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2007 年 4 月 24 日

その338 目白坂

カテゴリー: 小説・作家 — みよこ @ 12:00 AM

関口台22日、前回の『奇縁まんだら』に出てきた目白台アパートと、「翳りゆく部屋」のパイプオルガンのある関口カテドラル東京カテドラル、現在外装大改修中)、サイトで調べた佐藤春夫旧居跡を訪ねるべく、出かけてきた。

この日はいいとも増刊号に森大衛先生が出演されるということで、午前中いいともを見て、お昼を食べた後出かけるつもりで支度をしていた。が、うっかりしてテレビの前に行くのが遅れてしまい、あわててテレビの前に行ったときはすでに先生出演後(>_<)。マサノリに「バッカじゃない」と言われてしまった(;_;)。その後は予定どおりお昼を食べた後、買い物ついでにひとりで出かけた。

目白台ハウスまず、地下鉄有楽町線江戸川橋駅を降り、目白坂を上る。静かないい通りだ。ほどなくして目白台ハウス(『奇縁まんだら』では目白台アパート)が左手に。いやー、これは目立つ。さすがに直ぐわかった。写真の左側にはソテツ(椰子? 棕櫚? わからない(^^;)の木が1本あるのだが、それも入れて撮ったつもりだったが残念ながら入らず(^^; 駐車場には高級そうな車がズラリと並び、入り口からはセキュリティのしっかりしたマンションらしい設備が見えたが、写真で俯瞰すると学校のように見える。1962年築8階建。今でこそマンションで8階建はそんなに大きくは感じないけど、当時は遠くからでもさぞかし目立ったことだろう。そこからさらに真っ直ぐ上っていくと左手に椿山荘、目の前は東京カテドラルだ。

東京カテドラルと、ここまでは順調そのもの。が、そこからが大変だった。
「さて、次は佐藤春夫旧居跡はどこかしら。前回調べたサイトには椿山荘の斜め前と書いてあるけど」って思いながら探すのだが、いくら探してもそれらしい家は見つからない。
「もう無くなっちゃったのかしら」
などと思いながら、疲れてきたので講談社野間記念館で一休みすることにした。

野間記念館の庭この日は「村上豊の芸術世界~夢幻、おんな、郷愁~」展という企画展をやっていた。
昔話の挿絵など、ぼんやりした輪郭のやさしい絵は、とっても好み。庭を眺めてゆっくりできる休憩コーナーでは村上 豊氏が「徹子の部屋」に出演されたときのビデオが流されていた。その絵と同じように優しそうな表情の人だ。

ドルフィン野間記念館を出ると、引き続き佐藤春夫旧居跡を探すべく目白通りを行ったり来たりしたが一向に見つからず、そのまま新目白坂を降りて江戸川橋駅方面へ。途中でドルフィンというレストランを見つけたので写真に収めた(^^)。

でも、このまま帰るのは何となく惜しい。ついでに江戸川公園を散策してみようと、神田川沿いの道を椿山荘方面へ再び上って行った。このあたりは桜並木で、季節には散策客も多いのだろうが、桜の木はすっかり緑色。入り口あたりは臭いが気になるのと、夕方近くなってきたので羽虫が出てきたのとで、あまり和めず。でも、途中で関口台町小学校の児童が植えたという色とりどりの花が見られたのにはホッとした。これで川がもう少しきれいだったらいいのに…。

さらに歩いていくと椿山荘冠木門から椿山荘庭園を散策。七福神や三重塔を眺めたり滝のトンネルをくぐったりして、再び江戸川公園に出てそのまま早稲田方面へ。このあたりは印刷会社が多く、神田三崎町から神保町界隈に似ている。新目白通りを再び江戸川橋駅へ。疲労もピークに達し、時間もリミットになったので佐藤春夫は次の機会にと階段を降りようと思ったが、ふと見たら江戸川公園の入り口に案内板が…。ムムッと思って良く見たら、なんと、佐藤春夫旧居跡に赤丸が…。最初に江戸川橋で降りて、目白坂に行く途中でこの案内板に気づけばこんなに苦労しないで済んだのだ。
目白坂はそんなに長くないし、せっかくだからまた戻ろうかと思ったが、時間的にも体力的にもやはりリミットになっていたので、残念だけど、そのまま帰途についた。

案内板帰宅後いろいろ調べてみたところ、ワーカーズフォーラムMOCというサイトの中の大人の遠足 小日向・音羽・関口編というページに詳しい記述があった。これによると表札が佐藤方哉氏になっているとのこと。佐藤春夫と千代夫人との間に生れた子だ。これはぜひ近いうちに行かなくては(^^)
谷崎がこの地に越してきてから佐藤春夫が亡くなるまで半年余り。二人の文豪の最晩年にあたるが、どの程度付き合いがあったのだろうか。もっとも、谷崎がここに越してきたのは松子夫人の連れ子で細雪の次女幸子の娘悦子のモデルになった観世恵美子さんが夫の観世榮夫氏とここに住んでいたからという理由らしいが。
なお、佐藤春夫が住んでいた家は和歌山県新宮市に移築され、新宮市立佐藤春夫記念館になっている。

そうそう。『奇縁まんだら』の2回目の挿絵の元になった写真だが、谷崎潤一郎文学案内の表紙に使われている。そのほかには、新潮日本文学アルバム谷崎潤一郎の中に大きく掲載されている。3回目の絵の肖像の方は、昭和39年春、安田靫彦が書いたもの、棟方志功の版画については1962年発行の『瘋癲老人日記』を見ても見当たらなかった。それで再び『新潮日本文学アルバム谷崎潤一郎』を見たら、見つかった。同じ棟方志功の版画でも、『鍵』の方だった。千萬子さんにとらわれて勘違いしてしまった。
さらに、この本の一番後ろには瀬戸内晴美によるエッセイが寄せられている。『三つの場所』というタイトルなのだが、今回の『奇縁まんだら』で書かれている内容も多く含まれている。
残るは1回目の別の文字にみえるHOのイニシャルの入った絵だが、これも記憶があるのよねぇ。なのであれからいろいろ探しているんだけど、これはなかな見つからないわ(^^;

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