その210 マティス展
10月22日、マティス展に行ってきた。
まず、入場してすぐ、地下の講堂に行き、無料のスライドトークショーを見て、今回の展示の見所を予習してから、実際の作品を見て回った。
今回の展示方式は、よくある年代順ではなく、習作やバリエーションを一緒に集めるというマティスの特徴を生かした方式だ。マティスのこの特徴は、苗場の最終日のチャットでユーミンも言っていた。
作品を見ていくと、同じ絵が何度も出てくる。マティスは1つの絵の中に、それまでに描いた自分の別の絵をよく入れる。だから、有名な「ダンス」の絵は、いくつも見ることができる。また、マティスは、モデルを描いている自分自身もモデルと一緒に書いたりする。マサノリに言わせると、「自分大好き人間なんだよ」ということになる。
マサノリはこの画家がとっても好きなようで、この画家の話をするときの彼の表情は、まるで憎めない友人のことを話しているようだ。たとえば、
「マティスはヌードが得意で、描きたくてしょうがないんだけど、ただヌードを描きたいというわけにはいかないから、言い訳をしながら描く」
つまり、ヌードが必然になるようなテーマを選ぶわけだ。
さらに、
「こういうこまこましたのを描くのが好きなんだよなー」
マティスはテクスチャーのようなのが好きで、背景にいろいろな模様を描く。また、デッサンなどでは、実にこまかなレースの模様を、よくぞここまでと思うほど丹念に書いていたりする。
マティスは、簡単に描いていると思われるのが特に嫌だったようで、1つの作品を書くまでの間に、一応仕上がったと思うところで弟子に写真に撮らせている。たとえば有名な「ルーマニアのブラウス」などは、描いているうちに余分なものがそぎ落とされて、とても単純な形に落ち着いているが、これなど途中経過が残っていなければわからないことだ。
多くの画家は、結果だけで勝負するのだろうが、マティスの場合、モデルの感情を感じながら描く。描いているうちに、それまで描いていた路線とは違う絵にしたくなることもある。そういう場合、それまで書いたものを塗りつぶしたり、逆に絵の具をはがしたり、ときにはわざと下にある絵の具を残したりするのだが、途中経過を残しておくことによって、それらのことが大胆にできたのかもしれない。
1つ、ビデオが残っている作品があった。ビデオでは、女性の顔を描いていたが、このバリエーションがいくつかある。そして、順番に見ていたら、最後にその女性の顔は怒りの表情に変わっていた。あーだこーだとなかなか仕上がらない状況に、イライラしてしまったのか、何があったのかわからないが、なんだか笑えた。
マティスは、心のままにモデルをいろいろな形に描いて行くうちに、時間を忘れて没入することも多かったらしい。そのようなときに、モデルに時間など尋ねられた日には、感情を害してしまってデッサンがめちゃくちゃになってしまうこともあったそうだ。
とにかく、絵を見ていくと、マティスが本当に生真面目だったのがよくわかる。生真面目でなければ同じ絵を何度も描くなどということはできない。また、どうしてもうまくかけないときには、モデルに謝ったりしたこともあるそうだ。でも、後になってそれがお気に入りの作品になっているものもあったりする。自分の作品を繰り返し繰り返し反芻しながら新しい作品を描いていくというタイプのようだ。
このようなタイプだから、マサノリには親近感が持てるのかもしれない。
私も今回の展覧会でとっても親近感が持てた。
いつか壁紙もバリエーションを並べたりするかもしれない。
今日は待ちに待った「新・日曜美術館」放送日だ。
きのうの地震の影響で、ちゃんと放送されるかどうか心配だが、ユーミンがマティスについてどういうお話をするのか、とっても楽しみだ。








