その347 『谷崎潤一郎=渡辺千萬子往復書簡』(その1)
『谷崎潤一郎=渡辺千萬子往復書簡』を読んだ。
この往復書簡集は、晩年の谷崎と、義理の息子(戸籍上では義妹の息子)の嫁である千萬子さんとの間に交わされた手紙を収録したものだ。
この中で谷崎は彼女からインスピレーションをもらう対価という(口実?)でさかんに高価なプレゼントやおこづかいを渡す。経済的にいつも大変な状態の中でおおっぴらにこづかいを渡すものだから、そりゃ彼女は困るわねぇ。
松子夫人にしても面白いわけはなく、ちょっとピンチだからと千萬子さんから借りて返さなかったりしている。結局それは彼女から谷崎への手紙で谷崎の知るところとなり、谷崎はその分を彼女に送金するのだが、まあ、大変なことだ。
プレゼントについては、高価なものについてはなるべく家の人に知られないようにして贈るのだが、知られないわけはない。手紙の送り方についても、速達にすれば家の人に読まれずに済むということで谷崎はさかんに速達にしろと言うのだけれど、その真意がなかなか千萬子さんに伝わらず、随分多くの情報が松子夫人に渡ったであろうことが大いに推察できる。
谷崎は『痴人の愛』のモデルで千代夫人の妹であるせい子さんにも、「迷惑をかけた」ということで長いことこづかいを渡していたが、そういうことでつながりを保ちたかったのかもしれない。
千萬子さんに対しては実際に翻訳の仕事など谷崎の手伝いを任せたり、芸術の話をしたり、新しい世代の息吹を知る媒介として、確かにいい刺激になっていた。
それに対して千萬子さんも少し背伸びをしながら精一杯応えていたといえる。
橋本関雪の孫である彼女は芸術家を身近に見てきたため、谷崎の芸術へのそうした姿勢を比較的無理なく理解できたようだ。
そうでないごく普通のお嬢さんなら、こういう難儀なおじさんの扱いには困るものだ。でも、そういう環境に育ってきたからこそ、逆に谷崎の言動のほとんどをお芝居ととってしまうことにつながり、それがこういう微妙な手紙のやりとりを長く続けさせたともいえるし、逆にこのやりとりに突然終止符が打たれる原因になったともいえる。
結局最後は松子夫人とその妹で彼女の姑である重子夫人の2人と、彼女、どちらをとるかということになり、谷崎は松子夫人とその妹を取った。谷崎はここで人生最後の大芝居を打ったのかもしれない。手紙という、自分、さらには松子夫人の死後に生かされるべき遺産を遺して。
次回から何回かに分けて、この往復書簡の中にあったいくつかの手紙を中心に書いていきたいと思う。







