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2007 年 1 月 26 日

その326 谷崎の手紙発見される

カテゴリー: 小説・作家 — みよこ @ 12:00 AM

今週、にわかに谷崎関係のアクセスが増えた。なぜだろうと検索してみたら、こんな記事が…

佐藤春夫への手紙の末尾に「千代殿へ」という記述があるというものだが、離婚後の千代夫人への手紙の発見は初めてだということが書いてある。さらに、千代夫人にまで借金していたというのは初耳という記事もある。

あら、そうだったかしらと思って全集の第25巻(1983年発行 中央公論社)の書簡集を引っ張り出してみたところ、その時期は佐藤春夫方の鮎子さんあての手紙が頻繁に出されている。この中に千代夫人への伝言も含まれているわけで、千代殿へとは書いてないまでも、それで用は足りているのだ。
さらに、千代夫人への借金についてだが、昭和12年8月31日付の佐藤春夫様方谷崎あゆ子宛の手紙に

先日此方でお母さんに遇ひ、お金のこと聞いてゐたので、今日五十円送る用意をしてゐたら急に入用のことができ金が足らなくなりました、然し留守中困るだらうと思ひ三十円だけ先へ送ります。あとは一週間ぐらゐのうちに送る。

という記述がある。なので、特別目新しいことでもないように思う。

千代夫人にまで借金していたのは初耳という記事については、鮎子さんの養育費という見方もあるし、これが妥当かとも思われる。さらに佐藤春夫にも借金をしている。それは昭和5年2月4日の谷崎精二(谷崎潤一郎の弟)宛の書簡に書かれていた。谷崎窮乏の理由もわかるので全文引用する。

再度の御手紙拝見
萬平氏の件まことに気の毒と思つてゐるが、当方も今困つてゐて余裕かない、何しろあんまり大きな家を建てすぎて借金は出来、そのうへ諸設備ぜいたくなため月〃の経費がかさみこれでハとてもやりきれぬから売つて小さな家と買ひかへる積り、もうもう御殿みたいな家はコリコリだ、そんな訳で近く整理がつけバ又何とでも都合もつくが今のところは駄目だ、尤も二百円ぐらゐなら月末頃にハ何とか出来ると思ふが又この前のやうに手ちがひになると困るからハッキリした約束はいたしかねる
右事情くはしく萬平氏へ話してもらひたい、僕自身がすでに佐藤から千円も金を借りた始末だ

昭和初年、谷崎は円本景気で大変豊かな生活を送り、2度の中国旅行をし、豪邸まで建てたが、この豪邸が電気風呂など電気を大量に使うものだった。
しかも、円本の印税収入に対する莫大な税金や、弟妹への援助、そこへ持ってきて、妹の養親である萬平氏の借金問題(この件で後に精二氏と谷崎は長期間絶交する)などがあり、大変な窮乏していたのだ。

上記の手紙は千代夫人との離婚挨拶状を出す半年前のものだが、その前年、谷崎家で華やかに舞の会など開いている頃も既にやりくりは大変だったようで、その様子は高木治江著『谷崎家の思い出』に詳しい。お金の工面などは谷崎が自分でやっていたが、千代夫人のやりくりで何とかやっていたものの、離婚する頃にはどうにもならなくなっていったのだろう。

ところで、今回の件で三たび『谷崎家の思い出』を読み直した。
この本、著者が乳がんで亡くなったことによって途中で終わっているのだが、何気に書かれていることに大きな意味があったりする。はっきりとは書けないけど、自分が生きているうちにそのヒントだけは残しておきたいという意思が働いたのだろうか。そのうちの1つが和田青年の件だが、その他にもいくつか重大な秘密が含まれているようだ。

2007-01-29
昭和11年10月17日の森田松子(松子夫人。10年1月に結婚式を挙げているが、入籍はまだ。)宛の手紙に
このような一文がある。

○終平へ、今月中旬までとして諸雑費旅費とも四百三十円あれば十分のところ四百五十円送ってやりました。あい(ゆの間違い)の百円もすみました。しかしこれは先月分故、今月は又別にやって頂かねばなりません。又非常にやせて来まして注射をしているさうでございます。

9月25日付佐藤春夫方谷崎あゆ子宛の手紙に

アトの百円はその時に上げる。

と書かれているので、その分のことだろう。
ということで、やはり養育費が妥当だろう。毎月の額の他にも、北海道行旅費だとか、医療費とか、そういう費目で別に払っているので、そういう類の借りかもしれない。

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