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2005 年 5 月 25 日

その251 『誰も知らない』

カテゴリー: エンターテインメント — みよこ @ 12:00 AM

カンヌで主演男優賞を獲得した『誰も知らない』『KAZEMACH CAFÈ』を読んだ翌日に見た。
この作品は、実際に起きた事件を題材にしている。
スーツケースから次々と出てくる子供に最初はとっても驚き、「何てことを!」と思ったが、当然空気穴も付けてあるのだろう。本人たちはそれをゲームのように楽しんでいた。
この母親は婚姻外でそれぞれ別の父親の子供を生み、出生届も出していなかった。子供が学校に行きたいと言っても「お父さんがいないといじめられるよ」と言って取り合わない。だけど、長男には最低限の勉強の道具は与えていた。
母親がまた新しい恋をして、それを長男に告げる。毎度のことに、長男は「また?」と答えるが、母親は折を見て子供たちのことを相手に話すからといいつつ、その男性のもとで同棲生活を始める。
母親に頼られ、妹たちは自分が守らなければとがんばる長男。でも、なかなか帰ってこない母親に苛立ち、生活に困っていたこともあり母親の衣料を売ろうとする。が、妹が必死に止める。もしそれを売ってしまったら、もう二度と母親が戻ってこない気がしたのだろう。
長男の苛立ちは、決して無責任な母親を非難しているからではない。それなりの年齢になっているので、出ていく前の母親に「身勝手だよ」と言ったりするが、その言葉がどのくらいの意味を持っているのか。本当の気持ちはただ母親にそばにいて欲しいだけだ。
母親も、子供たちを捨てたつもりはない。子供たちを育てたいと思っている。でも、どうしても女の自分を優先させてしまう。

どんなに頼りない親でも、子供にとっては大切な人。大きくなってくると周囲の声が聞こえてきて、そのために曲がったりすることもある。「僕たちはなんてかわいそうなんだろう」とか。

だが、この子達にはそのような声は聞こえてこない。誰も知らないからだ。純粋培養のようなものだ。長男だけが世間の風に当たっているが、なんとか妹たちを食べさせようとがんばっているため、苦労を苦労と思っていないのではないだろうか。

結局この物語は悲劇的な事件のあと、映画ではそれでもそのまま続いていく。実際の事件と異なるところだ。たぶん長男は心の中でずっと苦しむだろう。でもこの子供たちはお互いに支えあって、その時点ではそれなりに幸せなのだ。

子供の頃、子ども会の会合についていったことがあった。
そのときに、「子供たちの幸せのために云々」という言葉が聞こえてきた。なんだか違和感を持った。
子供にとっては、家庭内が平和であることがいちばんの幸せ。それは両親が揃っていることとは関係ない。
子供に無用なコンプレックスを与えるのは常に周囲の大人だ。大人が子供たちの幸せを考えることは、それは必要なことではあるけれども、時には子供にとって的外れになることもあるのだ。

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