その348 『谷崎潤一郎=渡辺千萬子往復書簡』(その2)
この書簡集は、昭和26年から昭和40年までの往復書簡が収録されている。
読んでいくと、最初は事務的な話が多かったのだが、だんだんと谷崎がのめりこんで行くに従って、谷崎の手紙はかつて松子夫人に宛てた手紙のようにどんどんへりくだっていく。それと並行して千萬子さんの方も夫婦仲があやしくなり、もともと2人の姑とはソリが合わないこともあり、谷崎を精神的に頼りにしてく様子が伝わってくる。
渡辺夫妻の問題がはたして谷崎と関係あるのか、まったく別の次元なのかはわからないが、まあ、多少は影響していたであろうことは予想できる。ご主人の方にもいろいろな情報が耳に入った(入れられた)ことは間違いないだろうから。
そういえば姑である重子夫人にも、谷崎が重子夫人を手元に置いておきたいばかりに、夫である明氏が地方に重子夫人を連れて行こうとしたときにも夫婦揃って引き止めたりして、なかなかしっくり行かないということがあったが、明氏の晩年になってようやく夫婦同居が叶い、幸せな時間を過ごせたという経緯がある。
そして夫の死後、重子夫人は谷崎夫妻と同居していたわけだが、往復書簡の中には、谷崎が重子夫人を手元から離さないことについて千萬子さんが触れたドキッとするようなものもあり、その手紙を読んだときには思わず「よく言った!」と思った。
谷崎夫妻が重子夫人を手放さないことにはそういう事情もあったのかと改めて驚いたのだが、そのひと言を書くのにどれほど勇気がいったか。この手紙が書かれたのが昭和37年10月15日。もちろん松子夫人も(隠れて)読んだだろう。
手紙に書いたこと自体は両姑のことを思っての言葉だったが、果たして、これが両姑に素直に受け止められたか。その直前の12日の手紙と合わせて考えると、かなり警戒感を持たれたのではないかと思う。
さらに翌38年には、書かれずじまいになった遺言ともいえる小説の構想が具体化しており、小説上とはいえ夫のこうした計画は松子夫人にも漏れていたはずだ。さらにこの年の谷崎と千萬子さんの間でのやりとりはかなり濃密なものになっていたとのことで、もはや一刻の猶予もならないと、松子夫人が千萬子さんを谷崎から遠ざける作戦に出るきっかけの一つになったかもしれない。(つづく)







