その401 『卍』と『捨てられる迄』、そして『細雪』(その4)
その2には、まだ誤りがあった。最も肝心な手紙の日付である(T_T)。江田治江さんが手紙を受け取ったのが昭和4年1月25日、同日付と書いた佐藤春夫宛の手紙は、2月25日付だった(その2の該当個所は修正済)。
ということは、その2で書いた前提が危うくなる。1ヵ月あれば状況の変化もあるだろうから。
ただ、「過日来君ニ会いたい心切であつたが、君を呼んだためニどうなつたかうなな(ママ)つたと、あとで文句が出てハ困ると思ひ差支へてゐた。」という状態を考えると、谷崎の心境としてはやはり佐藤春夫にこの話をつぶしてもらいたかったような気がする。というのは、あとで文句が云々というのは、谷崎自身が『卍』で疑心暗鬼な話を書いていたし、独身の青年からすれば、そのように思うのは当然と思うからだ。
それから、その1で「微妙な一年を過ごした」と書いたが、たぶん昭和4年5月の時点で完全にこの話はなしということになっていたのだろう。昭和4年5月2日の佐藤春夫宛の手紙に次のようなものがある。
先日はお騒かせした、來てもらはないでもいいやうになつた、本月十四日母十三回忌につき十日前後妻子同伴上京、宿をホテルにする豫定也
覆 水 返 盆
この春は庭におりたち妻子らと
茶摘みにくらす我にもある哉
をかもとの宿は住みよしあしや潟
海を見つつも年をへにけり
いづれ拝顔の節萬〃
五月二日
いろいろな意味の含まれている手紙だと思う。特にタイトルの「覆水返盆」だが、確か瀬戸内説では、小田原事件で壊れた話を復活させるぞという意志表示の意味もあるとのことだったが、この時点では、単に和田との話が壊れ、別れないで済んだという意味のような気がする。
で、1句目はなんかホッとするような感じが漂い、2句目は、その結果、これからも続くことになった家庭について思うときの微妙な感じが含まれているような。
となると、昭和5年の和田青年のいきなりの来訪には、『卍』に関わることしかその理由はつけられなくなる。それだけでわざわざ出向くには弱いかもしれないが、そこに終平さんの思惑(昭和4年のときは嫂が和田青年のところに行ってしまうのを壊したかったが、今度は嫂を佐藤春夫に取られるのではないかと不安)による後押しがあればと思うのは、私の考えすぎだろうか。
さて、その『卍』の内容だが、想像以上に実生活が反映されていたように思う。そしてその反映は、その九から始まる事件での綿貫栄次郎の登場から始まったのではなかろうか。
この作品の場合、当初は実生活とは別の次元で、恐らくは昭和2年の芥川龍之介自殺から端を発してこの作品を書く動機が生まれたのではないかと、私は思っている。つまり、自殺をしたい人間が、一人で死ぬのが心細いのか誰か道連れを求める、そしてついに心中に至る、その過程を描きたかったように思うのだが、目の前に心中もしかねない恋愛事件が出現したために、筆がそちらに移ったのではないか。『卍』のその九から次々と起こる事件の緊迫感は、もしかしたら現実にこれにかなり近いことが起こっていたからなのではないだろうか。(その5に続く)







