仕事に使う機械を設置するために部屋を片付けていたところ、ダンボールの中から谷崎潤一郎関係の本が出てきた。その中に、『谷崎潤一郎全集第14巻』があった。たぶん神田の古書店で買ってきたものだろう。奥付は昭和四十八年十一月普及版発行となっていて、検印のところには「潤」という落款の押された紙が貼られ、その上を、検印の紙に触れないところに1点糊をつけたパラフィン紙で保護してある。
谷崎潤一郎全集の中で、特にこの本を購入したのは、この中に『夏菊』という、中断された小説が入っているからだ。
『夏菊』というのは、昭和九年、松子夫人と結婚した年に新聞連載した小説だ。
松子夫人は、大店の御寮さんだったが、店が傾き、その他いろいろなことがあって離婚した。その頃のことをモデルにした小説だった。当然誰が誰であるかははっきりしていたし、債権者から隠していた資産の話も出てきて、当事者にとってみればたまったものではなかった。また、連載が続けばどういう話が出てくるかも、話の中に引かれている伏線でわかる。
当然のことながら反対が出て、これからというところで中断された。この小説は戦後に『細雪』という洗練された形で復活するが、そこには倒産やその後に出てくるはずだった愛憎問題はすっぽり抜け、松子夫人の姉妹の優雅な生活が微に入り細に入り書かれることになる。
しっかし、どういう話になるかわかってはいても、先を読みたかった。リアルタイムでしかも人物設定がそのものずばりのような生々しさだったために中断されてしまったが、このテーマを谷崎がどういうふうに書くか、読んでみたかった。こんなにあせって書かずに、もう少し時間を置いて熟成させてから書けばよかったのにと思う。
久しぶりに谷崎の作品を読んで、谷崎熱が復活してきた。ネットを探していたら、『秘本谷崎潤一郎』)という本にぶつかった。ネットで販売しているのだが、この作者の本の1つ、『聞書谷崎潤一郎』は持っている。『秘本』にはその後のことが書かれているらしい。1巻1万円全5巻の大作だ。欲しい!と思ったが、ただでさえ部屋が狭くなって困っているこのタイミングでそんな本を買ったら、マサノリに叱られるだろうなぁと思い、我慢している。
ある日、60代に入ったばかりのの夫婦の家に突然電話がかかってきた。警察からだ。お兄さんと思われる方が亡くなったので、確認に来て欲しいとのこと。それは、30数年行方不明だった、夫の兄が亡くなったことを知らせる電話だった。
行方不明になってから10年ほどたった今から25年前、まだ生きていたその男の母と姉が、わずかに伝え聞いた消息を頼って、探しにいったことがある。結局見つけることができなかったが、電話はその、探しに行った土地の警察からだった。何のことはない。ずっとその土地に彼はいたのだった。
彼はいつの頃からかホームレスになっていた。60代になって、いよいよ体がきつくなってきたとき、昔一時世話になったことのある会社に、住み込みで働かせてくれと頼み込んだ。若い社長は快く受け入れてくれ、以来、家族のように接してくれた。
人を楽しませることが好きな彼は、職場でも親しまれていた。仕事もしっかりしていた。が、業務上薬品を使うため、資格が必要だった。そこで社長が書類を持ってくると、彼は姿をくらました。2~3日すると、戻ってくる。また書類を持ってくると、また姿をくらます。そんなことが繰り返された。彼は、読み書きが苦手だったのだ。元々勉強があまり好きでなかった彼は、学齢期にほとんど学校に行かなかったのだ。
彼は男3人、女2人の5人兄弟の真中だった。一番上の長男は頭が良く、貧しい中でも働きながら勉強をし、自力で高校を出た。2番目の長女はあまり頭は良くなかったが、何とか中学校まで行った。その次が彼で、すぐ下の三男は、長男が高校まで行かせた。一番下の次女は義務教育の後、働いた。
腕の良い職人だった父親は、戦争で全てを失い、以来、すっかりやる気をなくしてしまっていた。
彼が親兄弟の前から姿を消したのは、どういう心境からだったかは本人にしかわからない。結局彼は、両親の死に目にも会わず、結婚することもなく、たった16円のお金を残して夜中に襲った心筋梗塞のためにこの世を去った。
宵越しの金を持たない彼は、お金が入るとホームレス仲間のところへ行き、振舞っていたらしい。
彼は数人の名前と電話番号が書かれたメモを残していた。その中に三男の名前と電話番号があった。長男の名前はなかった。長男と次女は、つい2~3年の間に相次いで亡くなっていた。そのことを彼は知っていたのだろうか。三男は、彼が行方不明になった後、何度か転居をしているが、もちろん三男は彼の行方を知らなかった。予想外に近くに住んでいた彼は、兄弟の動向を知っていたのかもしれない。
行方不明になった当時はそんなに似ているとも思われなかった彼と三男だったが、30数年を経て、そっくりな顔になっていた。確認に行った三男を一目見て、警察の人が言った。
「あっ、そっくりだ。これは間違いないや。」
結局わずか2~3年の間に、5人兄弟がたった2人になってしまった。彼を家族のように感じていた若い社長は、自分のところから葬式も出すし、法事もやると申し出た。残された長女と三男の2人は、それではあまりにも申し訳ないと、遺骨を引き取り先祖代々の墓があるお寺に供養をお願いした。
キャベツがおいしい季節になった。
我が家では、蒸し機能のあるホットプレートでよく豚肉ともやしを蒸してポン酢でいただくのだが、肉に対してもやしが足りなかったときに、試しにキャベツを使ってみたら、ビックリ!とってもおいしかった。キャベツって、茹でたり、炒めたり、生で食べたりはあるけど、蒸すというのはしたことがなかった。で、蒸してみると、なんだか芋のような食感がするのだ。肉と合わさると、トロリとした感じで、とても贅沢な味になる。
以来、すっかりはまってしまって、もやしとキャベツを混ぜたりしている。
でも、ホットプレートをしょっちゅう出してというのは面倒だ。試しにキャベツだけをザク切りにして、サッと茹でてさっぱりしたドレッシングで食べてみたら、これがまたいける。ポン酢でもいいし、もちろんマヨネーズでもいい。キャベツのおいしい季節ならではの食べ方かもしれない。蒸した感じとはやっぱり違うけれども、それはそれでおいしいのだ。
お皿の上にどっさりキャベツ。
この図は、あまり美しくはないし、蒸したキャベツのおいしさを味わう前のマサノリなら「ナニコレ」と言ったと思うが、恐る恐る出してみたら、抵抗感なく食べていた。今度は小鉢にキャベツと豚薄切り肉をのせて、レンジでチンしてみようかな。結構オシャレなおかずになるかもしれない。
ananの好きな男・嫌いな男特集(ユーミンおすすめのバームクーヘンが出ていた号)で、キムタクがV10を達成した。私はもともとキムタクが好きなので、とてもうれしい。キムタクは、このところ発言がオジンくさくなってきているのが気にかかるが、年1、2回恋愛の絡んだドラマをやれば、まだしばらくは1位でありつづけるだろう。
キムタクの魅力は豊かな表情だ。そして声。だから、写真などで見てもあまり魅力を感じない。このタイプの場合、刺激を与えつづけている間は絶対的に強いが、ひとたび遠ざかるとつらい。1位でありつづけるためには、やはり露出しつづけて、ファンに刺激を与えつづけなくてはならない。
そうは言っても…。
役者の場合、ひとたび遠ざかっても、作品があれば、時間を超えて刺激を与えることができる。ただ、キムタクの今の路線の場合、過去の作品を見てその当時の気持ちに戻ることはできても、今ひとつ何かが足りない。1つ1つの細かな演技はすばらしい。実際、今回のGood
Luckなど、実年齢より相当若い役を実に自然にこなしていた。だけど…。
そろそろ代表作が欲しいところだけど、今の路線では無理かな。ということは、キムタクがもう一段大きくなるためには、一度この記録をストップする必要があるのかもしれない。
先日NHKのドラマアーカイブで、「新・夢千代日記」に松田優作が出ているのを見た。魅力的だった。一見とっつきにくいけど、心を許した相手には別の一面を見せる。生前の彼の作品には、残念ながらあまり接していないのだが、この作品で、すっかりはまってしまった。
ベテランになっていくにつれて専属化が進行し、苗場などで休みをとると、その間の仕事が机の上に積みあがり、帰ってくるとなくなるということの繰り返しになった。
この仕事を始めてから、せっせと資格取得に励んだ。ワープロ検定もそうだし、システムアドミニストレータは、第1回の橋本龍太郎の名前の入ったお免状を持っている。時間が止まったような世界の中にどっぷりと漬かることに不安を感じていたのかもしれない。そのために、いろいろなスクールに通った。その様子をみて、ある人は「道場破り」と表現した。その人からすれば、私がわざわざスクールに行ってまで勉強する必要を感じなかったのだろう。でも、私はちっとも自信がなく、不安はますます強くなるばかりだった。お客さんのお客さんが、次に何を求めてくるかを予測して、そのための準備も兼ねていた。
会社にいる間は、機械の陰に隠れるようにして仕事をしていた。おしゃべりする余裕はなかった。それでも普段会社で流れているラジオにあわせて鼻歌を歌いながら仕事をしていたので、周囲にはちっとも忙しそうに見えない。技術的なことで必要があるときは、資料を作って説明したが、紙は読まれない。そして、殻に閉じこもった。
潮時を感じた。
在宅で仕事をしないかと言われたが、その気にはなれなかった。第一、NICEの古い、大掛かりなセットを引き取る場所もない。
退職後はWebの勉強をしたり、組版の自動化のお手伝いに行ったり、Word、ExcelのMOUS資格を上級までとったりして過ごした。正社員の口を探したが、やはり、特殊な環境で仕事をしていたため、潰しが利かない。井の中の蛙になるまいと思いつつ、外の世界では役に立たない自分を感じた。それでも最初に面接に行ったところは、その後自分がしてきたことを考えれば、ぴったりの仕事だった。オペレーターで応募したのだが、履歴書をみて、自動組版のSEにならないかといわれたのだ。ただ、当時まだ触ったことのないソフトでの自動組版だった。すぐ覚えられる自信はあったのだが、どうしても「やります」とは言えなかった。その会社のワークフローが固まっていたことも、「やります」という気になれない一因だった。そして、最初のぎこちなさを恐れるつまらないプライドにいつのまにか侵食されていた。
紆余曲折の末昨年開業し、幸運にも1年目から大掛かりな名簿の仕事が入った。退職する前年に担当したデータベース作成を伴う名簿作成の仕事が役に立った。
(お仕事体験記終わり)