その289 「お久」発見?
やはり「お久」は松子夫人ではなかったようだ。
それは1983年発行の稲澤秀夫著『聞書谷崎潤一郎』に見つかった。この本は、著者が自著『谷崎潤一郎の世界』を松子夫人に献呈したことから松子夫人と知り合い、直接会ったり電話で話したりして聞書きした記録だ。聞書きなので時系列ではなく、その時々にテーマが設けられ、それでも話の流れであちこちと話が飛ぶ。松子夫人の話したそのままを中心に、資料などと合わせて書かれている。今では入手が困難なようだが、松子夫人が亡くなった後、『秘本 谷崎潤一郎』という本を出されている。秘本は私もかねがね欲しいと思いつつ、高額なため逡巡している。
さて、問題の記述だが、谷崎の和歌に
京の女と奈良あたりに遊びける頃
大和路や長き春日をわれと行くフェルト草履の音のどかなり
という作品がある。
この京の女がどうやらお久らしい。少なくとも自分ではないと松子夫人は言うのだ。
で、松子夫人の証言によると、吉初という祇園のお茶屋さんで会っていた芸者さんらしいということだ。松子夫人も実際に会ったわけではなく、谷崎からそういう人がいたけどもう終わったと聞かされていたというだけなのだが、松子夫人と結婚してから2度ほどおかみが借金取りに来たそうだ。
ここで著者が「しろうと好みの先生として、芸者さんとは珍しいですね。」と松子夫人に問いかけている。
つまり、芸者だったかどうかはわからないが、とにかく京都に女性がいて、その人とそのお茶屋で会っていたということだろう。そして、その女性がどうやら「お久」とかかわりがあるらしいということのようだ。
京都の女性で、この頃の谷崎の全集の中の書簡で不自然な宛名のものを見つけたり、その他にも1、2名ほど頭に浮かんだりするのだが、とりあえず「お久」についてはいったんこのあたりでおさめておくのがいいのかもしれない。
次回はいよいよ『夢の浮橋』の2番目の母のモデルについて書こうと思う。
2005-12-09
いったんおさめると書いたが、やはり気になる。
実は、小出楢重の作品に『少女お梅の肖像』という絵があるのだが、この絵を見たとき「あっ、お久」と思った。実際、『蓼喰う虫』の頃も小出楢重はこの女中さんをとても気に入っていたらしいことが、高木治江著『谷崎家の思い出』に書かれている(古書店で1,000円くらいで入手できるようだ)。「老人」と「お久」の会話はこの二人からイメージし、それを妹尾夫人から紹介された(と思う)京都の女性(さらに他の女性もいたかもしれない)と融合させて出来たのが「お久」ではないかと思うようになった。







