その313 『秋刀魚の歌』
今まで「小田原事件」とやたら書いてきたが、小田原事件って何? という人も多いと思う。
小田原事件というのは、谷崎が千代の妹せい子(『痴人の愛』のモデル)と結婚し、佐藤春夫と千代が結婚するという約束をしたのだが、予想に反して
「やだわよ!」
の一言で谷崎はせい子から断られてしまった。で、その後佐藤と千代のところへ行って、約束を反故にした。これに怒った佐藤春夫が絶交を宣言し、以来谷崎・佐藤双方でこの事件を題材にした作品を発表しあうという事態になったという事件だ。この当時谷崎夫妻は小田原に住んでいたため、小田原事件という。
で、この時期が奇しくも佐藤春夫の全盛期ともいわれるのだが、その中でも『秋刀魚の歌』は読者の涙を絞った。
後に谷崎自身も、『佐藤春夫に与へて過去半生を語る書』で
「たとえばあの『秋風のうた』や『秋刀魚のうた』や、何んという題であったか淋しい兄弟の会話から成る戯曲などは、読んで覚えずホロリとしたくらゐだった」
と書いている。
実際、この作品のすごいところは、この詩一作で小田原事件について他に説明はいらないくらいみごとに表現されていることだ。
この詩が谷崎夫妻へどれほど強烈なメッセージを放ったか、ここでこの詩の全文を引用したい(ルビは括弧内に表記)。
あはれ
秋風よ
情(こころ)あらば伝へてよ
──男ありて
今日の夕餉(ゆふげ)に ひとり
さんまを食(くら)ひて
思ひにふける と。
さんま、さんま、
そが上に青き蜜柑(みかん)の酸(す)をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎ来て夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児は
小さき箸(はし)をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸(はら)をくれむと言ふにあらずや。
あはれ
秋風よ
汝(なれ)こそは見つらめ
世のつねならぬかの団欒(まどゐ)を。
いかに
秋風よ
いとせめて
証(あかし)せよ かの一ときの団欒ゆめに非ずと。
あはれ
秋風よ
情あらば伝へてよ、
夫を失わざりし妻と
父を失わざりし幼児とに伝へてよ
──男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。
さんま、さんま、
さんま苦いか塩つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。
佐藤春夫は、この小田原事件を前に詩に出てくる妻と離別し、小田原事件の後別の女性と結婚するが、妻譲渡事件を前にその女性とも離婚している。
それにしてもこの作品がいかにヒットしたか。当時生れていなかった実家の母でさえ、秋刀魚を焼くたびに
さんま さんま さんま苦いかしょっぱいか
と口ずさんでいたくらいなのだ。私の母はおそらくこの詩の意味はさーっぱり理解していなかっただろうに。







