みよこの部屋 コメントページ

2008 年 8 月 31 日

その393 渡りをへたる夢のうきはし

カテゴリー: 小説・作家 — みよこ @ 12:29 AM

その392を書き終わったところで、軽い達成感を覚えたが、その後もつらつら考えていたところ、頭の中に松子夫人やその姉妹たちと暮らした時代が、きらびやかに浮かび上がってきた。
この浮橋は、松子夫人や重子夫人の上に「母」のイメージを与えて暮した日々自体を現しているのだろう。

そう思っていたところに、冒頭の短歌が鮮やかに浮かんできた。

五十四帖を読み終り侍りて
 ほとゝぎす五位の庵に来啼く今日
    渡りをへたる夢のうきはし

である。
これは、糺の母が書いたことになっている。糺はどちらの母かわからないと言っているが、これは間違いなく第2の母であろう。
乳母は、「この作品を書いたその色紙は、越前の武生から取り寄せた、古代の手法に依つた本式の墨流しの紙で、母が大変苦労して取り寄せた」と言っている。
となると、この死は、「母」自身の意志だったということになる。

冒頭の短歌は、伊吹和子著『われよりほかに―谷崎潤一郎最後の十二年』によると、当初は次のような形だったと言う。

ほととぎす五位の庵に来啼くなり夢のうきはし読み終へし頃

この短歌では「母」は夢の浮橋を渡り終えていない。ただ平常のひとコマである。
それを冒頭の形に直したのはなぜか。
「母」の死を糺は澤子のせいにしているが、実はこれは「母」自身の意志なのだということにして、最終的に千代子夫人を救ったのではないだろうか。いったん澤子のせいにすることで、谷崎の気は済んだのだろうから。

2008 年 8 月 30 日

その392 『夢の浮橋』みよこ的解釈(その3)

カテゴリー: 小説・作家 — みよこ @ 3:05 PM

その2でいったん止めようと思ったが、やはり最大の問題点である第2の母の死の問題を残したままにしておくのはということで、第2の母はなぜ死ななければならなかったかについて書いてみたい。そして最後に、やはり犯人がわからない状態でヒロインが受難する『春琴抄』についての解釈を少し加えて、『夢の浮橋』に対する現時点での私の解釈としたいと思う。

伊吹和子著『われよりほかに―谷崎潤一郎最後の十二年』によると、母の死は、最初から必須条件だったそうだ。そして、実際にその場面を書く段になると谷崎の苦悶は激しく、やめようと言ったことも一再ならずあったそうである。

谷崎の母は、丹毒で亡くなった。丹毒とは、皮膚の浅いところの化膿性炎症で、母はこれによって顔が腫れた。その後快方に向かたため、谷崎は、まさか亡くなるとは思わなかったそうだ。
そんな時、容態が急変した。谷崎は自分ばかりでなく、千代子夫人が母の看病に行くことも好まなかったが、昔かたぎの千代子夫人はそれでも母の看病に出かけた。そして、母の死に間に合った。ところが、その頃谷崎は伊香保で執筆していたため、母の死に間に合わなかった。
谷崎は、とうとう母に疎まれたまま、和解する機会を永遠に失った。

これが、谷崎に後々まで深い罪悪感と悪人意識を持たせ、さらに母に愛された千代子夫人に対する深い劣等感も植え付けたようだ。その後小田原事件までの間、谷崎はもういいよと言いたくなるくらい自分は悪人だ、真の悪人だと作中で言い続け、千代子夫人は作中で何度も受難することになる。もっとも、この谷崎自身の精神の必要から生じた犯罪小説が、江戸川乱歩に強い影響を与え、日本の推理小説の先駆けになったのは、谷崎にとっては意外な副産物だったかもしれない(この時期の谷崎の小説を読んでみたい方は、詳細Book検索「比較検討」――「谷崎 犯罪小説」の検索結果をご覧ください)。

この時、谷崎は自分のような悪人は、善人たる身内にあまり積極的に関わらない方が良いという意識を持ったのではないだろうか。身内に対する「はにかみ」には、この悪人意識が関わっているように思う。
自分の死が近くなり、自分の死後の身内の身の振り方を考えた際、この悪人意識から脱する必要を感じたのが、『夢の浮橋』執筆の最大の動機かもしれない。
それが、母の死の状況を再び作り、母を死なせたのが嫁とすることで、しつこい悪人意識から脱しようとしたのではないかと思うのである。

ここで、やはりヒロインが受難する『春琴抄』の話になるが、この小説で、春琴は何者かによって顔にお湯をかけられる。つまり、母のように顔が損傷するのだが、この作品が書かれたときは、松子夫人と暮らし始めたときだった。
『夢の浮橋』のことを考えているうちに、『春琴抄』は、昔の母を思い起こさせる松子夫人と暮らすに際し、とうとう自分を認めてくれなかった母と和解するために書かれたのではないかと思うに至った。

『幼少時代』に次のような記述がある。

たった一遍、私は母に厳しい折檻を受けたことがあった。(中略)金銭上のことではなかったし、他人というのも誰のことどあったか考えつかないが、とにかく私は、こればかりは意地でもいえない、あくまで強情を張り通そうと、最初から決心していた。私は母の前に呼びつけられて、畏まって坐ったまま、いくら聞かれても「知りません」を繰り返していたので、母も意地になって、長火鉢にかかっていた長五徳の鉄灸を一本外して、それで私の股(もも)の上を打った。その鉄灸は表面を銀色に研いた、鉄製の四、五寸ぐらいの棒であった。ばあやが止めに入ったことを覚えているから、十二、三の頃であったに違いないが、母はその時はばあやの執り成しを聴き入れなかった。打つといっても着物の上から加減して打ったのであるが、
「なぜいえないのだ、いえないというのが怪(おか)しいじゃないか、さあおいい、いわなけりゃ堪忍(かに)しないよ」
と母は私が「知りません」という度ごとに一つずつ打った。加減しながらではあったが、同じ所を何度も打つので、私はだんだん痛さが骨身(ほねみ)にこたえて来た。私は或る程度の抵抗をしようと思えばなし得たであろうし、逃げることも出来たはずだけれども、ただ声を挙げて泣き、理由はいわずに、「御免なさい、堪忍して下さい」とのみいいつづけた。

どうだろうか、春琴が佐助に稽古をつけているシーンを思い浮かべないだろうか。この春琴が顔を損傷し、それに対して佐助が自ら目をつぶすことで、この二人の間には幸せな世界が生まれたのである。

つまり、現時点の私の結論は、『春琴抄』は、意識の上で母と和解し、松子夫人と幸せになるために書き、『夢の浮橋』は、意識の上で母を殺した人間を他の人間とすることで罪悪感から逃れ、身内に関わる勇気を持とうとして書いたということになる。
そして、それに際しては、松子夫人等と自分の間にある仮想の親子関係から脱することが必要だったのではないかと思うのである。

2008 年 8 月 18 日

その391 『夢の浮橋』みよこ的解釈(その2)

カテゴリー: 小説・作家 — みよこ @ 4:02 PM

『夢の浮橋』が書かれる前、2つの事件が起こっている。
1つは、妹尾君子さんをモデルにした小説『お栂』の原稿発見。もう1つは、長いこと行方がわからなかった三男の得三氏の消息がつかめたことである。

『神と玩具の間』によると、その原稿を昭和33年に谷崎が発見し、喜び勇んで今は別の人と再婚している妹尾氏に原稿を送り、意見を求め、さらにはこの原稿を筆写した当時の妻で今は再婚している丁未子夫人への周旋まで依頼したのだが、返事が来ない。谷崎はそれに対して催促の手紙を出している。
結局『お栂』の原稿は、妹尾氏に握りつぶされてしまった。

得三氏については、細江 光著『谷崎潤一郎深層のレトリック』に詳しく書かれている。
それによると、昭和32、33年頃、新和歌の浦の旅館で下足番のような仕事をしているという消息が得られ、谷崎はとても心配し、得三氏に老人ホームに入るよう説得している。
得三氏は結婚はしていなかったが、女性がいたらしく、なかなかホームに入る決心がつかなかったようだが、結局、昭和37年には老人ホームに入居し、95歳の天寿を全うしている。
得三氏のホームでの費用については、終身、中央公論社が支払うという契約を、生前に谷崎が結んでいた。

この2つの件が、この小説を書かせる原動力になったのではないかと思うのだ。この2つの件と、『夢の浮橋』のつながりは、次のようになる。

得三氏は、谷崎の兄弟の中で、初めて里子に出され、そのまま先方の養子になっている。ところが、養家が没落し、さらにまた不運なことが重なって、仕事には就くが、結婚話が出るたびに逃げ出すということを繰り返していた。
松子夫人たちと生活することになって、血縁は極力遠ざけていた谷崎だが、自分の老い先が短くなってきたことから、このあたりで松子夫人を中心とした、永田一族の家風に染まる生活から脱し、再び血縁を大切にしようと思ったのではないか、それが「武」と暮すという結論に至った理由なのではないかと思う。
結局それは叶わず、得三氏を老人ホームに入れるということで解決したが、谷崎の本心としては、そういうことだったのではないだろうか。

一方、妹尾君子さんについては、谷崎が妹尾夫妻と交際していた頃、よく、夫妻で来ないと刺激剤にならないと言っていたという話がある。君子さんの生い立ちについては、『神と玩具の間』に次のように書かれている。

この妹尾夫人は或る商家の若旦那と行儀見習いの娘との間に生まれ、生後まもなく貰い子に出されたものの、養家も零落、十歳にならぬ前に自分の意志で狭斜の巷に身を寄せた人だったという。芸もよくおぼえ才覚も人気もあったことから、さる貿易商社の人に落籍(ひか)されて結婚し子供も生まれたものの、夫が浮気する一方その頃通訳兼社員だった年若い妹尾健太郎と知り合って恋愛、昭和二年ころ円満にその夫から君子夫人は妹尾に譲られ(三字に傍点)再婚したのだという。

谷崎は、彼女のこの経歴に異常に興味を示した。私は、これまでその理由については何もわからなかったが、『幼少時代』を読んで、思い当たった。

谷崎は、幼少時代、本家で食事をし、本家でお風呂をもらっていた。叔父にお嫁さんが来たときの話が印象的に書かれている。

お嫁さんは、類型的ではあったけれどもかなり美しい女に見えた。彼女は直ぐにニッコリして話しかけたが、私はいつまでもきまり悪そうにしていると、並んで坐っていた叔父が「はっ、はっ」と声を出して笑って、何か私にお愛想をいった。私はなおさらきまりが悪くなって、いきなり母のいる母屋の茶の間の方へばたばたと逃げてきてしまった。

谷崎にとって、ごく淡い初恋のような感じだったのだろうか。
このお嫁さんはお菊さんというのだが、お菊さんと叔父が大磯の群鶴楼に逗留していた頃、活版所の番頭に連れられて遊びに行き、そのまま数日間泊まり込んで、叔父夫婦に伴われて帰ってきたことがあるという記述もある。
もしかしたら、この当時、谷崎はこの夫婦の子供になりたいと思ったかもしれない。

叔父は、お菊さんを大切にしていたが、そのうちお寿美さんという芸者さんを落籍して家に入れるようになり、しばらく三人で枕を並べた末、ある日お菊さんが実家から呼ばれて、そのまま帰らないという事態になった。
谷崎からしたら、いつの間にか、お菊さんがお寿美さんになっていたというものだろう。そして、谷崎は叔父とお風呂に入りながら、お風呂の外のお寿美さんと叔父が喃喃喋喋するのを聞き、それから後も、叔父とお寿美さんとの色々な話を包み隠さず知ることになるのである。

私は、『夢の浮橋』の二人の母のモデルはこの二人の女性だと思うようになった。実際、谷崎は活版所の子供のように暮していたのだ。そして、それどころか、松子夫人と重子夫人にも、この二人の女性を重ねていたのではないかと思うに至った。
というのは、渡辺千萬子著『谷崎潤一郎=渡辺千萬子往復書簡』に、重子夫人が常に谷崎夫妻のそばで寝ていたという記述があるからである。
もしかしたら、谷崎は、叔父からお寿美さんを譲ってもらうという妄想を抱いていたのかもしれない。

細江 光氏は、『谷崎潤一郎深層のレトリック』で、谷崎は、母セキの死後、母を「天上の母」とは別に、「悲しい母」と「悪しき性的誘惑者」というものを作り出して、谷崎に関わる女性にそれぞれ割り振っていたと書かれている。
その原型は、叔父に関わったこの二人の女性だったのではないだろうか。

2008 年 8 月 8 日

その390 『夢の浮橋』みよこ的解釈(その1)

カテゴリー: 小説・作家 — みよこ @ 4:14 AM

『夢の浮橋』についてはこれまでもこだわって書いてきたが、ここでいったんまとめてみたいと思う。
『幼少時代』を読んで、今まで気づかなかったことが多く見つかり、これがこの作品を解釈する上で、どうしても引っかかっていた部分を解き明かしてくれたからだ。

私が読んだ、岩波文庫版『幼少時代』には、『私の「幼少時代」について』という随筆も掲載されているのだが、そこに、このようなことが書いてある。

それにつけて思うことは、自分が小説家として今日までに成し遂げた仕事は、従来考えていたよりも一層多く、自分の幼少時代の環境に負うところがあるのではあるまいか、ということである。
(中略)
そういう訳で、「幼少時代」は私の懐旧談であるには違いないが、そこには単なる懐旧談以上のものが含まれていることも事実である。それは、明治十年代に東京の下町に生れ、その時代の東京が持っていた種々なる文化や風俗習慣の下に育(はぐく)まれ、やがてそれを土台として後に小説家になったひとりの町人の子の生い立ちの記である、と、いい直した方がより適切であるといえよう。

誠にその通りだった。

『夢の浮橋』は、昭和34年に書かれた、京都にある「後の潺湲亭(現・石村亭)」を舞台に書かれた小説だが、この作品は、想像以上に谷崎の幼い頃を反映していた。というより、そのまま書いていたとさえ思える。
谷崎が比較的行き当たりばったりの形で小説を書くということは、谷崎の晩年に秘書をしていた伊吹和子氏がその著書『われよりほかに』で書かれているが、その伊吹氏の口述筆記によって、初めて書かれた小説が、この作品である。

伊吹氏は、『われよりほかに』でこの作品を、谷崎が自分の作品の源泉を松子夫人と重子夫人の2人から、千萬子さんへと移そうとして失敗した作品だと書いている。それに対して私は、その351でかなり反発している。以下、その351から少し引用してみよう。

『夢の浮橋』の最初の母と2番目の母が姉妹であることは、この作品を注意深く読んでいけばわかる。さらに伊吹氏が書くところによると、糺の嫁澤子のモデルは千萬子さんで、2人の母から澤子へイマジネーションの源泉を渡し切ることを「夢の浮橋」に例えている。

その前にその290では次のように書いている。

この作品は、『母を恋ふる記』、『吉野葛』、『少将滋幹の母』に代表される母恋い小説で度々試みられた母と子の一体化を、妹尾夫人と自身の母とをだぶらせ、それを松子夫人でイメージ化することにより成功させ、それにより自身の父とも一体化することができた作品なのだと思う。

第2の母に妹尾夫人(千代夫人の時代に大変親しく交際した妹尾夫妻の妻の方で、谷崎が大変気に入っていた)の経歴が投影されていたからだが、この元をたどると、どうやら谷崎の叔父が大変のめりこんだ、柳橋の芸者「お寿美さん」をイメージしているのではないかということに思い至った。

叔父は、それまで父親から受け継いだ活版所をしっかりと切り盛りしていたが、この人に出会ってから、妻妾同居という暴挙を行い、一時は正妻とお寿美さんと叔父の三人で枕を並べていたことが書かれている。この事態に、正妻は実家に引き取られ、それに伴いお寿美さんを家に入れたが、それもしばらくのことで、お寿美さんは再び柳橋に出た。その後も叔父とお寿美さんの間は続き、叔父はすっかり商売に身が入らなくなり、結局活版所はつぶれた。
そして、このお寿美さんが大変華奢なこと、お寿美さんの叔父に対する気持ちが、谷崎には今一つわからなかったということが書かれているところから、これが重子夫人のイメージと重なるのではないかと思うに至った。つまり、谷崎にとって、お寿美さん、妹尾夫人、重子夫人は、イメージの中で一つのくくりに入るようなのである。
性格や体格はそれぞれ異なるが、他の人の意思で動いているように見え、しかしその実、自分の意思をしっかり通しているというところが似ているのかもしれない。

そこで、伊吹氏の意見と合わせて私が新たに思い至ったこの作品の定義は、
「谷崎の幼少の頃に起こったことを、松子夫人、重子夫人、千萬子さんとだぶらせ、母を自ら断ち切ることにより、これら松子夫人につながる人たち諸共解放されようとした作品」
ということになる。

また例によって長くなりそうなので、詳しいことはまた次回に譲るが、その前に、先に書いたこと以外に今回発見したことを列記しておきたいと思う。

  1. 五位の庵=後の潺湲亭=南茅場町二度目の家(夫婦の寝室と、子供の寝室の関係が似ている)
  2. 武=得三(谷崎家の三男。生まれてすぐ、千葉の中山というところに里子に出された。)

次回は、これらの仮説を中心に、詳しく説明していきたいと思う。

2008 年 8 月 1 日

2008年07月 永遠が見える日

カテゴリー: 思い出の壁紙 — みよこ @ 4:58 AM

永遠が見える日

正解

「永遠が見える日」 11名 さすがに今回はスタートから順調で、嬉しかったです。

ヒントの表示 3名

※ここで表示した○名という数字は、スペルの書き換え等のために続けて回答された分を差し引いた数字です。



2008年07月 永遠が見える日

歌詞情報:永遠が見える日 松任谷由実 歌詞情報 - goo 音楽

アルバム:VIVA! 6X7

pikkaさん

6月のクイズでは惨敗だったので、7月にかけてました。

大好きな花火なのですが、このような気持ちで花火を見ている人もいるんだなぁ..。

どこを取り出しても切ない女心が感じられる詩はYumingの真骨頂だと感じます。

ふるだぬきさん

2004年の逗子で聞きました。ちょっと切ない気持ちになった覚えがあります。

キャサリンさん

この曲を聴くとなぜか逗子の情景と思い出が重なります。
あの人とあの人も・・・・

みるきーちゃんさん

Dさん

tcさん

この曲を聴くと2004年の母の突然の死とそのことも思い出しながら心に焼き付けた最後の逗子の記憶が蘇ります。

season_colorsさん

この曲はカラオケでよく歌っていた曲のひとつですね・・・。
歌詞を見ると、懐かしくなります。

ayaさん

原作小説を読み、映画も見ました。
花火師だった彼とピアニストだった彼女
1年に一度、互いに花火と曲を贈りあい、10年経ったら結婚しようと約束していたのに
最後の年
彼の花火工場での事故で彼女は聴覚を損じ、2人は別れ、彼女は亡くなる
地上の彼と天国の彼女と
断ち切られてしまったはずの物語が
もう一度、つながる
このとき、まさに、この恋は永遠になったんだなぁ・・って
感じました。

その奇跡を託される曲と花火

”一瞬”で消える花火に「”永遠”を見せて」という歌詞を聴くたび
あの物語で触れたせつなさと力強さを思い出します。

みよこの思い入れ

映画、良かったですよね。竹内結子さんの2役もメリハリがあって(^^) 私は、元気な方の結子さんと、香川照之さんの喧嘩のシーンが特に印象に残っています。あのとき、劇場でもクスッという笑いが漏れていました。
最後は切なさと同時にさわやかさも感じられる映画でした。

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