シャングリラ2の大阪遠征のときに、難波のジュンク堂で渡辺淳一著『エ・アロール』のサイン本を見つけて買ってきた。老人ホーム、というより高級な老人入居施設のお話だが、プレイボーイ、プレイガール、その他さまざまな入居者が、次々と色々なことを引き起こす。エ・アロールの意味は、フランスのミッテラン元大統領が愛人のことを聞かれて答えた「それがどうしたの?」という意味である。
このテーマは、その41でも書いたように、氏がかねてから考えていたものだ。新聞連載後、加筆修正してすぐに発行となったようだ。この本を書店で見つけたときは、「ああ、とうとう書いたんだ」と、勝手に思った。
詳しくはこちら。
それにしても、氏が医師であることは知っているが、この本ではまるで実際に老人ホームを経営しているようにリアルな書き方だ。本当に経営しているのだろうか。そんな時間はないと思うのだけど…。読んでいると、まるでドキュメンタリーのように思えてくる。
小説の中で、老人が恋愛をすることについて、違和感を持ちがちだと書かれていた。私は元から谷崎潤一郎ファンであったためか、あまりそういうことを感じない。いつまでたったって、そりゃ恋愛感情くらいあるでしょうと思う。これは年代によるものか、それとも本当に一般的に老人が恋愛することに違和感があるのだろうか。そんなことをちょっと感じた。あと、面白かったのが、60代以上の女性たちを○○嬢と書くことだ。確かに、やっていることや気持ちは乙女のようなので、その呼び方もなんとなく納得がいくような気もするが…。
この小説、早速10月からテレビドラマになるそうだ。とっても楽しみですわ。
二条は源氏物語の紫の上に自身を重ねて『とはずがたり』を書いた。紫の上自身が幸せだったかどうかは置いとくとして、ある男性の第1の女性と認められていたことは、二条にとってうらやましい存在だったといえる。
二条は自身を紫の上になぞらえたために、自分は特別と考え、ともすれば后である東二条院をないがしろにしているととられる行動をとった。彼女にとっては身分はあまり関係ないものだった。それに対して、紫式部は常に身分を考えている。鎌倉時代になると武士が台頭して、身分関係も随分流動的になってきたため、それはある程度当然のことともいえるが、それにしても二条はあまりにお転婆だった。
紫式部は、噂を気にやみかなり内向的だった。あの時代に都に住み、宮仕えをして暮らすということは、その中に生きている人たちは元を辿ればどこかしらで血がつながっている狭い世間の中で競争しながら生きることになる。少し目立てば何やかやと噂をされるのは当然のことで、それをいちいち気にしていたら、身がもたなかっただろうに。
それに対して二条はというと、あまり他人のことは気にしていない。特に同性については、自分の恋のライバルになる人については多少の感情はあるものの、自分からあの人はどうの、こうのとは考えなかった。どちらかというと、攻撃される一方のタイプだったようだ。まあ、思ったことは何でも口にして、ストレスを溜めない性格だったのかもしれない。ただし、噂話は大好きだ。まあ、それくらいでないと、生きていけなかったともいえる。どちらかというと、清少納言の方に似ていたのかもしれない。
一見正反対と思える紫式部と二条。でも、その中に共通しているのは、「こんなはずじゃなかった」という気持ちだ。そういう気持ちがあるからこそ、読む人の心を動かす作品が書けたのかもしれない。
もっとも、作品としてはやはり『源氏物語』の偉大さはどんなに時代が下っても決して衰えず、比べるべくもない。あの時代に、「もののけ」といいながら、その正体を知っていたと思える書き方といい、紫式部は人間の心の奥深くを覗いて書いているように思える。
ところで、紫式部は『源氏物語』と『紫式部日記』、それと自撰の歌集である『紫式部集』を後世に残しているが、二条は『とはずがたり』以外には何か残していないのだろうか。増鏡が彼女の手によるものという説があるが、だとしたら、これもまた偉大な作品といえる。
紫式部は、中宮彰子付きの女房が引っ込み思案なのでつまらないと噂されていることを、日記で気に病んでいる。紫式部によると、それは、軽薄なことを嫌う中宮自身の性質により皆が右へ倣えしているうちに、そうなってしまったと書いているが、そこに表現される中宮の性質は、まさに紫式部そのものだ。そして、中宮も噂を気にして、女房たちにももう少し男の人たちとの実務的な話の取次ぎをしっかりできるようにして欲しいと言っていると書いている。
ところで、紫式部にはとても仲のいい女房がいた。小少将の君という人で、紫式部が書くその性質はまるで源氏物語の夕顔のように頼りない。でも、この女房とは世を憂う気持ちを手紙で書き合い、出仕のときはいつも同室だったようだ。そのことを、お互いに秘密にしている通い人がいたら不都合だろうと道長にからかわれても、自分たちにはそんな秘密などないから気楽だと書いている。
どうもこの女房と紫式部は恋愛関係にあったらしいとみるむきがある。私も最初に出てきた和歌の贈答では、あまりの熱烈な訳ぶりに、「そこまで意訳しなくとも」と思ったが、大切な行事の日に、2人で局で髪をとかしあってのどかに過ごしているうちに遅刻してしまい、ばつが悪かったと書いているのを読んで、「これは…」と思った。確かに同僚女房の美しさなどを見る紫式部の筆はなめるように細かいし、うたた寝をしている同僚に、かわいさのあまりちょっといたずらをしてその同僚に抗議されたりしている。さらに、小少将の君以外にも、熱烈な歌の贈答をしている人がいる。
彰子中宮の女房たちは男性と実務的な話すらはかばかしくできなかったようなので、実質的に女性ばかりで生活していたともいえる。女性ばかりでいれば、女子高のような感じで擬似恋愛もありうると思う。そんな中で、紫式部には同性の美しさを丹念に見る性質が他の人より特に強かったのかもしれない。
そういえば、こういうこともあった。宮中で女房が2人追剥の被害に遭う事件があり、そのとき紫式部は同僚を起こしたり、現場に手荒く引っ張っていったり、身分の差も忘れて女官に自分の弟を呼べと指示したりして、活躍している。気味が悪い事件だと書きながら、その後もその裸姿が忘れられず、何だかおかしくもあったと書いている。これ、もし紫式部自身が被害に遭っていたら、それこそ自殺するくらいに嘆いただろうに…。いつもは何につけても自分に引き寄せてあわれを感じるこの人にしては珍しい反応ではある。
『紫式部日記』を読み終わった。他人を次々と批判している部分は、日記ではなく手紙形式にしている。そして、その部分については「これは他の人に漏れたら大変なことになるから読んだらすぐに返してね」と、架空のあて先人に言っている。でも、中宮の最初の出産と2回目の出産の間にあったさまざまな行事などを記録して、道長の栄華を強調するための日記の中に記されているわけで、あなかしこみたいに書きながらとっても挑戦的なのだ。
紫式部は源氏物語のために相当目立ったわけで、当然かなり槍玉には上がる。そのためにいろいろ中傷されたことが悔しく、弟の彼女の手紙に当代一の風流人が集まっているのは自分たちのいる斎院のところだと書いてあったことに腹を立てたことに続いて、そういえばあれも、はたまたこれもと、連鎖式に怒りを書き記していったようだ。
私信の形式を借りて、普段は「一」という字も書けないくらいにホケたふりをしている位なのになんで私が知識を鼻にかけていると言われなくてはならないのかと書いて、その勢いで、「実際は弟より出来たのよ、私は」などと言っている。人の悪口など言うものではないといいながら、人の悪口を書き、知識をひけらかす人間は軽薄だといいながら、思い切り自慢している。まあ、それくらい怒りが日々鬱積していたのだろう。でも、紫式部は中宮の家庭教師なのだから、知識があって当然なのであり、そんなに気にしなくてもいいのにとも思うのだが、それを気にするのが紫式部のやっかいなところなのだろう。
清少納言については、漢字を書き散らして賢がっているなどとさんざんに書いているが、その後で自分もそんなようなことを書いているし、人の悪口を憶測で言うなといいながら、清少納言についての悪口も憶測でしかない。これについては『面白いほどよくわかる源氏物語』に、清少納言が枕草子で夫の縁者のことを滑稽に書いた仕返しだとか、道長をめぐってのさやあてだとか書いているし、紫式部日記の解説では、定子サロンを有名にした清少納言が憎らしかったのだろうと書いている。
結局何が引き金なのかはわからないが、日記中でも自分だって気楽に華やかに過ごしたいけど、出来ないのよみたいなことを書いているので、清少納言のようなタイプはうらやましくもあり、憎らしくもあったのだろう。でも、「言霊」が信じられていた当時に、将来ろくなことにならないとまで書いているのは、これはもう呪詛と言ってもいいと思う。
和泉式部については、昔から親しかったこともあり、人柄について批判しているわけではない。ただ、けしからぬところがあると書いてあるが、それはまあ、2人の親王との恋愛騒動などのことや、口の軽さなどの程度で、特に和泉式部を嫌ってはいないことは読んでいてわかった。ただし、和歌については、時としてはっとするようなすばらしい表現をすることもあるけれど、それはまあ、あくまでも感情を吐露したものであり、本当の歌詠みではないと、2度も書いて強調している。つまり、和歌については自分の方があくまで上と言いたいようだ。では、誰がすばらしい歌詠みなのかというと、中宮彰子付きの女房である赤染衛門を挙げている。
大塚ひかり著『面白いほどよくわかる源氏物語』を読んだ。源氏物語のさまざまな謎に深く分け入って、紫式部の知識や性格をあぶりだしている。
紫式部は、当時宮中ではあまり知られていなかった儒教的な思想を持っていた。それは学者である父のもとで育ったことによる。そのため、同僚女房の浮気な様子が許せない。でも、女房をする限り、男性に顔を見られるし、貴人との関係も生じる。
つまり、女房という仕事をしている自分が嫌でたまらない。でも、仕事はキチンとやっているという自負がある。さらに、知識をひけらかす人は嫌いだが、自分の知識についてのプライドは高い。自分の中に相当な矛盾を抱えていたようだ。
だったら、人のことなど批判しなければいいのに、清少納言、和泉式部をはじめ、親戚にあたる人まで紫式部日記でかなり強烈にけなしている。相当に生きにくかったことだろう。大塚氏の説によると、どうもこの日記を書いていた頃の紫式部はノイローゼに陥っていたらしい。
紫式部日記は以前読んではいたが、『面白いほどよくわかる源氏物語』を読んだら、もう一度じっくり読んでみたくなった。