その276 『子乞い』
その275で読みたいと書いた、ドラマ「瑠璃の島」の原作『子乞い』を読んだ。
その275では、ゆいまーるの話を書いたが、物事は光の当て方によって色々な色に見える。食べ物から、時には私有財産まで惜しみなく分けたり貸したりするのは、お互いに現金がないことを知っているための助け合いであって、現金収入が不要というわけでは決してない。
この本は、1980年代に起きたことを書いたノンフィクションだが、シマ起こしのためのかぼちゃの生産の成果が上がり始めると、土地を提供した不在地主や老人から儲かっているなら土地代を払えという話が出てくる。これは本来当然のことだが、一生懸命開墾してようやく実を結んできたときにそれを言われると、先が見えなくなる。
子供を借りてきてまでという方法は島分けを思わせる。この対症療法に対して、若者は冷ややかな目で見ているが、人の発想は、どうしても経験してきた範囲から飛び出すことはできない。実際そこまでせっぱつまっていたわけだし。
里子を預かるという方法で一時的に廃村の危機へのスピードを緩めることはできたが、里子を預かれる人自体が減っていくわけで、それでは結局廃村の危機を脱したことにはならない。作者は島の将来に対してある提言をしてこの本を終えている。
鳩間島の現在について調べていたら、鳩間島通信というサイトを見つけた。本の登場人物やその子孫ががんばっている。
この本を読んでいて、沖縄では、自分の島より小さい島については眼中になく、みんな親島や中央を見ているという文章に出会った。実際その現象はかなり極端に映る。けれど、自分の住んでいるさいたま市を考えてみれば、埼玉都民と言われるくらいで、就職するなら地元か都内という選択肢がまず頭に浮かぶ。特に沖縄だけの現象ではない。
本では、中央と地方の問題も提起されていた。郵政民営化が推進される今、それ自体は別に賛成でも反対でもないが、郵政公社自体には最初はクリームスキミングを禁じる文言がついたとしても、いずれはその方向に行くのは仕方のないことだ。合理化するということは、採算の合わないところは排除されていくことだ。
この問題の解決には、中央の施策も重要だが、土木工事だけでない、「食える島」への中央地元双方の努力もまた重要とこの本には書かれている。
実際、歴史的に重要な役割を果たしてきた島が「中央から忘れられている」と憤っていたりするので、これは鳩間島だけの問題ではない。
私は沖縄へはまだ一度も行ったことがない。『サウスバウンド』『子乞い』と立て続けに沖縄に関係する本を読んで俄然沖縄に興味を持ち始めただけだ。いつか沖縄に行くことがあれば、自分の眼でいろいろ見て感じてみたい。







