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2009 年 12 月 27 日

その430 谷崎の中に棲む、芸術の栄養を蓄えた「悪人」

カテゴリー: 小説・作家 — みよこ @ 10:09 AM

前回、『夢の浮橋』と『春琴抄』を場面別に比較したことで、図らずも、両作品に煉りこまれた砂糖を取り去る結果になった。それは、物語の下敷きに血縁に対する理屈では説明できない真情(武についてはまた別)を織り込ませている『夢の浮橋』よりも、『春琴抄』において、より顕著である。

谷崎は、2度の離婚を経てこれ以上の離婚は経済的にも精神的にも打撃と考え、その解決案を、思い切って、幼い頃に芸術の栄養をたっぷりと蓄えた内なる「悪人」に出させたのではないだろうか。それくらい、この作品には迷いがない。

ただ、それをそのまま出したのでは、読者や何よりも松子夫人やその身内の反発を受けることになる。そこで、『鵙屋春琴伝』という砂糖を煉り込んで、他の証言も含めて渾然一体化させることにしたのではないだろうか。

実際、この作品から『鵙屋春琴伝』という砂糖を取り除くと、信じたくない結果が現れる。これまでラブレターズでは芸術のことということで、読者が不快に思うだろうことも書いてきたが、その私でもさすがにそこまでは書きかねる。それくらい衝撃的なものが目の前に現れてくるのだ。

しかしそれは『刺青』『痴人の愛』等谷崎の作品に一貫しているテーマでもある。
ただ、『刺青』の時はまだ理想の女性がいることを夢見ており、『痴人の愛』の頃はいないなら自分で育てようとした。しかし、そんなものはもはや自分の観念の中にしかいないことに気付いた谷崎が次に取った方法が、『春琴抄』なのだと思う。
つまり、谷崎にとっての女性が神か玩具のいずれか(『蓼喰う虫』より)なのであれば、その玩具をもって神を作ろうとしたのである。

この作品で、谷崎は親切にも読者の良心に合わせたストッパーを用意している。『鵙屋春琴伝』の世界を全面的に信じたければ、春琴と佐助の純愛ストーリーということで、「読者諸賢は首肯せらるるや否や」という問いには有無もなく頷くだろう。そう問われること自体がきっと不思議だろう。一方、どうやら佐助が手を下したようだが、それは佐助が春琴を気遣うあまりの行動だと思いたい、あるいは春琴の意思もあるのではないかと考えたい人のためには、「斯くいろいろと疑い得らるる早晩春琴に必ず誰かが手を下さなければ済まない状態にあったことを察すべく彼女は不知不識の裡に禍いの種を八方へ蒔いていたのである。」という文言を用意して誘っている。なので、この作品についていろいろな説が出るのは当然のことなのかもしれない。

ところで、谷崎の作品に『金と銀』というものがある。悪人だが才能のある芸術家と、清い心の持ち主だが凡庸な芸術家の話である。この戦いの物語は、谷崎と佐藤春夫のことを書いたように思われていたりするが、それは違うだろう(谷崎は少なくとも細君譲渡事件までは佐藤春夫の才能を高く買っていた)。「潤一郎ラビリンス」で分身物語に分類されている通り、谷崎の中にいる2つの人格の対決と見るのが妥当だと思う。
前回の比較の後、昔読んだこの作品を再び読んで確認したくなったが、残念ながら今手元にない。

そんなとき、以前から買ってあった『神と人との間』という作品が目の前に現れた。小田原事件後に佐藤春夫とこの事件を題材に作品を発表しあっていた時のものだが、関東大震災を挟んで実に2年間にわたって書き続けられている。これもまた小田原事件を題材にしてはいるが、その過程の心理を書くことによって、谷崎は再び内なる「悪人」と向き合っていたように思う。

この作品はまだ読んでいる途中だが、パラパラとめくったときに『夢の浮橋』のヒントが出てきた。谷崎が自分のことを「自分は悪人だ、それも真の悪人だ」と言い募っている作品は、これまで正直あまり積極的に読みたくなかったりもしたものだが、谷崎の作品を考えるうえでは避けては通れないものなのかもしれない。

さらに、この記事を書くために『幼少時代』の気になるところを再び確認していたところ、またもや『夢の浮橋』の重大な謎を解く鍵を見つけた。それは、谷崎が母と経験した、6歳と9歳(この年齢を見るだけで、『夢の浮橋』を読んだことのある人は反応を示すだろう)の時の2つの地震の記述中にあった。これについてはまた後で書くことにする。

1 件のコメント »

  1. 『鵙屋春琴伝』というのは観念の中の物語なんですよね。
    だから、佐助にとってはこれが芸術。
    春琴の死後になって語ったのは、佐助の記憶の中の「真実」。
    だけど、外から見た真実はまた異なる。
    そういうことですよね、同じことを何種類も記述しているのは。

    それから、『春琴抄』では最後に子供を引き取らなかったと書かれていますが、
    すべての子供を引き取らなかったわけではないんですよね。
    一人は春琴の生前から近くにいます。
    その子がいたから、佐助は春琴の死をそれほど意識せずに済んだということで、
    これは松子夫人の連れ子である恵美子さんをどう位置づけるかということだったのではないかと私は思っています。

    逆に『夢の浮橋』では、武を引き取るのですが、これは「母」の子には違いないけど、糺の子かというと、微妙なんですよね。
    乳母は間違いなく糺の子だと信じていますが。

    まあ、どちらにしても、この場合は自分の子であるかよりも、その女性の形見というところに力点があるわけだから。

    ただ『夢の浮橋』の父には糺に対する理屈では説明できない真情がありますね。


    コメント by みよこ — 2010 年 1 月 19 日 @ 1:09 PM

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