その296 『白夜行』と『幻夜』
ドラマに触発されて『白夜行』、続いて『幻夜』を読んだ。いずれも直木賞候補になりつつ惜しくも受賞できなかった作品だ。
『白夜行』の方は、主人公の二人をあくまで外から見た形で物語が進行していく。外からなので主人公の内面については外から推し量っていくことになるが、その部分をドラマでは解き明かしながら進行している。もちろん原作とドラマではかなり異なるところもあるので、比較してみるのも面白い。
一方『幻夜』の方は、読んでいくうちになんだか『白夜行』のリベンジのように思えてきた。設定を豊かでなかった生い立ちから阪神大震災におき、視点をより主人公二人においてわかりやすさを出している。進行も、同じようにアーモンド形のやや吊り上った目を持つ美しい女性を中心にしながらだいたい『白夜行』と同じように流れていき、途中までは、なぁんだくらいに思っていた。が、最後の方でそれだけでないことに気づいた。最後まで消えない謎が1つあるのだが、これは『白夜行』を読んだ人なら解ける謎だ。一度読み終わった後、よーく読み返してみるとカギが見つかる。そしてそれにより余計にこの主人公に深く入り込むことができ、そのことがよりこの作品の読後に余韻を与えている。
この2つの作品は、『風と共に去りぬ』のスカーレットオハラとレットバトラーの関係を理想とする作者によって描かれた究極の男女関係らしい。そのことは本人がここで語っているが、いくら憧れていても実際に身近にこんな女性がいたら大変だろう。芸術至上主義の谷崎はその解決策として、妻の芝居気に求めたが、この人はどうなのだろうか。
ところで、作者である東野圭吾は読者の心を掴むためにその時々に注目されている事柄や人を手法として使う傾向があるようだ。ユーミンが出てくる作品がいくつか見つかるのも、もしかしたらそういうことなのかもしれない。ただ、阪神大震災に舞台を求めたのはそれだけではなく、非日常の異常事態としてこれ以上わかりやすい舞台はないということだろう。が、経験した人にとってはまだ経過した時間が短すぎるし、こういう使われ方に一瞬ムッとすることもあるだろう。逆に私のように経験していない人間には、いまいち状況が掴みにくい。読みながらそんなことも思った。







