その385 こころの王国(その2)
この作品の舞台になった、昭和5年頃の文芸春秋には、この小説にも出てくる「婦人サロン」の記者として、後に谷崎潤一郎の妻になる古川丁未子さんが入社していた。
丁未子さんは、大阪府女子専門学校卒業後、当時、谷崎の秘書をしていた同級生の江田治江さん(後に、ラブレターズで何度も登場している『谷崎家の思い出』を著す)を通じて、谷崎に紹介を依頼した。
なんやかやあった後、最初に勤めたのが、関西中央新聞社だった。谷崎を通じて岡成志氏に頼み込み、「先生の推薦ならきっと立派な人と思いますから」ということで決まった。
このときの様子を『谷崎家の思い出』には、
そこで、チョマさんの記者生活の第一歩が踏み出された。二人で挨拶に来た。私は、「チョマさんはご覧のように美人だし、誠に純粋な善意の人だから虫のつかんように、岡さんナフタリンになったげてちょうだい」とこんこんとたのんだ。先生も、よかった、よかった、と心から嬉しそうで、二人で時々やって来たまえと、いつになく愛想がよい。当時、岡さんは阪急六甲に住んでいて、私共の倍の年齢で四十五、六歳だったろうか、男としては誠にお気の毒な評価だが女性をあずけても大丈夫という自他共に太鼓判つきの人だから、父親のような気持ちでチョマさんは甘えて色々と指導を受けていた。
と記されている。
岡氏によると、仕事はもう一つだったらしいのだが、この就職は彼女にとって誠に幸せなものだったようだ。
関西中央新聞社に入社して1年半後、自信がついたのか、東京で働きたいと再び江田さんにせっついた。谷崎は普段紹介状を書かない人なのに、菊池寛に入念な依頼状を出したことにより、「婦人サロン」の見習い記者として採用された。
彼女が文芸春秋社に入社した頃のことについての資料を、エキサイトブログで見つけた。
この記事に、当時の文芸春秋の社中綴り方の記事が引用されていた。又引きで申し訳ないのだが、ここに引用させていただく。この引用の前に、丁未子さんによる新入社員のご挨拶も引用されていたが、それは上記リンク先の方で読んでいただきたい(今度は『幻の朱い実』を読まなくては(^^))。
月 日
新入社の婦人記者古川丁未子嬢俄然、断髪で現はる。逸早くこれを発見した馬海松「おや古川さん断髪したね」といへば、「髪はどうしました」と大草實、捨てましたと聞いて、あゝと感慨無量の態、これは、これ亦、新入社の科学青年立上秀二。
月 日
女気のなかつた社へ婦人記者一人女給仕三人合計四人の匂ひが漂ひ出した。
「俄然賑かだなあ」と、ダンスの相手が見附つたような顔をしたのが大草實。[…]
月 日
新入生古川丁未子から「編輯室のエライ方々」と片カナで偉い方々扱ひされた連中、すつかり憤慨して「おひやらかすないあまつちよ。」は少し乱暴だが、中に人の悪いの「此綴り方は丙までいかない丁未だ、フン」
『谷崎家の思い出』によると、丁未子さんは、第一印象がすこぶる悪い人らしいのだが、このときも、どうやら失敗したらしい。上のエキサイトブログの次の記事中にも丁未子さんの綴り方が引用されている。女性が増えて、「屹度来年は景気のいゝ年であらう。」などと書かれているが、このとき昭和5年12月。
昭和5年の夏に入社し、12月に谷崎と東京でデート。翌年1月に婚約してしまった(^^;
しかもこの結婚、周囲は大反対。菊池寛も反対だったらしい(そりゃそうだよなぁ)。賛成したのは江田さんただ一人というありさまだった。
ところで、上の引用に、馬海松が登場し、丁未子さんに、「おや古川さん断髪したね」と声をかけている。『こころの王国』でも、「わたし」にいきなり無遠慮なことを聞いているが、こういうことをサラッと言える人だったのね。しかもとびきりの美男なんだから、そりゃあモテたことでしょう。
『谷崎家の思い出』によると、丁未子さんはとっても面食いで、しかも惚れっぽかったらしいので、このときはきっと目にハートが浮かんでいたのではないかしら(^^)
前回、今回と、菊池寛のことは二の次という感じで書いたので、次回は、いよいよ菊池寛について、あの『真珠夫人』と絡めて書こうと思う。







