その403 『卍』と『捨てられる迄』、そして『細雪』(その6)
前回の記事を書いていて、「ああ、これまで谷崎は善か悪か、白か黒かばかり書いてきたけど、これでグレー(さらに深化して陰翳)を知ることになったのだなぁ」などと思っていたところ、そういえばこの頃、『黒白』という小説を書き、中断したままになってしまったことを思い出した。そこで、図書館でこの『黒白』の入っている谷崎潤一郎全集 第十一巻、網野菊のことも知りたかったので、自筆年表と『震災の年』というエッセイの入っている『網野菊全集第三巻』、それから『卍』の連載回数をはっきり知りたかったため、改造目次総覧の収録されている「雑誌『改造』の四十年」を借りた。
まず、『震災の年』で、網野菊が一緒に旅行に行き、震災に遇って京都に行った相手がやはり湯浅芳子であったことを確認。それから『卍』の連載回数は合計22回。特に、昭和5年の2月3月号は休載して、4月号で最終回になったことを確認。結局1月2月は難航どころか書けず、そのまま4月号で閉めたということが確認できた。
そして『黒白』だ。この作品は、『卍』と同時に連載が始まった作品である。まだ読んでいる途中だが、谷崎の作品においてのモデルの名前の付け方からくる問題や、これまで作品中で千代夫人を思わせる人物を何度か殺害して物議を醸したことなども出てくる。この時期は、和田青年と千代夫人に家を明け渡し、自分は一人ですぐ近くの家に下宿のような形で住んでいたためか、冒頭から病んだ空気が漂っている。
しかし、この作品に入る前に、いきなり冒頭の大正15年に書かれた『白日夢』に注目することになった。後に谷崎の弟子と自認する映画監督によって、妙な話題を作られてしまった曰くつきの作品である。
この作品は、歯科医院を舞台にしているのだが、ここに患者として来た青年が、麻酔で意識を失っている間に見た夢のお話だ。
患者は、谷崎の子供時代そのものの少年、令嬢、青年、その他何人かがいる。少年が結局痛さに耐えられず治療せずに去った後、令嬢が呼ばれ、次に青年が呼ばれ、2台ある治療台のそれぞれに坐るところから話が転がっていく。
この令嬢の名前が葉室千枝子。千代夫人の実妹せい子さんの女優としての名前である葉山三千子の葉山と、千代夫人の千代子を合わせたような名前だ。この女性が青年の夢の中で、青年によって殺害される。そして、夢の中で死んだ彼女を思うさま罵る。
淫婦! 淫婦! 淫婦!
と。これを読んで、「ああ、この頃すでに千代夫人と和田青年は不倫の関係になってしまっていたのだな」と感じた。
そして、この作品の舞台が歯科医院だということで、なぜこんなに似ているのだろうと思っていた『卍』と『捨てられる迄』がつながった。和田青年との件は、その昔、従兄弟の奥さんと恋仲になったことに対する報い(この従兄弟は、事件後歯科医になった)だと思ったのかもしれない。
この作品では、千代夫人を嫉妬によって、計略など使わず、公衆の面前で殺害し、自らも公衆から人殺しと罵られるという、これまでの谷崎の作品にはない方法がとられたことにも驚く。谷崎がこれほど正面から夫人に対する感情を作品にぶつけたことがあっただろうか。この時期、せい子さんが別の男性と暮し始め、姉妹が二人とも自分から離れていってしまったように感じたことも、このネーミングと激しい行動の裏にあるのかもしれない。そして、あえて葉山と結びつけやすい葉室とつけることで、これは千代夫人ではなく、せい子さんがモデルであるかのように誤魔化したかったのかもしれない。







