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	<title>その430　谷崎の中に棲む、芸術の栄養を蓄えた「悪人」 へのコメント</title>
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	<description>ユーミンと本が好きな夫婦、マサノリ＆みよこのホームページ、「みよこの部屋」の中の一部コンテンツにコメント機能を追加するためのページです</description>
	<pubDate>Mon, 28 May 2012 03:28:43 +0000</pubDate>
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		<title>みよこ より</title>
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		<dc:creator>みよこ</dc:creator>
		<pubDate>Tue, 19 Jan 2010 04:09:05 +0000</pubDate>
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		<description>『鵙屋春琴伝』というのは観念の中の物語なんですよね。
だから、佐助にとってはこれが芸術。
春琴の死後になって語ったのは、佐助の記憶の中の「真実」。
だけど、外から見た真実はまた異なる。
そういうことですよね、同じことを何種類も記述しているのは。

それから、『春琴抄』では最後に子供を引き取らなかったと書かれていますが、
すべての子供を引き取らなかったわけではないんですよね。
一人は春琴の生前から近くにいます。
その子がいたから、佐助は春琴の死をそれほど意識せずに済んだということで、
これは松子夫人の連れ子である恵美子さんをどう位置づけるかということだったのではないかと私は思っています。

逆に『夢の浮橋』では、武を引き取るのですが、これは「母」の子には違いないけど、糺の子かというと、微妙なんですよね。
乳母は間違いなく糺の子だと信じていますが。

まあ、どちらにしても、この場合は自分の子であるかよりも、その女性の形見というところに力点があるわけだから。

ただ『夢の浮橋』の父には糺に対する理屈では説明できない真情がありますね。</description>
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『鵙屋春琴伝』というのは観念の中の物語なんですよね。<br />
だから、佐助にとってはこれが芸術。<br />
春琴の死後になって語ったのは、佐助の記憶の中の「真実」。<br />
だけど、外から見た真実はまた異なる。<br />
そういうことですよね、同じことを何種類も記述しているのは。<br />
<br />
それから、『春琴抄』では最後に子供を引き取らなかったと書かれていますが、<br />
すべての子供を引き取らなかったわけではないんですよね。<br />
一人は春琴の生前から近くにいます。<br />
その子がいたから、佐助は春琴の死をそれほど意識せずに済んだということで、<br />
これは松子夫人の連れ子である恵美子さんをどう位置づけるかということだったのではないかと私は思っています。<br />
<br />
逆に『夢の浮橋』では、武を引き取るのですが、これは「母」の子には違いないけど、糺の子かというと、微妙なんですよね。<br />
乳母は間違いなく糺の子だと信じていますが。<br />
<br />
まあ、どちらにしても、この場合は自分の子であるかよりも、その女性の形見というところに力点があるわけだから。<br />
<br />
ただ『夢の浮橋』の父には糺に対する理屈では説明できない真情がありますね。</p>
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