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2009 年 7 月 23 日

その421 『愛なき人々』

カテゴリー: 小説・作家 — みよこ @ 6:43 AM

この作品は、『愛すればこそ』の翌年、大正12年1月号の『改造』で発表された。この作品の中には既に佐藤春夫はいない(読者は佐藤春夫を頭に浮かべていただろうが)。登場するモデルは、谷崎、千代夫人、せい子さん、それから女性にモテるけど生活力がないらしい男性である。
ちなみに谷崎一家と和田青年が初めて出会うのは、この年の8月なので、この作品の執筆時点ではまだ和田青年とは出会っていないことになる。

物語は、主人公である梅沢要次郎が、情婦と結婚するため、友人の小倉と自分の財産を報酬にして次のような契約を結ぶところから始まる。

先ず第一に、お杉を説きつけて、僕と離縁することを承諾させる。
第二に君は日頃の色魔たる手腕を以って、お杉を誘惑し、彼女と肉体的関係を結ぶことに成功すること。
第三に、その結果として少なくとも当分の間、君は彼女と正式に結婚すること。そうして世間には、君が僕の妻を誘惑して横取りした、という印象を与えるようにすること。

ちなみに、第三には、「ここが一番重要なんだよ。」というセリフも入る。

どうだろう。これまでラブレターズを読んでこられた方や小田原事件から細君譲渡事件について興味のある方ならムムッ? と思うのではないだろうか。

和田青年と千代夫人との恋愛については、谷崎がそのように仕向けたという説がある。実際、初めて出会った後の和田青年の現れ方は不自然といえばいえる。例の負い目があるので、そんな画策もありえないことではない。

なぜそれほど谷崎が負い目に感じるか。
そこには父への複雑な感情が横たわっているのではないかと私は思っている。

谷崎の父は商売が下手で、母の父、つまり谷崎の祖父から任された商売をことごとくつぶしてしまった。そのため、谷崎家は大変な窮乏を強いられたからだ。
その表れの1つが、同じように家業をつぶした松子夫人の前夫から、松子夫人とその姉妹を結果的に奪い、なおかつ彼を非常に憎んでいたことである。このような松子夫人の前夫に対する感情については晩年に自らのエッセイで書いており、しかも、その中には、その贅沢な姉妹を引き取ると大変なことになると人から忠告されたにも拘らず、それを強行したことも書かれている。つまり、贅沢に育った母を苦労させた父への対抗心もあって、あえて苦難の道を選んだのではないかと思うのだ。
そんな父なのに、末、終平という子供が生まれるくらい、夫婦の関係はうまく行っていたため、その点で妻に不満を言われるというのは、谷崎としてはかなりつらいことだったのではないかと思うのだ。

しかしその一方、千代夫人がそう簡単に谷崎を裏切るとは思っていなかったことも確かだろう。千代夫人の裏切りに衝撃を受けたことを示しているのが、その403でも触れた『白日夢』(谷崎潤一郎文庫 第二巻 谷崎潤一郎全集 第十一巻)である。

現実には和田青年の情熱は高まり、結婚の話も進んだ。しかし、この結婚話は不可解な形で壊れた。そのあたりの疑問についてはこれまでもラブレターズで書いているが、今回この作品を読んで、それが確信に変わった。

つまり、和田青年と千代夫人との結婚が決まったと佐藤春夫に手紙を出した時には、明らかに佐藤春夫が壊してくれることを確信していたということである。
なぜかといえば、この作品は、小田原事件のことを題材にして谷崎と佐藤春夫が作品の発表合戦をしている真っ只中のものであり、佐藤春夫がこの作品を読んでいないわけがないからである。

その399に引用している通り、この手紙で谷崎は佐藤春夫を家に呼んでいる。当然千代夫人は佐藤春夫に相談するし、佐藤春夫もどういうことかと問い詰める。すかさずそれを終平さんが東京にいる和田青年にご注進。和田青年が怒り、話はオジャンという結果になった。つまり、利害の一致している谷崎と終平さんの連携プレーなのだ。

終平さんがその後もどこまでも千代夫人を追いかけて、時には千代夫人に迷惑がられながらも谷崎への要望の取次ぎをお願いしていたということは前にも書いたが、終平さんは和田青年(後の大坪砂男)のところにも、彼が亡くなるまで定期的に現れていることが瀬戸内寂聴著『つれなかりせばなかなかに―文豪谷崎の「妻譲渡事件」の真相』に書かれている。しかもこれまた多少迷惑がられながらだ。これはいったい何を意味するのだろう。そして千代夫人の死後、終平さんによってこの恋愛事件が世の中に発表されたのだ。

物語に戻るが、その後計画はうまく行き、主人公も情婦と結婚する。しかしその後元妻の危機を知った主人公が取った行動は……。
この結末には、谷崎の中でのせい子さんの位置がにじみ出ている。それに対して、千代夫人を危機から救うためなら自分の命さえも投げ出せるということが、この時点でのシミュレーションの結果だった。

1 件のコメント »

  1. もう1つ気付いたことですが、
    主人公の名前が梅沢要次郎ですが、作中で情婦に「要さん」と呼ばせています。
    『蓼喰う虫』の主人公と同じ名前です。
    ちなみに苗字をつなげれば「梅しば」です(^^)


    コメント by みよこ — 2009 年 7 月 23 日 @ 3:04 PM

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