その344 奇縁まんだら―佐藤春夫の回(その3)
今日の『奇縁まんだら』は、『つれなかりせばなかなかに』周辺一色だった。タイトルは「佐藤春夫夫人の恋」。和田六郎が妻子をつれて、当時佐久に疎開していた佐藤夫妻のところを訪ねたときの話が中心になっている。
このあたりの話はやはりその312、313に集中的に書いているので読んでいただくとして、和田六郎こと大坪砂男の作家としての本質について、彼の作品を愛読していたという澁澤達彦が、「推理作家というより、ヴィリエ・ド・リラダンやエドガー・ポー風のコント・ファンタスティックの系列に属する」と賛美しているそうだ。
私は大坪砂男の作品は読んだことはないが、だとすると、彼の作風は佐藤春夫よりも、その作品の中で何度も千代夫人を亡き者にした、谷崎が推理物風のものを書いていた時期の影響が濃いのかもしれない。
ところで、今回のお話の中には、和田夫人が息子周氏に話して聞かせた夫と千代夫人のロマンスの話が多く出てくる。これは『つれなかりせばなかなかに―文豪谷崎の「妻譲渡事件」の真相』の中にも出てきているのだが、その中には谷崎が千代夫人を気に入らなかった理由までが出てくる。
夫が妻にそんな話をし、それを聞いた妻が自分の子供にまたそんな話をする。相手が世間をにぎわした有名人だからできる話かもしれないが、それにしてもなんだかすごい。
前回谷崎が白秋の件でもう二度と他所の夫婦の話に口を挟むまいと決心したと書いたが、それでも谷崎は自分の周りの人間の縁談を熱心にまとめたりして、意外にそういうことが好きだったようだ。松子夫人の連れ子である恵美子さんの縁談も谷崎が非常に心を砕いたらしいが、この熱心さは千代夫人離婚後の自分についても当てはまる。
あちこち掛け合って積極的に見合いをしているのだ。妻譲渡事件は、その性質が自分と離婚後の千代夫人の落ち着き先を自分が安心できるようにまとめさせたという側面もあるかもしれない。
谷崎はその推理物風の作品で千代夫人を何度も亡き者にしているのだが、それは千代夫人には何の落ち度もないのに、自分のせいで千代夫人が夜ごとシクシク布団の中で泣くという状況が耐えられなかったかららしい。かといって離婚して後々まで自分を恨んでいる人間がこの世に存在しているのが耐えられなかったと。ならばいっそのこと、亡き者にしてしまおうという、何とも身勝手な話なのだ。
そこへ佐藤春夫が現れ、ならば二人をくっつけてしまおうとしたが、かといって谷崎は自分が寂しいのは耐えられない。だから千代夫人の妹で『痴人の愛』のモデルであるせい子さんと結婚しようとするのだが、断られてしまったものだから、いきなり約束を反故にする。これが小田原事件だが、もしかしたら、そのまま千代夫人と離婚してしまったら、せい子さんとのつながりも切れてしまうのがつらかったのかもしれない。
その後千代夫人と修復しようとするが、やはり無理。そんなところに和田青年が現れ、佐藤春夫との時のように千代夫人と円満に離婚しようと画策した。ここで心を砕いているのは、千代夫人が幸せになること。しかも自分の寂しさも最小限にすること。佐藤春夫のときもそうなのだが、谷崎は、目立たないように行き来して、千代夫人が徐々に相手方の人になるという方法をとろうとするのだ。
だから、後に谷崎が『佐藤春夫に与えて過去半生を語る書』で千代夫人への自分の気持ちについて一見虫のいい話を書いているのは、言い訳には見えるが本心だったのかもしれない。(奇縁まんだら―佐藤春夫の回終わり)







