その127 お仕事体験記7生命保険会社窓口
和食をやめたあと、都内の派遣会社に登録した。何が決め手でそこにしたか忘れたが、実際に仕事を紹介されてみると、どうも私の家からは遠いところに強いようだった。2社くらいごめんなさいして、来たのが地元。これは近い。しかも条件がいい。ここを断ったら仕事が来なくなるのではないかと不安になった。本当はワープロオペレーターの仕事がほしかったのだが、受けることにした。
この仕事は朝10時から午後4時まで。ワープロインストラクターのアルバイトも、夜の時間に変更して続けた。
職場は、イベントスペースも兼ねたしゃれたところだった。そこのお手続きコーナーで、契約者の満期や貸付、解約などの手続きをした。窓口に出ているのはいずれも派遣社員。私以外は元社員で結婚退職した人たちだ。後ろに控えている内勤の社員や、先輩派遣社員にいろいろ教えてもらいながら仕事をした。保険の知識は全くなかったが、お客さんがいないときなどはマニュアル等を片端から読み、よく勉強した。おかげでかなり詳しくなった。
時はバブル。イベントスペースには株をやっている女優などが来て、講演していった。仕事をしながら生で芸能人や作家を見ることができた。また、仕事で知識が増えていくにつれて、自分でもちょっと体験してみたいと思うようになり、隣にあった証券会社で投資信託などを購入したりした。この投資信託は、バブルがはじけたときに解約した。元本割れを起こしていたが、マサノリの「それ、もうだめだよ」の意見に従った。おかげで最小限の損失で済んだ。こういうときのマサノリの言葉は頼りになる。
利益を出したものもあった。金利は1週間ごとに改定されるが預けるときの金利で固定という安全型商品だ。長期金利に連動するものだが、毎週ボンボン上がっていた。まあ、金額も少ないし預ける期間も短いので、そうたいしたこともないのだが、ささやかにバブルを味わった。
また、この仕事をしていると、お客さんの人生も垣間見える。学資保険など、保険証券に両親の離婚やその他諸々の状況が痕跡を残す。
お父さんと、とてもかわいい男の子が何度か来たことがあった。笑わない子だった。離婚を考えているということだった。しばらくして、再びその親子が来た。離婚しないことになったそうだ。男の子はまだ笑わなかったが、お父さんはうれしそうだった。私もうれしくなってしまった。
結局この仕事は半年契約で2期勤めた。この間に結婚もした。3期目も本当は続けたかったが、やはりワープロを使う仕事をしたかったので、そこでストップということにした。やめるときはバブルがはじけかけていたときだった。変額保険の解約がそろそろ始まっていた。この仕事をしたおかげで景気の動向はつぶさにわかった。
この会社は私の職歴の中で唯一の大企業だった。端末を扱ったことで、コンピュータシステムの仕事の流れを頭に描くことができた。このことはその後の仕事に大いに役立った。さらに、後に勤めた会社では投資信託の受益証券説明書も作っていたが、このときの経験がとても役に立った。
笑ってしまったのが、体重がどんどん増えていったこと。制服も、ダンボールの中からなるべく大きいものを見つけては変えていった。あるとき、ちょっとした動作の弾みにスカートのカギホックが切れてしまった。糸が切れたのではない。糸は何度も切れたので、かなり頑丈に縫い付けていたが、あまりの圧力に耐えかねて、ついに金具が切れてしまったのだ。もう笑うしかなかった。
悲しかったのは、ホテルと近すぎたこと。これも迷った理由の1つだった。ある日、恐れていたことが起きた。知っている人が1人、貸付にみえたのだ。お互いに下を向いてしまった。







