その133 お仕事体験記13電算写植(その5)
ベテランになっていくにつれて専属化が進行し、苗場などで休みをとると、その間の仕事が机の上に積みあがり、帰ってくるとなくなるということの繰り返しになった。
この仕事を始めてから、せっせと資格取得に励んだ。ワープロ検定もそうだし、システムアドミニストレータは、第1回の橋本龍太郎の名前の入ったお免状を持っている。時間が止まったような世界の中にどっぷりと漬かることに不安を感じていたのかもしれない。そのために、いろいろなスクールに通った。その様子をみて、ある人は「道場破り」と表現した。その人からすれば、私がわざわざスクールに行ってまで勉強する必要を感じなかったのだろう。でも、私はちっとも自信がなく、不安はますます強くなるばかりだった。お客さんのお客さんが、次に何を求めてくるかを予測して、そのための準備も兼ねていた。
会社にいる間は、機械の陰に隠れるようにして仕事をしていた。おしゃべりする余裕はなかった。それでも普段会社で流れているラジオにあわせて鼻歌を歌いながら仕事をしていたので、周囲にはちっとも忙しそうに見えない。技術的なことで必要があるときは、資料を作って説明したが、紙は読まれない。そして、殻に閉じこもった。
潮時を感じた。
在宅で仕事をしないかと言われたが、その気にはなれなかった。第一、NICEの古い、大掛かりなセットを引き取る場所もない。
退職後はWebの勉強をしたり、組版の自動化のお手伝いに行ったり、Word、ExcelのMOUS資格を上級までとったりして過ごした。正社員の口を探したが、やはり、特殊な環境で仕事をしていたため、潰しが利かない。井の中の蛙になるまいと思いつつ、外の世界では役に立たない自分を感じた。それでも最初に面接に行ったところは、その後自分がしてきたことを考えれば、ぴったりの仕事だった。オペレーターで応募したのだが、履歴書をみて、自動組版のSEにならないかといわれたのだ。ただ、当時まだ触ったことのないソフトでの自動組版だった。すぐ覚えられる自信はあったのだが、どうしても「やります」とは言えなかった。その会社のワークフローが固まっていたことも、「やります」という気になれない一因だった。そして、最初のぎこちなさを恐れるつまらないプライドにいつのまにか侵食されていた。
紆余曲折の末昨年開業し、幸運にも1年目から大掛かりな名簿の仕事が入った。退職する前年に担当したデータベース作成を伴う名簿作成の仕事が役に立った。
(お仕事体験記終わり)







