その312 『つれなかりせばなかなかに』
『蓼喰う虫』に関連して、瀬戸内寂聴著『つれなかりせばなかなかに―文豪谷崎の「妻譲渡事件」の真相』を読んだ。副題が文豪谷崎の「妻譲渡事件」の真相となっている。この著者が書いた伝記作品は今までもいくつか読んだ。が、この本は、伝記作品ではなく、主に和田六郎のご子息である和田周氏からの聞書きを中心としたいわば取材ノートになっている。
タイトルの「つれなかりせばなかなかに」というのは、佐藤春夫が千代夫人の15、6歳の頃の芸妓姿の写真と共に保存していた詩の一節からとられている。
この本には、周氏が父母と一緒に佐藤家へ行ったときの佐藤夫妻の様子や、戦後の食料のないときなのに料理上手な千代夫人が次々と手品のように料理を出してきて、さらに六郎氏のお皿のトンカツはさりげなく他の人の分より大きかったというエピソードも出てくる。それを子供だった周氏が「ずるいなぁ」と指摘したときの六郎氏の様子もなかなか面白い。
周氏は、親子で佐藤家を訪ねる前に、母親から父と千代夫人の恋愛の話も聞かされていたそうだ。文豪二人の妻になった人と昔大恋愛をしたということは、六郎氏にとって、誇らしいというのか、そういう気持ちもあったようだ。妻にそのいきさつを逐一話している。
ここで注目されるのは、妻との馴れ初めも千代夫人のことが尾を引いているのを感じることだ。
そのなれそめは、上司が離婚して、その妻が実家に帰っているところをくどき落としたというものだ。その際切り札にしたのが元夫のところに残した子供を引き取るという約束だ。千代夫人との事が壊れた最大の原因がこの子供の問題だったということは和田氏にもよくわかっていたのだろう。だが、結局この約束は言を左右にして実行されることはなく、妻は大変傷ついたらしい。
それでも千代夫人にとって六郎氏はいつまでもかわいい存在だったらしく、その妻には何かと厳しくあたっている(^^;
千代夫人は、『蓼喰う虫』の頃、それまでの梨の花のようなおとなしい性格から、夫にとって自分が女性でないことの苦悩を経て、恋人を持つことで自信を取り戻し、大所帯の要として家庭を切り盛りするようになっていた。この頃の千代夫人の様子は『谷崎家の思い出』に詳しいが、その言動、態度は女性から見てもまことにカッコイイ。終平氏が兄嫁の全盛期と表現したのもよくわかる。
が、佐藤春夫と結婚してからは恋のトキメキはなくなり、その人扱いのうまさが残った。おかげで佐藤家はいつも大勢の弟子がいたらしいが、佐藤春夫の情熱も比較的早く冷め、別の女性に夢中になったりしている。その一方で和田氏の妻にも興味を示し、こたつの下で手紙を渡そうとしているところを千代夫人にみつかり、和田夫人は以後出入り禁止になっている。
長い年月をかけて谷崎と千代夫人は離婚したわけだが、千代夫人にとって谷崎はやはり特別な存在だったのだろうなと思うことはある。鮎子さんという娘がいることもありその後も長く付き合いがあったわけだが、そのところどころで千代夫人の気持ちが見えるエピソードがあちこちの本で出てくる。作品上で何度も抹殺され、父母の面倒を見てくれという口実で遺棄され、極貧にあえぎ、散々な時期を過ごした末、小田原事件のあと、やはりどうしても谷崎にとって女性にはなりえなかったが、それまでとは違った微温湯のような(谷崎)幸せを経て、離婚に際しては千代夫人の養母や兄との話し合いまで谷崎がキチッと仕切った。谷崎にとっても、千代夫人は特別な存在だったのだと思う。







