その209 『キャンティ物語』
10月10日に、東京キャンティ物語というドラマが放送されたが、その原作である野地秩嘉著「キャンティ物語」を読んだ。
物語は一人のレーサーの死から始まり、その葬儀の情景から、キャンティというレストランに集まる人たちの話になる。
このレストランは、川添家の応接間と言っていいくらい、浩史とその息子たちの知人が連日集まっていた。
浩史は日本の文化を海外へ紹介すること、海外の文化を日本へ紹介することを自分の本職と思っていたと、この物語には書かれている。そして、その事業は川添家の家業として長男に受け継がれ、レストランは次男に受け継がれる。
浩史は戦前戦中からフランスに遊学し、そこで多くの友人を得た。そして、日本の文化を海外に紹介し、海外の文化を日本に紹介するという事業を始めた。一例としてはアヅマカブキの公演を世界各地で行い、日本の映画をカンヌで紹介した。
外国人との交渉では、高松宮との関係が有利に働いたこともあった。このあたりは読んでいて興奮する。
梶子夫人との出会いは、このアヅマカブキの公演にナレーターとして梶子が参加したことからだ。
当時浩史には原智恵子というピアニストの妻がいたわけで、離婚が成立し、梶子と結婚するまでのことについては、原智恵子側のことはまったく触れられていない。この部分については、原智恵子の伝記を読むとつながると、タイムカプセルさんに教えていただいた。
長男が初めて手がけたのは、海外で爆発的に注目されている「ヘアー」というミュージカルの日本での興行権を得て、日本版ヘアーをプロデュースすることだった。この事業をバックアップすることが浩史の最後の仕事になった。そして、長男次男の友人として集まってきた人たちを中心に、芸能界が新しい世代に変化して行くのだが、そういう方面も浩史氏が積極的にバックアップした。
ドラマでは、短い時間に欲張りすぎなくらいいろいろ詰め込み、もう少し掘り下げてもいいところまでサラッと流しすぎて、いったい何が言いたいのかわからないような出来になってしまった。
原作にはユーミンはほとんど出てこないが、そこをあえてユーミンに的を絞るならそれなりの作り方があったと思うのだが…。無理にドラマに仕立てた意味もわからない。
船頭多くて船が陸に上がってしまったのだろうか。
ただ、原作で説明不足な部分をインタビューが補っていたところもあったので、そういうところを考えながら読むのも面白いと思う。







