その386 『こころの王国』(その3)
その2を書いてから、1週間が経ってしまった。
今回は、こころの王国最終回ということで、いよいよ菊池寛について書こうと思う。この回で最終回にするため、かなり長くなると思うが、しばしお付き合いいただきたい。
菊池寛アーカイブというサイトがある。このサイトには、彼の子孫からのメッセージと、菊池寛の残したメッセージ、『こころの王国』の中で大きな位置を占める『半自叙伝』、『話の屑籠』、それから菊池寛人物年表、菊池寛作品関係リンクというコンテンツがあるのだが、その菊池寛人物年表に、1920年に新聞小説『真珠夫人』で成功と書かれている。数年前、テレビドラマで再び脚光を浴びた、あの作品である。
といっても、原作は、ドラマの内容とは随分異なる。原作については、青空文庫でも読めるので、興味のある方は読んでいただきたいが、そこに書かれている言葉には、『こころの王国』を読んだ後で読み返してみると、結構興味深いものが含まれている。
『真珠夫人』は、華族の家柄の直也と瑠璃子が、荘田勝平の主催する園遊会で、その主催者がそばにいるとも気づかずにその成金趣味を批判したことから荘田勝平を傷つけ、そのために荘田は瑠璃子の父を罠にかけ、瑠璃子と結婚。瑠璃子はそれに対して純潔を守って対抗し、荘田の死後は、彼の娘を大切に育てながら荘田家を切り盛りし、一方で男性というものに対してすさまじい復讐を始め、最後には彼女を慕う男性に殺されてしまうという話なのだが、瑠璃子に不幸をもたらした悪口の一部に次のようなセリフがある。(青空文庫から引用)
「成金だとか、何とかよく新聞などに、彼等の豪奢な生活を、謳歌してゐるやうですが、金で贏(かち)うる彼等の生活は、何(ど)んなに単純で平凡でせう。金が出来ると、女色を漁る、自動車を買ふ、邸を買ふ、家を新築する、分りもしない骨董を買ふ、それ切りですね。中に、よつぽど心掛のいゝ男が、寄附をする。物質上の生活などは、いくら金をかけても、直ぐ尽きるのだ。金で、自由になる芸妓などを、弄んでゐて、よく飽きないものですね。」
この作品を書いたときは、菊池寛はまだ文芸春秋社を興していなかったのだが、まるで後の自分を書いているようだ。実際、文芸春秋社で成功してからの彼は、世間からそういうふうに見られていることを十分意識して、成金の行動を自分に当てはめて書くことがあったということが、『こころの王国』にも書かれている。
それにしても彼は、家庭デーというのを設けるくらい妻子を愛しているのになぜ次から次へと愛人を持ったのだろう。このあたりは、『人間・菊池寛』でも率直に疑問が呈されているが、『こころの王国』で主人公がモダンガールのサンプルと表現されていることを考えると、菊池寛は自らを成金のサンプルとして捉えていたのかもしれない。生活に困っている人をすぐに助けたいためにとる行動が、世間からどう受け取られるかを知った上で、相手にとってもそう受け取った方が、ラクならそれでも良いと思っていたところもあるのだろうか。
『こころの王国』によると、『真珠夫人』は『従妹』という作品と関係があるらしい。この女性が、境遇の変化によって人間が変わってしまったことに対して、境遇が変化しても変わらない大切なものを持っている女性を描きたかったのかもしれない。
なお、『半自叙伝』には、「その頃、私はバルザックの小説を愛読していたので、そこから多少のヒントを得た。」と書かれている。さらに調べていたら、柳原白蓮をモデルにしているという情報も。確かに重なる部分もあるわね。いずれにしても、それだけ当時の人々に訴えるものがあったために、大成功を収めたということだろう。
ところで、菊池寛の長女の名前が瑠美子さんなのね。『真珠夫人』が書かれたのは瑠美子さんが生まれてから2年後だけど、この主人公のネーミングには、父の願いも含まれているのかもしれないわね。
さて、このように、菊池寛の小説には貧富の問題が多いのだが、彼の芸術論を見ても、そこが中心になっている。「小説家たらん青年に与う」メッセージだが、全文はリンク先を読んでいただくとして、一部を引用すると、
僕は先ず、「二十五歳未満の者、小説を書くべからず」という規則を拵(こしら)えたい。全く、十七、十八乃至(ないし)二十歳で、小説を書いたって、しようがないと思う。
(中略)
作品の背後に、生活というものの苦労があるとないとでは、人生味といったものが、何といっても稀薄だ。だから、その人が、過去において、生活したということは、その作家として立つ第一の要素であると思う。そういう意味からも、本当に作家となる人は、くだらない短篇なんか書かずに、専(もっぱ)ら生活に没頭して、将来、作家として立つための材料を、蒐集すべきである。
かくの如く、生活して行き、而して、人間として、生きて行くということ、それが、すなわち、小説を書くための修業として第一だと思う。
これは『こころの王国』のテーマにも絡んでくるのだが、菊池寛が漱石を良いと思わないという最大の点だ。『半自叙伝』の中にも、次の一節がある。
先輩作家に言及したついでに、夏目漱石のことも一言したいが、私は昔から漱石の作品は嫌いではないまでも、尊敬はできなかった。同僚の芥川や久米が崇拝するのが、不思議でならなかった。芥川などは、本気であんなに認めていたのかきいてみたかったくらいである。最近も「それから」や「心」などを読んだが「それから」などは、あの中に出て来る書生の風格や物いいなどで読者の興味を釣っているとしか思えない。肝心の事件は、つまらないのである。しかも、なぜあとで姦通までする女を友人にゆずったのか、また姦通した後どうなるのか、その二つの肝心なことを書いていない。それに代助の姉も恋人も、同じような感じの女性で、ほんとうに描けているとは思えない。「心」なども、私が先生と知り合いになるのに、どうしてあんなに数十枚も書かねばならないのか、どうしてあんな知り方をしなければならないのか。
それにしても、菊池寛の言葉の中には二言目には「芥川や久米」が出てくる。果ては佐藤碧子さんにも、こんなことを言っている。佐藤碧子さんが夜遅くまで外出していたことを知り、菊池寛が激情を示した後の言葉である。
「あした、あなたを迎えに来る。お母さんに許して貰った。二、三日どこかへ行こう。みどりさん。芥川だって、久米だって、僕のような恋愛は出来ない。出来っこないですよ」
意味不明だ(^^;
しかもこの行動って… みどりさんの意思は無視。しかも十分お金が物を言っている(- -;
ま、それはそれとして、姦通をした後どうなるかは、三部作(三四郎・それから・門)の3作目である『門』に書かれているが、これには谷崎が『「門」を評す』で文句をつけている(^^;
谷崎は、『それから』についてはそれなりに評価をしているのだが、なぜ『門』でおだやかな結末を姦通をした二人に与えるのかが解せないと書いているのだ。
このあたりは、お須賀さんとの一件、作品で言えば、『それから』に刺激されて書いたと思われる『熱風に吹かれて』、『捨てられる迄』の頃の彼の実感が込められているような気がする(ラブレターズその353参照)。
私は漱石の三部作は残念ながら読んでいないので、いつか時間を見て読んでみたいと思う。
谷崎を出したので、ここで谷崎の『芸術家一家言』の一節を引いてみる。
凡そあらゆる芸術に於いて、技巧や形式は抑も末の問題であつて、それらの奥にある精神こそ最も肝要なものたることは云ふ迄もない、が、茲に忘れてならないのは芸術は一つの表現であると云ふ事実である。
(中略)
そこで芸術上の技巧とか形式とか文体とか云ふものは、美が生まれると同時に当然備はるべき肉体であり、皮膚であり、骨格であつて、抑も末の問題であるとは云ふものゝ、それらがなければ美が存在しないことも事実である。
基本的には同じことを言っているのだが、谷崎の興味の中心は「美」なので、そのあたり、おのずと異なってくる。
その一方で、『半自叙伝』の昭和二十二年五月のところに次のような一節もあった。
鴎外と漱石とを比べて、自分などはむしろ鴎外を重んずるものだが、鴎外には「坊ちゃん」はないのである。「高瀬舟」ぐらいではなかなか後世には伝わりにくいのである。鏡花と紅葉とを比べて、天分の上からも作品の上からも、弟子は師を凌いでいるが、「高野聖」や「湯島詣」ぐらいでは後世に伝わらないのではないか。「金色夜叉」は、まだ五十年や百年は残りそうである。
文芸春秋社を興して、多くの作家を育て、仕事を与えた功績は、とても大きいのは言うまでもないが、それを支えたのはこのあたりの冷静な眼なのだろうと思う。








小森和子のことについても調べてみたところ、成金のサンプルということもありますが、
それよりもどうも、囲碁や将棋のように、相手に断ることがいけないことのように思わせるように追い詰めていくような、そんなゲームを楽しんでいたような気がしてきました。
あらかじめ、お金のない人には手が出せないように、虫よけの意味でもモダンな洋服を着るように仕向けて。
でも、結局同じような結果が待っているのよね。
いくらお金でがんじがらめにしたって、結局は年相応の恋人ができるのだから。
http://hugo-sb.way-nifty.com/hugo_sb/2005/02/post_65.html
を見ると、おばちゃまの方がかなり大胆だったようだが、佐藤さんの状況と良く似ているわ。
コメント by みよこ — 2008 年 7 月 8 日 @ 7:20 PM