その327 谷崎と千代元夫人―離婚後の付き合い
書簡集を読んでいるうちに、興味深い手紙が見つかった。
昭和11年9月3日、佐藤春夫様方谷崎あゆ子宛の手紙なのだが、一部を抜粋する。
○アトリエ社より出版のことにつき、お母さんから手紙を貰つたが、詳細は菊池寛氏へ直接返事を出しておいたと云つて下さい。小生の一存では簡単に諾否を云へず、その理由は長くなるから書くのは止める。三笠書房の方はすでにキツパリ断りました。
千代元夫人から仕事がらみの手紙が来ている。その返事をあゆ子さんにしているのだが、この手紙にはその他にも佐藤春夫宛の伝言も書かれている。
その前には佐藤春夫一家へご一同様という宛名の手紙があったのだが、昭和10年以降の佐藤家方面の手紙は、鮎子さんと佐藤春夫の父である佐藤豊太郎氏宛ばかりだ。鮎子さんへの手紙には千代夫人への伝言が多く、佐藤豊太郎氏宛の手紙には佐藤春夫宛の伝言が多い。
実は、瀬戸内寂聴著『つれなかりせばなかなかに―文豪谷崎の「妻譲渡事件」の真相』の後ろに、松子夫人との対談と痴人の愛のモデルであるせい子さんとの対談があるのだが、その松子夫人との対談の中で千代夫人のことを松子夫人がこう言っている。
さっぱりしているんです、ほんとに。その話(瀬戸内寂聴が、佐藤春夫と千代夫人のエピソードを話した)を伺っていて思い出したんですけれど、最初、つきあうという約束になっていたんです、佐藤さんにも、千代子さんにも。そうしましたら、結婚して式を挙げてからのことだと思いますけれども、時期は忘れましたが、都合でひょっこりそういうことになったんだと思いますけれども、「お千代に御飯をしてもらおうよ」と言い出したんです、佐藤さんへ行って。
このときついていった松子夫人はとても居心地が悪かったそうだ(そりゃそうだ)。結局その後谷崎が「やっぱりああいうことはしないほうがいいね」と言い、それから何かのことから、あんまりおつきあいしなくなって、だんだんと娘(鮎子さん)だけになったと言っている。
『われよりほかに―谷崎潤一郎最後の十二年』で繰り返されるパターンはここで始まっていたのか(^^;
なので、手紙についても松子夫人の手前佐藤夫婦宛へは極力出さないようにしていたのかもしれない。
ひょっとすると、千代夫人と離婚後結婚した丁未子夫人とのあまりに冷たく映る離婚劇も、松子夫人の「み気色」に配慮した結果だったかのもしれない。おそらく松子夫人にとって谷崎が丁未子夫人と結婚したことは、谷崎の歴史から抹消したいくらいだったと思うから。
それにしてもこの対談、取り繕うところのある松子夫人の話の矛盾点を瀬戸内寂聴がうまく浮き出させるんだなぁ(^^; 次のせい子さんとのシャッキリした対談と併せて読むと、その性格の違いがハッキリ出ていてとても面白い。
千代夫人に御飯してもらう件については、その前に終平さんと末子さん(谷崎の兄弟の下ふたり。千代夫人がいたときは谷崎が預かっていたが、離婚後一時次男の精二さんが預かっていた)が佐藤家に千代夫人の手料理を食べに行ったそうだ。そのことについて谷崎が精二さんあての手紙(絶交の手紙になった)に
打ちあけて云ふが、お前は弟妹思ひのつもりでも、弟妹たちはさう感じてゐないらしいのだ。終平など、お前の家に於ける待遇の悪さには始終不平を云ひ、何一つ構つてハくれず、唯おいてもらつてゐるばかりだと、お千代に始終さう云ひ、お千代もあれでハ可哀さうだ、ひどすぎると云つていたものだつた。終平ハ、ソレで時〃佐藤の所へうまいものを食ひに行つたらしい。鮎子が世話になつてゐる上に終平まで食ひ倒しに行つては義理が悪いと思つたが、厳格にやるなら監督もきびしくしてもらひたかつた。
などと書いている。そりゃ千代夫人のように見事に世話するなんて、なかなか出来ることではないのだから、これについては精二さん方に気の毒だと思う。それに、終平さんが千代夫人のところに行きたがる理由はそれだけではないと思うし(^O^)。でも、その後谷崎自身が「お千代に御飯してもらおう」などと考えたのだから、千代夫人も喜んで御飯していたのだろうなと思う。
ということで、谷崎は、離婚後も千代夫人とは付き合いたかったのだと思う。
だって千代夫人については、ある一点を除いては文句なかったのだから。







