その141 『顔世(かほよ)』
今回は、太平記巻二十一の「塩冶判官讒死事」を、谷崎潤一郎が戯曲化した『顔世』について書いてみたい。
この話は、南北朝の初期に、好色な権力者高師直に元公家の女房が自分の顔の広さを自慢したいがために塩冶高貞の妻である顔世が絶世の美女であることをもらし、彼女を得ようとした師直の讒言により塩冶高貞およびその妻子が死に追いやられるというものだ。歌舞伎が好きな方は『仮名手本忠臣蔵』でこの三名の名前はご存知だろう。
谷崎は、この戯曲で奥方に高師直が手紙や使いを寄越して言い寄っていることを知ったときの塩冶高貞の微妙な心理を演出しているように思える。ただ、結末は決まったもので変えようがなかったため、あくまでも暗示にとどまった。時は戦前。当時の谷崎としてもそこまでが限度だったのだろうが、そのために、この妙な演出と台詞が浮いてしまっている。
結局、このとき塩冶高貞に託したかったであろう心理は、後年に書いた『少将滋幹の母』で藤原時平に妻を奪われた藤原国経に託して、完成させている。
ところで、先ほど手紙と書いたが、高師直は2名の者に代筆させているが、そのうちの1人がなんと、あの『徒然草』吉田兼好である。吉田兼好の代筆した手紙は読まれることもなく打ち捨てられたため、以後吉田兼好は高師直のもとへの出入りを禁じられている(はたして本当に吉田兼好なのかは議論がある)。
さらに、この浅はかな女房、元は公家の女房だったが寄る辺がなくなり、京にいるあちこちの武士の屋敷に出入りしていたが、師直を恐れ地方へ逃げたという。なんだか誰かに似ている。そう。あの二条だ。
ただ、このとき彼女が生きていたとしても80~90歳位だし、彼女は京の中では武士とのつきあいをあまりしていないと思われるので、たぶん別の人だろう。時は南北朝初期、両統迭立で上皇が常に複数いた時を経て、その後南北朝に分かれてしまったため、二条のような境遇の人は結構多くいたのだろう。







