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2010 年 1 月 16 日

その432 谷崎にとっての「母」

カテゴリー: 小説・作家 — みよこ @ 3:51 PM

その431では、糺が6歳、9歳、13、4歳の頃について『幼少時代』から抜き出したが、これには、谷崎が11、2歳の頃の重大な記述が抜けている。谷崎が明徳稲荷の神楽堂で毎月夜の闇に不思議な悪夢を見始めた時期にもあたる(寿々女連がおこの事件を扱ったのを見たとき、谷崎はその首に誰を見ていたのだろうか。松平紀義で検索すると、いろいろと興味深いことが出てくる)。

『夢の浮橋』では、13、14歳頃から乳母とではなく一人で寝るようになったが、その後もときどき母に「お母ちゃん、一緒に寝さして」と言い、母もそう言われると喜んで言われるままにし、父もそれを許していたと記述されている。だから年表には、13、4歳の頃を独立させて、「一人で寝るようになったが、その後も時々母と寝ることがあった」と書くべきだったのかもしれない(谷崎の乳母の死とシンクロすることになる)。

谷崎が11歳の時、妹の園さんが生まれた。この人は、長女であるが故に何処へも遣られず、家で養われることになったのだが、当時母は33歳の厄年で母乳が出なくなっていたので、谷崎が始終コンデンスミルクを買いに行かされたことが、『幼少時代』に書かれている。
谷崎は、母の眼を盗んでこのコンデンスミルクをこっそりと匙に掬って飲んだ。精二さんの時に母乳を飲んだことから、谷崎はコンデンスミルクを少しずつ盗み飲むことで不安を落ち着かせたのではないかと推測する。

谷崎が自分で唯一の自伝的小説と言っている『異端者の悲しみ』は、この園さんを囲む両親と、父母と喧嘩する乱暴者の自分を対照的に描き、園さんの死によって母が一気に老け込んだことをもって終わる。また、『母を恋ふる記』では明らかに実母と思われるおばさんを母と認めず、新内流しのお姉さんを母と認める。つまり、谷崎にとって「母」とは、この園さんが亡くなる前までの母ということになる。

そこで、この時期の『幼少時代』記述で興味深いものを挙げてみる。

餅菓子(近頃東京では餅菓子といわずに生菓子というようであるが、以前には餅菓子とのみいった)は母が三橋堂に限るといって、いつも小網町へ買いに行かされた。あの店は現在も大体もとの場所にあるらしいけれども、以前は入り口が鎧橋通りの方でなく、南側についていたように思う。買いに這入ると、主人であったか番頭であったか、襷がけで前掛を締めた男が出てきて、菓子を詰めてくれたことを、それが三十前後の、やや面長な、色白な人であったことを、私は今も忘れずにいる。

何だか和田青年を思わせる。
もう1つ。谷崎はこの南茅場町2番目の家の周囲を、夜は暗くて怖かったことを盛んに強調しているのだが、一方でこのような記述もある。

おりおり、夜おそくまで父や母が帰って来ないで、精二と、ばあやと、三人で留守をすることがあった。多分両親が蛎殻町で話し込んでいたか、そうでなければ、父は蔵座敷で先に寝床に這入ってしまって、母が銭湯へ漬かりに行っていたのであろう。
(中略)
母が出かけるのはいつでも夜の十時頃であった。それというのは、夫婦さし向いでご飯を済ます間が、相当長かったからである。父は一本つけてもらうと、他愛もなく好い気持になり、眼をつぶって上半身を乗り出しながら、ちょっと意気な咽喉を聞かせた。
父は存分唄ったあとでは、そのままごろりと横になってしまう。かと思うと、すぐに物凄い鼾を掻き出す。
(中略)
そして、度々のつまりは手を引っ張り脚を引っ張りして抱き起こし、さんざん手数をかけて蔵座敷に運び込む。母はそうして置いてから、ようよう代官屋敷の銭湯へ行く。時にはばあやも一緒に連れて行ってしまう。
(中略)
ばあやはなるべく早く済まして、先に帰って来るけれども、母は非常な長湯なので一時間たっても帰らない。(中略)ああおッ母さんはまだなのかなあ、何処をそんなに洗う所があるんだろうなあと思いながら、私は路次を曲がって来る下駄の音に耳を澄ます。もう人通りは殆ど絶えて、たまに一人二人、裏茅場町の方からと、代官屋敷の方からと、通り抜けする人があるのが、カラリ、コロリと、はっきりと冴えた下駄の音をさせて通り過ぎる。それを熱心に一つ一つ数えながら気をつけていると、やがて遠くの方から、最初はかすかに、実に少しずつ、待ちに待った母の下駄の音が聞こえて来る。どんなに遠くの方からでも、子供はそれが母の足音に違いないと聴き取ってしまう。
 「潤一、お前はまだ寝ないのかい」
と、母は帰って来て、布団の中で眼を開いている私を覗き込む。ランプの下に立った母の顔は、糠袋で一時間も磨きをかけただけあって、頬っぺたが赤くピカピカと反射している。

小田原事件の後、横浜時代は千代夫人との仲がかつてないほどむつまじかったことが『佐藤春夫に与えて過去半生を語る書』に書かれているが、関西移住後再びうまく行かなくなってきたときにこのことを思い出し、和田青年を千代夫人に近づけたのではないだろうか。ところがそこで止まらず、その結果に谷崎自身が衝撃を受けたことによって、千代夫人と別れざるを得なくなったのではないだろうか。その気持ちの揺れが『佐藤春夫に与へて過去半生を語る書』に、和田青年の事件を省いたまま滲み出している。

『夢の浮橋』は第1稿が終始なごやかなうちに完成し、その後すぐに決定稿の記述に入るのだが、そこでとんだドタバタになったことが伊吹和子著『われよりほかに─谷崎潤一郎 最後の十二年』に書かれている。次回はこのドタバタにより変更になった部分について考察してみたい。

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