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2005 年 12 月 2 日

その287 『蓼喰う虫』モデル考(その2)

カテゴリー: 小説・作家 — みよこ @ 12:00 AM

さてお久だが、まず「老人」が誰かを考えてみたら、『蓼喰う虫』の挿絵を描いた小出楢重という人が浮かんできた。この人についてはテレビ番組『美の巨人たち』でも放送された。浄瑠璃に造詣があるらしいし、調べてみるといろいろ興味深い情報も出てくる。
青空文庫に小出楢重の随筆『大切な雰囲気』が掲載されている。その序が複数の人によって書かれているのだが、トップに谷崎潤一郎のメッセージがある。『蓼喰う虫』を書いた頃に感化を受けたと書かれている。また、この人の子孫が自身のサイトで息子弘は小出楢重の息子もモデルだったのではないかと書いている。

さて、予告の『谷崎潤一郎風土と文学』の件だが、「「少将滋幹の母」の刊行前後」というところでその記述は出てくる。その頃家のあった熱海の町を著者と谷崎が歩いたとき、谷崎は「毛糸で編んだ宗匠ふうの、風変わりな黒い帽子をかぶり、角袖のコートにステッキといった散歩姿だった」と書かれている。この出で立ちは『蓼喰う虫』の「老人」を思わせる。
また、やはり同じ「「少将滋幹の母」の刊行前後」で、松子夫人の『椅松庵の夢』から次の文章を引用している。

「或は他の女性の場合なら、と本心で浮気をすすめてみたが、割合淡々として聞き流していた。ただ私が十七歳若いので可愛そうだ。と時に涙を流しながら思い決したように、却って『浮気をしてもかまわないよ』と云ったが私は『どういう風に男の人に云い寄っていいのやら勝手が分からない』などと笑いにはぐらかした。思いめぐらせば、こういう話をする時はいつも書斎に限られていたが、この時『少将滋幹の母』の原稿が机上に載せられていた。

描くものの上では、『自分は作品の中に持ってくる女性には相当近づかないと書けない方なので、変に思うかも知れないが、誓って節度を守り羽目を外すことはしないから』と、それも一度きりしか云わなかった」

著者はその後で、

「一見谷崎文学は、一つの特異な観念の極致を表現するために、意表をつく題材や設定をなされているようだが、それぞれの作品のモデルは、案外身近な所にあり、それがモチーフになっていることを、その後に先生に近づいてみてから、痛感されるようになってきた。」

と書いている。

「老人」から「お久」を受け継いだ「要」が、年月を経て『少将滋幹の母』の「国経」になってそこにいる。この身近な人間は、はたして誰だったのだろう。

お久についていろいろ調べているうちに、『夢の浮橋』の2番目の母のモデルの一人がわかった。これについてはまた後で書くと思う。さらに今回出てきた「小出楢重」という人に興味が涌いてきた。先日作った検索サイト、詳細Book検索「比較検討」検索してみると、先ほどの子孫の方が書かれた本や、『小出楢重随筆集』などもある。たぶん買うことになるだろう(^^;

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