その353 『熱風に吹かれて』
その351で読みたいと書いた『熱風に吹かれて』を読み終わった。
この作品は、早川の「かめや旅館」で書かれたもので、その旅館がそのまま舞台として借用されているようだ。
早川といえば、ユーミンが出演したSuicaのCMで、女性とペンギンが大宮でケーキを買い、湘南新宿ラインに乗って行った先の、あのなんとも風情のある駅のある街だ。ここには以前から行きたいと思いつつ、まだ実現していないが、電車で一本で行けるのだから、いずれ近いうちに行きたいと思っている。
物語は、主人公が仕事で初めて京都に行き、京都の風物・女性に物足りない思いをして帰ってくるところから始まる(後の谷崎からしたら意外なことだが)。
谷崎は初めて京都に行ったとき、同行者と一緒になってさんざん遊び、以前に患った神経衰弱を再発させて帰って来たというエピソードがある。
物語の主人公にも投影されているが、実は谷崎、母親譲りのかなりの潔癖症なのだが、若い頃は悪ぶることを旨としていたため、かなり派手に遊んだようだ。学生時代の友人の手記によると、その頃は次々と病気を遷されてきたらしい。潔癖なのにそんなことをしているわけで、それがかなり神経を蝕んだことは十分想像できる。そしてこの主人公は、この潔癖からくる問題を解消してくれるような女性に出会うことを期待している。
そもそも谷崎がその後関西の風物に染まっていったのには、関東大震災という決定的な事件もさることながら、小出楢重という画家との出会いが大きいと私は思っている。あの有名な『陰翳礼讃』は、このエッセイが発表される2年前に亡くなった小出楢重へのオマージュではないだろうか。
話はそれたが、物語はその主人公が東京へ戻り、友人夫婦の投宿している旅館に寝泊りするところから話が展開していく。
で、その友人夫婦に、谷崎の母の姉の夫に谷崎の祖父から譲られた旅館を経営している従兄弟夫婦の性格やエピソードがかなりそのまま投影されているらしいのだ。
谷崎は早川に来る前、その旅館(京橋区蒟蒻島(現新川1丁目)の真鶴館)で小説を書いており、そのときにその奥さんと恋仲になってしまうのだが、その女性の性格、谷崎とその女性の間柄を示す手紙がある。
以下、かなり長いが、野村尚吾著『伝記谷崎潤一郎』から引用する。
「上述の如く、小生は毎日勉強しているに不拘、お須賀さんは小生を目して、のらくら者の道楽者の標本のように申居られ候。真鶴館へ来てから一と月半程の間に、お須賀さんも小生も追々化けの皮を脱ぎ、お転婆と腕白者と、目下のところ本音の吐きくらべを致居る始末、あらまし御想望下され度候、尤も御転婆と腕白者とはgenderが異なるのみにて、一味の相通ずる所無きにしもあらず、御案じなされる程仲の悪い訳には無之候間、御懸念下さるまじく候。
ゆうべはお須賀さんが小生の悪口を書いて浜松へ送ると申し、長い手紙を認められたる結果、手紙の奪い合いと云う一場の活劇を演じて、大格闘を惹き起し候。驚いた事にはお須(ママ)さんのお転婆は、殆ど巴御前板額の塁を摩して、腕力にかけてもなかなか小生如きぶくぶく太りの男子の企及する所に無之、旅館の女将などをさせて置くのは惜しいものにて、玉川砂礫の運搬の工夫でもさせたら人物経済の点より結構至極と存候。お蔭で小生は向う脛を擦りむき、拇指の関節を挫き、危いところで生れもつかぬ不具になるような仕儀、当夜の猛烈さ加減、御諒察され度く候。尤も其の奮闘の揚句、手紙は首尾よく奪い取り申候。乍憚御安心下され度候。」
「話は変り候えど、小生お蔭を以って去る八日徴兵検査に首尾よく不合格、此れに就いてはお須賀さんの尽力一方ならず、わざわざ炎天に麻布の知人の軍医を訪問して、いろいろ検査のがれの秘術を伝授致され候。のがれたお祝に先日ウント風月の洋食を御馳走致し候処、あまり喰い過ぎて二三日下痢を起され、お気の毒に存候。此れにつけても慎む可きは女子の健啖に候。(此の文句は、今小生の傍にありて、手紙を書くのを覗き込んでいるお須賀さんに読ませる為めに、したためた次第に御座候。)」
(中略)
「真鶴館には甚だ不都合なる習慣これ有り、毎朝寝坊をしている客の顔へ、墨やらお白粉やら塗りつけて、手を叩いて興がるのは、随分乱暴な話に候。このいたずらは総大将の今板額──お須賀さんが、女中を指揮して執行する物にて、さながら古えの『うばなりうち』の如く、恐ろしき勢に候。こう云う連中を日本に置かずに、倫敦へでも輸出したら『女子参政権運動』も大いに壮士が殖えて、心強かる可きかと、独りで残念に思い居候。」
この手紙は何回読んでも笑ってしまうが、その仲良しぶりがうかがえて微笑ましい。
小説の中でも大体こんなように、主人公が海に浮かんで寛いでいるのを見て「豚の土左衛門」呼ばわりするような女性として描かれている。
一方、その夫の方の描き方が、これがひどい(^^; それも実際あったエピソードが含まれているらしく、モデルにされた従兄弟はその後奮起して、旅館をたたみ、歯医者になっている。
これだけひどく書いたら、二度とこの従兄弟には顔を合わせられないだろう。後に上の手紙を送った相手が佐藤春夫にその歯医者を紹介したときに、谷崎は猛烈に怒ったそうだ。『君はどうして佐藤をあんな所へ連れて行ったんだ。歯医者はほかにいくらもあるじゃないか』『あれは困るよ。佐藤のような頭の鋭い男を連れてそんな家に行くと、すぐ想像をしてしまう』と。
なので、その後谷崎はこの小説のことを
「口にするだに冷汗を覚ゆるほどの劣等なる作品」と、単行本『麒麟』の序文に書いているそうだ。
その気持ちはわかるような気がする。
大体、相手をメチャクチャに貶したりした後で秘かに後悔することの多い人なのだから、書いている途中で気づきそうなものだけどねぇ(^^;
でも、作品としては、谷崎自身がそこまで言うほどの劣悪な作品ではもちろんない。
この本の末尾の解説には、夏目漱石の『それから』を意識している小説なのではないかと書かれている。
私の感想としては、そのお須賀さんの件と併せて、亡くなった初恋の相手(箱根の旅館の娘)の件を消化した作品なのではないかなと感じた。







