その366 『芸術脳』
茂木健一郎著『芸術脳』を読んだ。ユーミンを含む10名のクリエイターとの対談集だ。
今回はその中でユーミンとの対談についてのみ書かせていただく。
ユーミンとの対談は、2006年5月8日、銀座アップルストアで行われた対談で、フリーペーパーdictionary誌に掲載されたものを再編集したもので、その後ろに茂木氏による感想が2ページ入っている。
お話は「真珠のピアス」におけるテーマと実際のユーミンから受ける印象のギャップ、そこから作品の持つ質感へと話が進んでいっている。
『芸術脳』になる前の「Dictionary110」も読む機会に恵まれた。
『芸術脳』を読む前にこちらを読んだが、それを読んだときの私の感想は
「確かにユーミンの作品は、季節の質感という素材を提供する芸術だなぁ」
というものだった。
その素材から、私など下手なのに毎月壁紙を作っていたりする。
『芸術脳』のユーミンとの対談では、ユーミンと茂木氏の芸術というものについてのやりとりが、いろいろな例を伴って、とてもわかりやすく伝わってきた。
その中で、コンサートをやっているときの、熱中しながらも、そんな自分を第三者的に見ているという状態が、実は脳の仕組みからいうと危険なことなのだという茂木氏の発言があった。メタ認知状態というんだそうだが、これをバランスを取れない人がその状態を繰り返すと向こうに行ったままになるんだそうだ。
それに対してユーミンがプレスリーの例を思い出しているのだが、ここから続く1ページくらいのお話は、私に小説家というクリエイターの例を思い浮かばせた。
たとえば谷崎と芥川龍之介。この二人は普段から仲が良かった。
青空文庫には芥川龍之介による微笑ましいエッセイ『谷崎潤一郎氏』があったりするのだが、谷崎が松子夫人と知り合うきっかけになったのも芥川龍之介との交流からだ。
だが、松子夫人と知り合うきっかけになったとき、谷崎によるとすでに芥川龍之介には異常な様子が見えていたそうだ。結局その後谷崎と芥川の間に起こった文学論争のさなか、芥川は自殺する。しかも谷崎の誕生日の朝に。その直前、芥川から贈り物が届いたが、論争のさなかにそんな贈り物をするのはけしからんと、谷崎は返してしまった。後から考えれば形見分けのつもりだったのだろうと、谷崎は大変後悔している。
話が随分とそれてしまったが、ユーミンは、茂木氏から崖の淵にいるような創作過程での恐怖の経験を聞かれて
それはいっぱいありましたね。過去だけじゃなくて、いまだってそう。ファンの人は私のことをすごく安定した人格の持ち主だと思っているかもしれないけれど、けっしてそうじゃない。いつもいろんなことを考えて、「ああ、このことを徹底的に突き詰めて考えていくと廃人になっちゃうんだろうなあ」とか。
と答えている。
『芸術脳』では、こういう深い話が伝わってきた。
新しい言葉を発明することはとても難しいという茂木氏の意見についても話が出てきた。
これについてはユーミンが「ギャランドゥ」の例を出して、「私、作りましたよ!」と言ったのだが、それに対して茂木氏は自分が作った「ピピたん」という言葉はちっとも流行らなかったと言って悔しがっている。
でもこれ、真面目に言ってるの?
この言葉が流行らない理由は茂木氏の理論からもはっきりわかるのだけれども、それともこれはユーモアで、わざと流行らない言葉を例にしているのかしら。
いや、茂木氏の理論をよりわかりやすく表現するためにこの例を引き合いに出したのかもしれない。
でも、この「ピピたん」という言葉は、一度聞いてしまうとその音感から使いたくなる要素を確かに持っている。理由と共に知った今ならば、確かに使いたくなる。
でも、初めてこの言葉を聞いた人には何だかわからないものねぇ。「ギャランドゥ」との違いはここよね。
そうそう。「爆睡」がユーミンの発明だというのはこの本で初めて知った。
やっぱりユーミンってすごい次元でのクリエイターなんだわということをこの言葉を発明したということで改めて認識できた。
それから、質感は失われやすいものということも出てきた。それについては、この対談集でも実感できる。
『芸術脳』のユーミンとの対談は、元はアップルストアで行われた1本のイベントだ。それをフリーペーパーに載せる時点で、ライブでの話しているときの表情とかそこに漂っているニュアンスはある程度失われる。さらにそれを編集することでまた失うものもある。
でも、フリーペーパーや本では、ライブでは流れてしまうものを紙の上に定着することができる。
対談という1本の素材を通して、そこから何を感じ取り、焦点を当てるか、それは筆記者や編集者の脳を通してできあがる。
対談を紙の上に定着したもの。これも1つの芸術なのだと改めて思った。







