ったのではないかと、『私』を読んで思い至った。

『探美の夜』は小説だが、モデルが大変はっきりしているものだ。著述の方針として、著者はあとがきで次のように書いている。

私は根と葉とを丹念に調べるために出来るだけ多くの土地に行き、多くの人々に逢ったのにすぎない。だから此処に書かれている限り根と葉とに於ける正確は保証するが、登場人物の心理や行動については保証しない。それは私のものであってモデル自身のものではないからである。

実際、当時は谷崎も生きていたし、当事者の中にも生きている方がいらっしゃったため、幾人かについては抜かしてあり、別の人のエピソードとして書かれているところがあるが、妹尾夫人の死の経緯については十分な資料になると思う。

『アンナ・カレーニナ』は、シチェルバッキー家の3姉妹やその夫やその兄弟を中心とした物語だが、この作品の男性登場人物にはことごとく谷崎を見てしまった。『細雪』や『蓼喰う虫』等への影響も見られる。この作品が実母亡き後、いや、小田原事件後の谷崎の私生活のフィクション化の台本だったのではないだろうか。

実際、晩年にニコライ教会派のキリスト教徒になり、男の子は1人だけ残して長女と三女に婿を取り「己は馬車に乗るようになる」と言った『幼少時代』に書かれている祖父の言動は、まるでシチェルバッキー老侯爵になろうとしていたようだし、『幼少時代』全般を通じて谷崎や他の兄弟の境遇についてある疑いを持つように誘導されている気配があるが、これは『夢の浮橋』のストーリーへの布石だったのかもしれない。

次回以降、これらの資料について詳しく見ていきながら、加藤医師および『夢の浮橋』全体の謎について迫ってみたい。

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