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2005 年 10 月 28 日

その279 『夢の浮橋』

カテゴリー: 小説・作家 — みよこ @ 12:00 AM

谷崎潤一郎著『夢の浮橋』の全文が、ネット上で公開されている。
この作品を初めて読んだのは随分と昔だ。今年は谷崎潤一郎没後40周年ということで、新聞や雑誌に特集が組まれているが、先日、『東京大人のウォーカー創刊一周年特大号』で特集されているのを読んで、この作品を再度読みたくなった。
が、とても短い作品なので文庫本のどこかに入っていたと思ったのだが出てこない。そこでネットで検索してみたら、上記の日本ペンクラブ電子文藝館に行き当たった。
この作品は、下鴨神社のそばにある「後の潺湲亭(現・石村亭)」がモデルになっている。その描写は、この短い小説の中で大きな部分を占めるのだ。なので、初めてこの小説を読んで以来、「後の潺湲亭(現・石村亭)」は私にとってずっとあこがれの場所だ。
さて、内容だが、この小説の冒頭に、いきなり短歌が出てくる。

五十四帖を読み終り侍りて
ほとゝぎす五位の庵に来啼く今日
渡りをへたる夢のうきはし

この短歌がどちらの母親が詠んだものかはわからない。というところからこの物語が始まる。
この小説は、谷崎潤一郎が源氏物語の現代語訳に取り掛かっていた頃書かれたものであり、この小説の根底には、桐壺院の心理についての考察がある。これを谷崎の頭の中で実行すると、こういうことになるということか。読んでいくうちに、この短歌の作者がどちらかということ自体はなんとなくわかると思う。が、この物語はそれだけでは終わらない。
谷崎潤一郎の作品で、推理小説風のものは他にも多くあるのだが、その特徴に「種明かしをしない」というのがある。読者にいろいろヒントを与えてはいるのだが、確実なことは書かない。だから、多くの読者は単純に誤解したり、何度も読み返すうちに、別の答えが出てきたりする。そこが面白いところだ。例外に『鍵』という作品があるのだが、この作品を読んだとき、最後の日記公開は私には蛇足に思えた。でも、最後にあえて妻の日記を出すところにまた何か別の意味があったのだろうか。今回『夢の浮橋』を再び読んでみて、不満の残ったあの『鍵』も、もう一度読み直したくなった。

『夢の浮橋』に話は戻るが、この作品を読み解くときに、パターンとして参考にできるものに『春琴抄』(こちらに私の読んだ感想有り)がある。短い作品だし、百恵友和が演じたし、読んだことのある人も多いと思う。

それにしても、ある一部を意図的に隠し、ぼかす手法は、この作品が書かれる少し前に発見された『とはずがたり』を思わせる。読んでいくうちに疑問が出てくるところも共通している。実際、この日記を書くにあたっての主人公の言葉と、『とはずがたり』の最後で二条が言っていることは酷似している。谷崎潤一郎が『とはずがたり』を意識したことは十分考えられるが、だとしたら、『とはずがたり』も鎌倉時代に実現された『夢の浮橋』なのかもしれない。

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