『夢の浮橋』が書かれる前、2つの事件が起こっている。
1つは、妹尾君子さんをモデルにした小説『お栂』の原稿発見。もう1つは、長いこと行方がわからなかった三男の得三氏の消息がつかめたことである。
『神と玩具の間』によると、その原稿を昭和33年に谷崎が発見し、喜び勇んで今は別の人と再婚している妹尾氏に原稿を送り、意見を求め、さらにはこの原稿を筆写した当時の妻で今は再婚している丁未子夫人への周旋まで依頼したのだが、返事が来ない。谷崎はそれに対して催促の手紙を出している。
結局『お栂』の原稿は、妹尾氏に握りつぶされてしまった。
得三氏については、細江 光著『谷崎潤一郎深層のレトリック』に詳しく書かれている。
それによると、昭和32、33年頃、新和歌の浦の旅館で下足番のような仕事をしているという消息が得られ、谷崎はとても心配し、得三氏に老人ホームに入るよう説得している。
得三氏は結婚はしていなかったが、女性がいたらしく、なかなかホームに入る決心がつかなかったようだが、結局、昭和37年には老人ホームに入居し、95歳の天寿を全うしている。
得三氏のホームでの費用については、終身、中央公論社が支払うという契約を、生前に谷崎が結んでいた。
この2つの件が、この小説を書かせる原動力になったのではないかと思うのだ。この2つの件と、『夢の浮橋』のつながりは、次のようになる。
得三氏は、谷崎の兄弟の中で、初めて里子に出され、そのまま先方の養子になっている。ところが、養家が没落し、さらにまた不運なことが重なって、仕事には就くが、結婚話が出るたびに逃げ出すということを繰り返していた。
松子夫人たちと生活することになって、血縁は極力遠ざけていた谷崎だが、自分の老い先が短くなってきたことから、このあたりで松子夫人を中心とした、永田一族の家風に染まる生活から脱し、再び血縁を大切にしようと思ったのではないか、それが「武」と暮すという結論に至った理由なのではないかと思う。
結局それは叶わず、得三氏を老人ホームに入れるということで解決したが、谷崎の本心としては、そういうことだったのではないだろうか。
一方、妹尾君子さんについては、谷崎が妹尾夫妻と交際していた頃、よく、夫妻で来ないと刺激剤にならないと言っていたという話がある。君子さんの生い立ちについては、『神と玩具の間』に次のように書かれている。
この妹尾夫人は或る商家の若旦那と行儀見習いの娘との間に生まれ、生後まもなく貰い子に出されたものの、養家も零落、十歳にならぬ前に自分の意志で狭斜の巷に身を寄せた人だったという。芸もよくおぼえ才覚も人気もあったことから、さる貿易商社の人に落籍(ひか)されて結婚し子供も生まれたものの、夫が浮気する一方その頃通訳兼社員だった年若い妹尾健太郎と知り合って恋愛、昭和二年ころ円満にその夫から君子夫人は妹尾に譲られ(三字に傍点)再婚したのだという。
谷崎は、彼女のこの経歴に異常に興味を示した。私は、これまでその理由については何もわからなかったが、『幼少時代』を読んで、思い当たった。
谷崎は、幼少時代、本家で食事をし、本家でお風呂をもらっていた。叔父にお嫁さんが来たときの話が印象的に書かれている。
お嫁さんは、類型的ではあったけれどもかなり美しい女に見えた。彼女は直ぐにニッコリして話しかけたが、私はいつまでもきまり悪そうにしていると、並んで坐っていた叔父が「はっ、はっ」と声を出して笑って、何か私にお愛想をいった。私はなおさらきまりが悪くなって、いきなり母のいる母屋の茶の間の方へばたばたと逃げてきてしまった。
谷崎にとって、ごく淡い初恋のような感じだったのだろうか。
このお嫁さんはお菊さんというのだが、お菊さんと叔父が大磯の群鶴楼に逗留していた頃、活版所の番頭に連れられて遊びに行き、そのまま数日間泊まり込んで、叔父夫婦に伴われて帰ってきたことがあるという記述もある。
もしかしたら、この当時、谷崎はこの夫婦の子供になりたいと思ったかもしれない。
叔父は、お菊さんを大切にしていたが、そのうちお寿美さんという芸者さんを落籍して家に入れるようになり、しばらく三人で枕を並べた末、ある日お菊さんが実家から呼ばれて、そのまま帰らないという事態になった。
谷崎からしたら、いつの間にか、お菊さんがお寿美さんになっていたというものだろう。そして、谷崎は叔父とお風呂に入りながら、お風呂の外のお寿美さんと叔父が喃喃喋喋するのを聞き、それから後も、叔父とお寿美さんとの色々な話を包み隠さず知ることになるのである。
私は、『夢の浮橋』の二人の母のモデルはこの二人の女性だと思うようになった。実際、谷崎は活版所の子供のように暮していたのだ。そして、それどころか、松子夫人と重子夫人にも、この二人の女性を重ねていたのではないかと思うに至った。
というのは、渡辺千萬子著『谷崎潤一郎=渡辺千萬子往復書簡』に、重子夫人が常に谷崎夫妻のそばで寝ていたという記述があるからである。
もしかしたら、谷崎は、叔父からお寿美さんを譲ってもらうという妄想を抱いていたのかもしれない。
細江 光氏は、『谷崎潤一郎深層のレトリック』で、谷崎は、母セキの死後、母を「天上の母」とは別に、「悲しい母」と「悪しき性的誘惑者」というものを作り出して、谷崎に関わる女性にそれぞれ割り振っていたと書かれている。
その原型は、叔父に関わったこの二人の女性だったのではないだろうか。