その398 『卍』と『捨てられる迄』、そして『細雪』(その1)
谷崎の作品を考えるとき、『卍』はとても不思議な存在だった。一見、モデルがわかりそうでわかりにくいし、その頃の谷崎にこれに該当する事件があったようでないからだ。
そんな中、この作品について、ひょんなことからかつて読んだ『捨てられる迄』(ラブレターズその354とその355参照)との共通点を見つけ、さらにこの小説の元になったと思われる話と、この作品を書くためのイメージ化の材料にした人たちが浮かび上がり、さらに後に書かれる『細雪』への道筋まで見えてきた。
そこで、そのあたりのことをまとめてみたいと思う。
この作品を執筆していた頃の谷崎について、高木治江著『谷崎家の思い出』では、次のように書かれている。
一月二月の『卍』の原稿は大変難航した。物語の筋が頭の中に出来ている時はいいが、それを変更しようという時は灰吹きを煙管の雁首でせわしなく叩いてみたり、冷え切ったウーロン茶をやたらと飲んでみたり、髪の毛をやけにかきむしるようにしながら畳三畳ほどの間をうろうろ歩き廻ってみたり、原稿用紙の一ます一ますを自分の厳選した字で埋めてゆくのだから、これは大変な仕事である。やっと机に向って、エンジンがかかったのかなと思っていると、て、に、を、は、などが気になって、書いては丸め、丸めては破り、結局一晩中に何もかけなかったという時がある。かといって、興の乗った時に書きだめということは、この『卍』に限り決してなかった。
前年の年末の『卍』は、1週間で比較的すんなりいったような感じなのだが、はたしてこの正月にいったい何があったのだろう。記述されている限りでは、松子夫人とその姉妹や妹尾君子さん、千代夫人たちとの舞のおさらい会、それから東京から辻潤が会いにきた、それくらいである。辻潤の逗留中は上機嫌だったが、その後谷崎が東京へ出かけて帰ってきた頃、東京から和田青年が不意に現れている。
前後を見ると、この正月は昭和5年ということがわかるので、千代夫人と和田青年の話が壊れて1年近く経っている。壊れてというか、前年の1月に、3月に谷崎夫妻が別れ、その後千代夫人と和田青年が結婚するという話が決まったのだが、結局3月には別れられず(というか、その頃のスケジュールを見ればそれは最初から無理だったと思われる)、4月から東京で和田青年が大変荒れて、終平氏の表現によると「女狂い」を始め、その後どうなったのか、そのまま壊れてしまったような微妙な1年を過ごした後の事件である。
この時、和田青年は鮎子さんに麻雀を贈っている。鮎子さんはドッジボールが好きで、谷崎が東京に行って留守のとき、これ幸いと庭で遊んでいたのが、谷崎が帰ってからもやっていたら叱られること数回に及び、結局やめてしまった頃のことである。この状況を和田青年に知らせたのは、たぶん終平さんだっただろう。
この正月に谷崎の心をざわつかせたものがもう1つあった。お金の問題である。昭和4年の12月30日に、精二宛にお金の問題で手紙を書いている。後に谷崎と精二が絶交するきっかけとなる、例の萬平さんの件だ。さらに、猫も1匹いなくなってる。家庭内のゴタゴタで原稿が書けず、1つ仕事を断ったという手紙もあるので、心が乱れてということなら十分わかる時期なのだが高木治江さんがわざわざ「物語の筋を変更しようとする時」と書いているのはやはり気になるところである。
そこで改めて『卍』を読み返してみた。すると、綿貫登場の場面に目が留まった。
這入ってみますと三畳ぐらいな次の間やのんで、二十七八の色の白い男の人がたった一人畏まってすわってまして
その男云うのんが、いかにも光子さんの好きそうな輪郭の整うた女のような綺麗な人で、眉毛のうすいのんと眼の細いのんがこすそうな感じ与えますけど、私かって見た瞬間に「美男子やなあ」思たぐらいな顔だちで、
この表現を見た瞬間、これは和田青年だ! と思った。
で、和田青年が鮎子さんに麻雀を贈って1泊した後、『卍』はどうなったかというと、綿貫が話の中心から一挙に外れることになったのだ。つまり、柿内園子の夫が巻き込まれ、園子の夫によって綿貫は舞台から遠ざけられて話は急展開、一気にラストに向かうことになった。







