その441 『富美子の足』
TBSの日本文学シネマで、谷崎の『富美子の足』が加藤ローサの主演で放送された。
原作は谷崎潤一郎文庫の第1巻に入っているので随分昔から持っていたのだが、なぜかまだ読んでいなかったので、この機会に読んで、そのうえでドラマも見た。ちなみに1981~1983年の全集の場合は第6巻、『潤一郎ラビリンス』では4の「近代情痴集」に入っている。
原作は大正8年に書かれたものだが、青年が谷崎先生に自分の体験をぜひ小説にしていただくべく書いた手紙という形式になっている。そのためか、第一印象は『卍』のような感じを受けた。
一通りの説明が済むと、谷崎が幼少時に母と経験した2回の地震の時に母がかかりつけのお医者や実家で足を拭いた時の肢体を富美子の上に表現したと思われるシーンが実に詳細に記述される(原作ではそれは種彦の田舎源氏で、絵はたしか国貞であったと記憶していると書かれる草双紙を手本に富美子にその肢体を真似させており、ドラマでは実際に草双紙に印刷されている絵も登場した)。谷崎の母はこの草双紙を意識してそういうことをしたのだろうか。
老人が、富美子にその肢体をさせることを説得するシーンがすごい。まるで『われよりほかに―谷崎潤一郎最後の十二年』に描かれる晩年の谷崎そのもののようなので、引用してみる。
すると隠居は、今度はお富美さんに向って三拝九拝せんばかりに哀願して、煽てるやら賺かすやらいろいろの御機嫌を取りながら、何卒縁台へ腰をかけて足を拭いてくれろと頼むのです。(勿論そう云って頼んでいる間でも、顔はにこにこと笑っていましたが、眼だけはますます物凄く血走っていました。)(中略)そんなポオズをすることはモデルに立つ人の方でもかなり困難なわけで、おそらくこの姿勢を三分とはつづけていられまいと思ったからです。にも拘らず、わがままなお富美さんが案外たやすく隠居の願いを聴き入れて、いやいやながら縁台に腰を据えたのは、――それにはきっと何かしら深い理由があるのだろうと、僕はひそかに推量しました。もしお富美さんがどこまでもいやだと云って承知しなかったら、隠居の気違いじみた眼の色はいよいよ募って来て、ついにはその気違いが眼ばかりでなく、何等かの言動となって発作を起こしはしなかっただろうか?――それを恐れたためにお富美さんは我を折ったのではなかろうか? 僕には何となくそういう風に考えられました。
ところで、このお話は隠居が富美子に額を踏まれながら、無限の歓喜の中に息を引き取るところで終わるのだが、これは晩年の『瘋癲老人日記』を思わせる。
『瘋癲老人日記』の老人は当初亡くなる予定だったが、松子夫人、重子夫人、千萬子さんの反対により、死なないことになったという経緯がある。
伊吹氏は、『瘋癲老人日記』は当初谷崎の生涯の親友でありパトロンであった笹沼源之助氏への手向けのつもりで書かれたのではないかと書いている。さらに颯子のモデルは本当に千萬子さんなのだろうかという疑問も示している。松子さんなのではないだろうかと。
初めてそれを読んだ時には、特に松子夫人についてはそれは少し頑なではと思ったが、笹沼氏については「瘋癲=ぶーちゃん」かと妙に納得が行った。実際『富美子の足』にも笹沼氏の追悼文集に寄せた谷崎の『「撫山翁しのぶ草」の末尾に』という一文に描かれる笹沼氏の性質を思わせる記述が出てくる。『幼少時代』によると、笹沼氏は谷崎の性教育係でもあったらしいので、もしかしたらそのあたりの性質もある程度共通していたのかもしれない。
松子夫人については、確かに「さつこ=まつこ」で語呂は合うし、松子夫人との結婚に際して親友の笹沼氏まで遠ざけたことへのお詫びと考えれば何となく辻褄は合うかなとも思う。でもよく考えてみると、松子夫人よりもこの場合は千代夫人の姉「初子」とみる方が自然なのではないだろうか(ちなみに『富美子の足』は、谷崎が元芸者である初子さんの経営している「嬉野」という店によく出入りしていた頃が舞台と思われるが、富美子のモデルは千代夫人も含む三姉妹すべてのように思う)。
『夢の浮橋』の第2の母の経歴に妹尾君子さんの経歴が投影されていることはこれまでも何回か書いてきたが、谷崎の女性遍歴をテーマにした『探美の夜』を読むと、千代夫人の姉である初子さんと妹尾君子さんのキャラクターが非常によく似ているのだ。しかも、「さつこ=はつこ」でこちらも語呂が合う。『夢の浮橋』を書いた後の流れとしても、その方が無理がないように思うなぁ。
ドラマの方は加藤ローサのテンションが演出の関係なのかもしれないがやたら低いまま一本調子で進み、お富美さんを隠居の理解者として描くためか、最後には何やら語らせていたが、それを見ながら「お富美さんはそんなこたあ語りゃあしないよ」と思った。でも、加藤ローサの顔や足は結構原作に近いなあと思った。
また、私がドラマを見る前に他の人がつぶやいているのを読んだところ、文章はいいけど、映像にするとかなりきついかなと思ったが、意外にきれいに撮れていて、夫なども「幸せな死に方だよな。金持ちだからこそできる死に方だけど。子供たちに周りを囲まれて泣かれるより、若いお姉ちゃんに踏まれながら死ぬ方が、そりゃいいに決まっている」と好感触だった。
それから、原作を読んだとき、病床についた隠居の様子が『夢の浮橋』の父親と酷似しているのに気付いた。これは糺の語らないところを補う資料になるかもしれない。







