みよこの部屋 コメントページ

2003 年 2 月 28 日

その122 お仕事体験記2レジ

カテゴリー: 仕事 — みよこ @ 12:00 AM

1年間の新聞配達の結果、両親の許可も出て、短大も無事合格。で、長野に行った。なぜ長野かというと、公立の短大で国文があるのは山梨と長野くらいだったから。授業料、安かったわよ(^^)
それでも、奨学金は入学してから申請したので、最初に受け取るまでにはまだ時間がかかったし、仕送り月2万ではやっていけないのでアルバイトをすることにした。尤も(もっとも)、お金があったとしてもアルバイトはしたと思うけど(^^;
で、まず最初にレジの打ち方の特訓。当時はバーコードなどというものはなかったので、全部手で打っていた。147の列は人差し指、258の列は中指、369の列は薬指などと、親切に教えてもらった。金額を入力してから商品の分類を入力する(逆だったかな?忘れた)。特急レジなどというのもあったけど、機械が早いわけではなく、レジの人が早いというやつで、これはもう職人技だ。このおかげでテンキーは今でも得意。後々の仕事で大いに役立った。
このアルバイトは、待望の奨学金が入るようになったのをきっかけにやめた。せっかく仕事になれてきたところだったのだが、夢中になってしまったことがあったため、アルバイトどころではなくなったというのが実情だ。他のメンバーもやめてしまったし。以後短大時代にアルバイトはしていない。それでも、新聞配達でためたお金と、レジでためたお金、仕送り、奨学金で楽に過ごせた。何しろ、寮費が月2万円で、洋服はほとんどいとこのお下がりを着ていたので、これで十分だったのだ。でも、さすがにスキーは無理で、せっかく長野に2年間もいたのに、その間、親戚のペンションで一度だけ何から何まで借りてやってみただけで、あとは全くやらなかった。

そうそう。寮といえば、短大の寮は自治寮といって、学生だけで運営していた。食事は平日の昼と夜は近所の割烹屋さんが作りにきてくれた。食物科の人たちは実習があるため、食事をとれないことが多い。そのため、その人たちには食事がいらない日にチェックを入れてもらって返金するようにしていた。ただ、あまりに返金が多いと食事を作る元手が減るので、メニューが情けなくなることもあった。平日の朝はパンと牛乳、土日は自炊だった。なので、今でも鍋でご飯を炊ける。
寮ではお風呂のボイラーをつけることから赤電話、ピンク電話のお金の管理まで、何でも寮生自身でやっていたため、これはまたいい社会勉強になった。
寮の思い出の中で、傑作は寮祭。寮祭の宣伝のためと称して夜に善光寺通りを仮装行列したっけ。長野は門前町だから夜8時になると店が閉まってしまう。そんな中で、大きな声を出しながら行進していた。ゴールはアルバイトしていたスーパーの前の広場。ここでなぜか「はないちもんめ」をして帰ってきた。

2003 年 2 月 27 日

その121 お仕事体験記1新聞配達

カテゴリー: 仕事 — みよこ @ 12:00 AM

ここ2回ほど仕事のことを書いていたら、私って結構いろいろな仕事をしてきたんだなということを思い出した。ということで、アルバイト、派遣、正社員含めて、それらの仕事を時系列に振り返ってみようと思う。
まずは新聞配達。このアルバイトをしたのは、その110でも書いているが、高校3年生のときだった。当時、我が家は経済的にとても苦しかった。進学するような状況ではなかった。ならば自分で稼ぐということで、始めたのが新聞配達だった。
最初に飛び込んだ販売店では、思い切りゲラゲラ笑われた。まあ、高校の制服を着た、髪の長い女の子がいきなり雇ってくださいと来たのだから、無理もないかもしれない。で、あそこなら雇ってくれるかもと紹介されたのが、私が働いた販売店だった。
この販売店は、随分ボランティア的な経営をしていたと思う。いろいろな事情を抱えた人を住み込みで雇い、私のようなほとんど戦力にならないような子もその場で雇うのだから。
で、次の日から早速仕事なのだが、1人おじさんがついてくれて、最初の1週間一緒に配ってくれた。驚いたのは、1つの販売店で、いろいろな新聞を配っていることだ。一般紙の大きなところは決まっているが、その他は、日経新聞、スポーツ新聞、流通新聞、産業新聞など、実にバラエティに富んでいた。最初、1軒で何種類も取る家があることが信じられずに、あれだけ教えてもらったのに、片方しか入れなかったことがあった。当然苦情があったらしく、おじさんに注意された。でも、決して怒らない。
このおじさんがまた親切だった。朝、私が来るまでに、自転車に一揃え積んでおいてくれるのだ。順番に取れば、間違えずに配れるようにと、細かな心配りがしてあった。だから私は家から華奢な自転車をこいできて、販売店で、準備のすっかり整った頑丈な自転車に乗り換え、無理のない件数を配って、また華奢な自転車で家に帰るという、至れり尽せりのアルバイト生活だった。
それでも、冬はつらかった。軍手を2枚重ねてしないと、手がかじかんですごく痛くなる。あまりの痛さに涙が出るほどだ。雨もきつかった。新聞が濡れないように、これまたおじさんがビニールをかけてくれたのだが、新聞を落としてしまうと、もう使い物にならない。でも、体については専用のカッパを作業着専門店で買って着たら、本当に濡れなくて、あれはすごかったな。ゴムのにおいが玉に瑕だったけど。あと、雪。これはもう自転車はこげないので、ひたすら押して歩いた。バイクで配るおじさんも、派手に転んでいた。
店主にはよく勉強の仕方を教えてもらった。日経新聞の読み方の小冊子をくれたり、天声人語を使った勉強の仕方を教えてくれた。日経新聞の小冊子は政治経済の授業で随分役立ったし、天声人語のスクラップは受験勉強に役立った。

販売店には、新聞奨学生もいた。長崎から出てきた人だったが、この人とは2回ほどデートしたな。以前友達と入って気に入ったスパゲティの店に一緒に行ったら、彼、顔を真っ赤にしてもじもじ。何かと思ったら「女の子ばっかり…」なんてこともあった。結局ぎこちないまま自然消滅してしまった。高校3年生でもまだお付き合いするということがピンとこない私だった。

2003 年 2 月 22 日

その120 リーダーシップ

カテゴリー: 社会・政治 — みよこ @ 12:00 AM

真藤恒NTT元総裁が、先月亡くなった。このニュースを聞いたとき、新卒で入った出版社でダメOLをしていたときのことを思い出した。
その出版社はNTT関係の本を主体に出している会社だった。で、私が入社してすぐにこの人が旧電電公社の総裁になり、あの巨大な組織を動かし、NTT民営化を果たしてNTT初代総裁に就任した。景気がよかったこともあるし、NTTの事業がとりわけ有望視されていたこともあるだろうが、とにかく活気があった。株式会社テレカ(現NTTテレカ)ができて、テレフォンカードの代理店がどうのこうのと言っていたっけ。岡本太郎画のテレカも記憶にある。不採算赤電話の廃止については、日本全国でいろいろなことがあったであろうことも、そういう出版社にいると見えてきた。
地域によって回線使用料が違うのを知ったのはNTTになってからだった。明細書が発行されるようになって、それを見てみると、回線使用料だとか、付加使用料だとか、訳がわからなかったっけ。各基地局の等級も、当時とはまた変わっていて、あの頃は5等級まであったけど、今は3等級までらしい。いかに変化が激しかったかがわかる。
「電電語」というのも印象的だった。1つの組織に入って仕事をしていると、そこでのローカルなやり方が万国共通の常識だと思ってしまうことがある。縦の組織の言うことは聞くが、電話局長の言うことは聞かないとか、お客様という意識がないとか、いろいろな意味がこめられていたと記憶している。
一般の会社でもそういうことはある。技術職など、ローカルルールの集まりだ。けれど、それぞれの職人は、自分が親方から教わったやり方が全てだと思っているわけで、たまに違ったやり方を持ち込まれると、そんなやり方があること自体が信じられない。例えば美容師の技術も、それぞれローカルの流儀で代々の師匠から受け継がれていると、テレビで言っていた人がいたが、そういう風に思っている美容師はどれくらいいるだろうか。
ごくごく小さな組織でも大変なことなのに、真藤元総裁がやったことがいかにすごいことだったか。

それにしてもあのダイナミックな改革の嵐。今の停滞感が支配している時代からみると、別世界のように感じる。
ただ、これだけすごいことをやってのけた人でも失敗することがある。そのために晩年はさびしいことになってしまったが、それだけに、亡くなったというニュースは特に心に残った。

2003 年 2 月 15 日

その119 仕事とバレンタイン

カテゴリー: 仕事 — みよこ @ 12:00 AM

いい仕事をするために、また、お互いにビジネスとして成り立つために、お客さんといろいろご相談させていただいたり意見を交換したりする。私のテーマは「顧客満足」だ。
目的を達するためにはどのように進行したらいいのか、何に気をつけたらいいのか。こういう話し合いをすると、直接のテーマでない面でも変化が出てくる。原稿やデータを送る前のチェックだ。当たり前のことなのだが、急いでいたりすると緩みがちなところなのだ。こうしてお互いに緊張感をもってやり取りをしていると、原稿とデータの真剣勝負!原稿やデータそのものが言葉をしゃべりだす。
でも、これって前向きなお客さんだからできること。そういうお客さんと仕事ができることをとても感謝している。
仕事はチームワーク。いつも緊張していたのでは、これもねぇ。こういうとき、行事は便利だ。13日、原稿を送るときに、皆さんで召し上がってくださいと明治チョコレートの復刻版セットも同封した。好評だったようで、ほっとした。お互いの電話の声も、元気が出てきて、本当に、いいバレンタインになったと思う。

マサノリへのチョコレートは、いつもゴディバかノイハウスなのだが、13日にマサノリがどこどこの新しいコーナーがすごい混んでいたとか言っていたので、そこで買ってきた。ホテルチョコレートとレストランチョコレートの2種。いつも「あんたが食べるんでしょ」と言われていまうので、マサノリ1人に食べてもらうために今回は小さめのものにした。

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