その393 渡りをへたる夢のうきはし
その392を書き終わったところで、軽い達成感を覚えたが、その後もつらつら考えていたところ、頭の中に松子夫人やその姉妹たちと暮らした時代が、きらびやかに浮かび上がってきた。
この浮橋は、松子夫人や重子夫人の上に「母」のイメージを与えて暮した日々自体を現しているのだろう。
そう思っていたところに、冒頭の短歌が鮮やかに浮かんできた。
五十四帖を読み終り侍りて
ほとゝぎす五位の庵に来啼く今日
渡りをへたる夢のうきはし
である。
これは、糺の母が書いたことになっている。糺はどちらの母かわからないと言っているが、これは間違いなく第2の母であろう。
乳母は、「この作品を書いたその色紙は、越前の武生から取り寄せた、古代の手法に依つた本式の墨流しの紙で、母が大変苦労して取り寄せた」と言っている。
となると、この死は、「母」自身の意志だったということになる。
冒頭の短歌は、伊吹和子著『われよりほかに―谷崎潤一郎最後の十二年』によると、当初は次のような形だったと言う。
ほととぎす五位の庵に来啼くなり夢のうきはし読み終へし頃
この短歌では「母」は夢の浮橋を渡り終えていない。ただ平常のひとコマである。
それを冒頭の形に直したのはなぜか。
「母」の死を糺は澤子のせいにしているが、実はこれは「母」自身の意志なのだということにして、最終的に千代子夫人を救ったのではないだろうか。いったん澤子のせいにすることで、谷崎の気は済んだのだろうから。








そうそう。もう1つ重要なことがあります。
谷崎は得三氏が里子に出されて不運な目に遭ったことにも罪の意識を持っていたのではないでしょうか。
それを、最初の母(ちぬ)と2番目の母(つねこ)との間にも重ねることで、この作品を重厚にさせたように思います。
コメント by みよこ — 2008 年 8 月 31 日 @ 2:00 PM
> 実はこれは「母」自身の意志なのだということにして、
これはさすがに無理がありましたね(^^;
反省です。
コメント by みよこ — 2009 年 12 月 15 日 @ 12:35 PM
「母」自身の意志については、その後、美しい終わり方の可能性としての読み方を見つけました。
http://www3.atword.jp/miyokosroom/2010/01/17/%E3%81%9D%E3%81%AE433%E3%80%80%E3%80%8E%E5%A4%A2%E3%81%AE%E6%B5%AE%E6%A9%8B%E3%80%8F%E3%81%A8%E6%B0%B4%E4%B8%8A%E5%8B%89%E8%91%97%E3%80%8E%E8%B6%8A%E5%89%8D%E7%AB%B9%E4%BA%BA%E5%BD%A2%E3%80%8F/
いわば糺が仕上げた説ですね(^^;
この場合、最後に糺はウソをつくことになります。
コメントに入れてます。
コメント by みよこ — 2010 年 1 月 19 日 @ 1:48 PM