その198 不思議な贈り物
「あ、夏美? お母さんだけど、今日出てこられないかな?」
久しぶりに来た母からの電話は、原因不明の食欲不振と歩行困難により長期入院している父への見舞いの催促だった。そういえば、前に病院で父の手の爪を切って以来、忙しさにかまけて見舞いに行っていない。あの時もう1ヵ月以上は経っただろう。
父はもともと周囲が聞きにくいと思うくらいの毒舌家だったが、ここ数年妙におとなしくなっていた。そして今回の入院。年を取って、体のあちこちに故障が出てきたため、たくさんの種類の薬を飲んでいたのだが、どうもそれが影響したかもしれないということで、今回の入院に際して、そのうちのいくつかをやめた。
久しぶりに見た父は、一時は寝たきりになるのではないかといわれていた体調がすっかりよくなり、病院内を歩くこともできるようになっていた。それに伴い、しばらく影を潜めていたあの「毒舌」まで復活していた。父にかかれば周囲のほとんどの人間は自分に悪意があるか、底意地の悪い人間ということになってしまう。それなのに若い女性に対する愛想だけは良い。
病院に着くなり、足の爪を切ってくれといわれた。前回の爪切りがとてもうれしかったらしい。
手はいいが、足となると、夏美にもそれなりに覚悟がいる。特に、父の足の爪を切る場合は。
爪白癬のために硬く肥大し白濁した爪は、まず最初の1切りでフワッと粉を吹き上げた。さらに、ひどい巻き爪のため、それを皮膚から離しながら切るのは容易なことではない。母から受け取った小さな爪切りでの作業は困難を極めた。
父はかなり大げさだ。ちょっと歯が皮膚に当たっただけで飛び上がらんばかりだ。そんな中、とうとう親指の爪と一緒に皮膚も切ってしまったときは、「痛い痛い痛い痛い…」と続く派手な声を早く止めようと、夏美の方もさらに大きな声で「ごめんごめんごめんごめん…」を連発した。看護婦さんに爪切りをお願いしても「あ、まだ伸びてないですね」とやんわり断られるのも当然だ。
ようやくおとなしくなったところで再び爪を切りながら、夏美は中学生の頃の出来事を思い出していた。
父がおもむろにセロハンの袋に入った作務衣らしきものを大きなカバンから畳の上に出した。何でも、会社の人から「奥様へ」といただいたものだそうだ。その作務衣らしきものは、かなり地味な柄のついたものだった。
母の年齢は、もうすぐ40歳になろうという頃だ。今でこそ、おしゃれ感覚で作務衣をということもあるかもしれない。が、いただいたものは40前の女性が好んで着るようなものでは決してなかった。
どういう趣旨でいただいたのか、妻と娘に聞かれて、父はうつむきながら何だか訳のわからない説明をしていた。
畳の上で中途半端に浮いている1枚の作務衣。夏美には、この作務衣からいろいろなものが立ち上ってくるような気がした。
結局この作務衣は着用されることはなかった。
夏美は爪を切りながら、「もっと痛くしてやろうか」と思った。







