その311 『谷崎潤一郎伝─堂々たる人生』(その2)
『蓼喰う虫』の頃について、谷崎潤一郎伝には第二の男(阿曾の真のモデル)の本名と、小田原事件の頃の佐藤春夫の長い長い「出さない手紙」の抜粋が載っていた。あと、その後谷崎が結婚しようとしていた女中さんの話も出てきたが、それ以外はこの件で特に目新しいものはなかった。が、私はこのときの千代夫人の心の動きに関心がある。
はたして千代夫人は佐藤春夫のもとに喜んで嫁いでいったのかと。
佐藤春夫とは、いくら小田原事件で引き裂かれたと言っても、千代夫人には既にお腹に子までできたとも言われる恋人がいたのだ。女性の心理としては、これはもう佐藤の件は過去のことだろう。
ではなぜ佐藤と結婚する気になったか。なぜ和田青年をそんなに簡単にあきらめたか。
和田青年は、千代夫人より8歳若く、まだ20代だったという。対して千代夫人には鮎子さんという子供がいる。和田青年と結婚する場合、鮎子さんは谷崎のもとに残す予定らしかったが、これは相当つらかっただろう。
佐藤春夫と結婚することに決まったときも、「鮎子さえ良ければ」と承知したという。
また、佐藤春夫がこの件を知って和田青年に千代を終生愛することができるかと問い詰めたとき、和田青年は「それはわからん」と答えた。そのことに佐藤春夫は大いに憤慨した(もっとも、この場合どのように答えようとも不満だったと思うが)。また、佐藤春夫が千代夫人を問い詰めていることを和田青年が友人である谷崎の末弟終平さんから聞いて激怒し、そのまま決別の手紙を出したという説もある。
佐藤春夫に相談することについては、和田青年との婚約が整う前に佐藤春夫に相談するべきではないかと千代夫人自身が谷崎に言い、はっきり決まる前に壊れることを恐れた谷崎が止めていたらしい。
小田原事件でのいきさつがある佐藤春夫に、別の男性と結婚することを後から知られるというのは千代夫人としてもつらかったのだろう。
谷崎潤一郎伝では、ここで高木治江著『谷崎家の思い出』から次の一説を引用し、このように書いている。
東京から二十代の和服姿の歌舞伎の女形のような青年が現れて、鮎子さんに麻雀を贈った。どういう青年か誰も知らない。先生には会わず、千代夫人に心ありげな素振りであったが、夫人もさりげない様子のまま、一泊して帰って行った不思議な青年である。
とあるのは傷心の和田だろう。
『谷崎家の思い出』には、この一節に入る前に、この頃鮎子さんがドッチボールを好んでやっていたが、書斎の谷崎から叱られること数度に及び、退屈していたときのことだと書いてある。終平さんあたりがこの状況を伝えていたのだろうか。
和田青年にしてみれば決別の手紙を書いたからといってすぐあきらめられるものではないだろうが、千代夫人としては、こうして壊れてしまったら、それは将来のある和田青年のためにも良かったのだと自分を律したのかもしれない。
決まった後、当事者(千代夫人の気持ちは不明)がそれぞれ「これでよかった、もっとも良いタイミングでもっとも傷の少ない方法で解決できた。」と言っているのもうなずけるような気がする。
余談だが、和田青年は戦後佐藤春夫の勧めで小説を書き、大坪砂男という名前で作家デビューしている。







